2018年9月の本

Index

  1. 『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』 山田詠美
  2. 『オンブレ』 エルモア・レナード
  3. 『マギンティ夫人は死んだ』 アガサ・クリスティー
  4. 『ソクラテスの弁明』 プラトン
  5. 『ラスプーチンが来た(山田風太郎明治小説全集十一)』 山田風太郎

ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー

山田詠美/幻冬舎/Kindle

ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー (幻冬舎文庫)

 これもKindleで安くなっていたから読むことにした山田詠美の短編集。この人の本を読むのはこれがじつに十六年ぶり、三冊目。
 山田詠美という人は、この本のあとがきでも自ら男好きを自認していたりするし、豊富な男性遍歴を糧にセクシャルな小説ばかり書いている女性作家という失礼なイメージを抱いていたんだけれど、以前に『色彩の息子』を読んで、それが大間違いであることを知った。この人ってとても整った文章を書く至極まっとうな恋愛小説家だと思う。この本もとてもよかった。
 まぁ、すべてが男女の恋愛の話だから、セックスは当然のこととして描かれているけれど、でもそれは男と女が愛しあう上での当然の行為だからであって、過剰にその部分ばかりに執着しているわけではないのがわかる──というか、逆にセックスそのものに関する姿勢はけっこうドライな気がする。するのは好きだけど、別にそれが人生の最上の喜びってわけでもないから詳しくは書かないわ、みたいな。そんな感じの、どことなく覚めた感覚がある。
 でもって、この人はあまり女性の生理的な感覚を振りかざしたりもしない。そもそもこの短編集に収録された作品の過半数は男性目線だ。そして、そこに描かれる男性たちの姿には、それがどんな駄目男であっても、どこかにちゃんと魅力的なところがある。
 まぁ、作者は日本人女性なのに、出てくる男性のほとんどが黒人だから、安易にビッチなイメージを抱いてしまいがちだけれど、読めばそんなのがくだらない偏見なのがわかる。男好きを自称する作者だからこその優しいまなざしでもって描かれるさまざまな男たちの愛の形には、肌の色などに関係なく、しっかりと胸に残るものがある。
 山田詠美、僕はとても好きかもしれない。
(Sep 08. 2018)

オンブレ

エルモア・レナード/村上春樹・訳/新潮文庫

オンブレ (新潮文庫)

 村上春樹氏による翻訳最新作であるこの作品は三つの点で意外性があった。
 ひとつめは春樹氏がエルモア・レナードという、すでに名声を確立しきったエンタメ系作家の作品を手がけたこと。もうひとつはそれが西部劇であること。そしていきなりの文庫オリジナルであること。
 これまでに春樹氏が手がけてきた翻訳作品は、たとえばフィッツジェラルドやチャンドラーのように自身のキャリアに影響を与えた作家や、ティム・オブライエンやグレイス・ペイリーのように、日本では知名度の低い文学畑の作家がほとんどだった。なので、前から春樹さんが好きだと言ってはいたけれど、まさかエルモア・レナードの作品──しかも西部劇──を翻訳しようとは思ってみなかった。
 いったいなぜ?――というのは訳者あとがきに書いてある。
 要するにエルモア・レナードという人はもともと西部劇を書いてデビューした作家であり、西部劇にも傑作が少なくないにもかかわらず、日本ではその後クライム・ノヴェル作家としてブレイクしてからの作品しか陽の目を浴びていないのが残念だからだと。
 なるほど。つまり自身の知名度をもってして、注目の足りない優れた海外の文学作品を日本に紹介するという点では、この作品を取り上げた動機も過去のそれらと変わらないわけだ。でもって作品の性格的に単行本で売るのは厳しいし、かといって村上柴田翻訳堂に入れるにはエンタメ寄り過ぎるってことで、あえて新潮文庫オリジナルになったんだろう。
 でもって、読んでみて、さらになるほどと思った。駅馬車強盗事件の顛末を描くこの作品には、村上柴田翻訳堂に収録された『救い出される』に近い感触がある。とくに後半の執拗に繰り返される追跡劇の描写には似たテイストがある(と僕は思った)。
 個人的にはちょっとヒーローの人物像が説明不足な気がするけれど、それでもまぁ、とりあえずはおもしろかった。なりゆきで駅馬車に乗り合わせることになった個性豊かな登場人物たちの織りなす人間模様がいい。
 併録されたビリー・ザ・キッドにまつわる短編もいい味だしてます。
(Sep 08. 2018)

マギンティ夫人は死んだ

アガサ・クリスティー/田村隆一・訳/クリスティ文庫/早川書房/Kindle

マギンティ夫人は死んだ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 ポアロが旧知のスペンス警視──『満潮に乗って』に出てきたらしい──から冤罪事件の再調査を依頼されるというこの作品、導入部はかつての『杉の棺』と同じパターンかなと思って読み始めてみると、それ以降はぜんぜん違う。
 あちらの救うべき容疑者が美しい婦人だったのに対して、こちらはポアロにさえ嫌われるような、人好きのしない独身男。
 事件もしがない家政婦の老婦人が金目当てで撲殺されたという平凡なもの(われながらひどい言いようだな)。そのせいか、序盤はいまいち盛りあがりを欠いて、いまいちおもしろみのない展開がつづく。
 これはどうなんだ?――と思って読んでいると、ポアロの調査の結果、被害者がとある新聞記事を読んだことが事件のきっかけになっていることが判明。平凡だと思われた事件の背後には、過去の四つの殺人事件にまつわる隠された事実があることが明らかになる。
 いったんそんな事件の構図があきらかになってからの展開はいかにもクリスティーらしくて読みごたえがあった。真犯人も意外性たっぷりだった。
 惜しむらくは新聞記事で明らかになる四人の女性の区別がいまいちつきづらいこと。まぁ、ひとえに僕の読み方が浅かったせいなんだけれど、その部分をきちんと把握しきれなかったことで、せっかくのどんでん返しを堪能し切れなかった感があった。残念。
(Sep 24. 2018)

ソクラテスの弁明

プラトン/納富信留・訳/光文社古典新訳文庫/Kindle

ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)

 光文社古典新訳文庫はそのコンセプトと統一された装丁のイメージが気に入っているので、できるかぎり通常の書籍で読みたいと思っているんだけれど、これはAmazon Prime会員ならば無料で読めるというし、内容的にも哲学は門外漢なので、ならまぁいいかと思ってKindle版を読んだ。
 内容はソクラテスが死刑判決を受けるにいたる最後の裁判でのソクラテス自身の弁論を、その裁判を見守っていたプラトンが後年に作品化したもの。基本的に陪審員にむけて語りかける内容なので、その言葉は決して難解なものではなく、極めて理想主義的な正論という感じ。僕はじゅうぶんに共感できた。
 でも逆にあまりに正論というか理想論すぎて、本音と建前の使い分けがないので、一般的な人たちには伝わらないのも致し方ない気がする。結局この弁論では必要な数の人々の心を動かせずに、ソクラテスは死刑判決を受けてしまったという。紀元前の理想主義が現実に負けるの図。まぁ、死は忌避するものではないというソクラテスの言葉を信じるならば、本人はまったく負けたとは思っていないんだろうけれど。
 この本でおもしろかったのは──まぁ、この手の本ではよくあることなのかもしれないけれど──本編が全体の半分に満たないで終わってしまう点。過半数のページがたっぷりとした注釈と解説に割かれている。
 電子書籍は解説なしでもあたりまえ、みたいな風潮が強いなか、これほど充実した解説が読めるのはとても嬉しかった。まぁ、こういう古典中の古典はその部分こそが読みどころなのかもしれないから、電子書籍とはいえ当然なんだろうか。
(Sep 24. 2018)

ラスプーチンが来た(山田風太郎明治小説全集十一)

山田風太郎/ちくま文庫

ラスプーチンが来た 山田風太郎明治小説全集 11 ちくま文庫

 三年ぶりに読む山田風太郎の明治小説全集の十一冊目。
 この本で意表をついているのが、そのタイトルに反して、なかなかラスプーチンが出てこないこと。
 主人公は後年ロシアを中心とした諜報活動で歴史にその名を残している明石元二郎という怪人物で、この人が若き日に、稲城黄天と下山宇多子という政界の黒幕──それぞれ下田歌子と飯野吉三郎という実在の人物がモデルとのこと──らを相手に、雪香という薄幸の美少女を守るために奔走するというのが物語の中心で、半分以上を読み終わってなおラスプーチンは出てこない。
 で、いざ出てきてからも、あまり重要な役どころはつとめない。まぁ、超常的な存在感は放っているけれど、どちらかというと脇役という位置付け。いってみれば忍法帖シリーズの果心居士のバージョン違いみたいな存在として描かれている。なのでこの内容で『ラスプーチンが来た』というタイトルはいまいち違和感があった。まぁ、いいタイトルだとは思うんだけれど。
 出来映えも風太郎作品としては平均的な印象。とはいえ、序盤のフィクションを伏線として、クライマックスで実際にあったロシア皇太子暗殺未遂事件へと絡めてゆく着想には、やはり並々ならぬものがある。明治ものの特徴である歴史上の人物では、二葉亭四迷やチェーホフなどが大事な役どころで出てくる。あと漱石と子規もほんのちょい役で出ている。
 忍法帖シリーズでは清純なヒロインを最後まで汚さないことで、そのエログロな内容にそぐわない清涼感を味わわせてくれた風太郎先生だけれど、晩年に手がけた明治ものになると、年齢的にもう処女性に対する憧れなど一片もないってことなのか、けっこう女性の扱いが手きびしい。この作品でもヒロイン雪香の末路に複雑な心境になってしまい、あまり後味がよくないのが残念なところだ。
(Sep 24. 2018)