2018年5月の本

Index

  1. 『ねじれた家』 アガサ・クリスティー
  2. 『ラヴクラフト全集6』 H・P・ラヴクラフト
  3. 『フィリップ・マーロウの教える生き方』 レイモンド・チャンドラー
  4. 『予告殺人』 アガサ・クリスティー
  5. 『愛の探偵たち』 アガサ・クリスティー

ねじれた家

アガサ・クリスティー/田村隆一・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

ねじれた家 (クリスティー文庫)

 一家の大黒柱である老富豪が毒殺されて、残された若き未亡人に嫌疑がかかる──というこの作品のプロットには、ひとつ前の『満潮に乗って』にきわめて近いものがある。ただし決定的に違うのは、これがノン・シリーズのミステリである点。
 そう、この作品にはポアロもマープルさんも登場しない。語り手はヘイスティングズ大尉みたいなタイプの好青年で──つまり人はいいけれど、頭は切れない──彼が事件にかかわるのは、被害者が彼の恋人の祖父だからだ。この青年がどれだけ頭を使っても事件は解決しない。
 じゃあ、かわりに誰が名探偵役を務めるのか──というのが、『忘られぬ死』など、過去のクリスティーのノン・シリーズ作品においては重要なポイントだった(誰が探偵かわからないからこその全員容疑者状態)。でもこの作品の場合、最後まで探偵役を務めるキャラは登場しない。
 そう、極論すれば、名探偵の不在こそがこの作品を特別たらしめている重要な要素なのだった。ポアロやマープルさんの頭脳をもってすれば、早い段階で犯人があきらかになってしまうだろうし、そうなったらなったで(事件の特殊性ゆえに)彼らは非常に悩むことになるはずだ。だからこそクリスティーはこの作品に彼らを登場させなかった。
 つまりこのミステリにはポアロやミス・マープルが出てこないことにちゃんと理由がある。少し前の『ホロー荘の殺人』なども「この話にポアロって必要?」と思ってしまうような作品だったけれど、その反省を踏まえてか、この作品でクリスティーは思いきってポアロを出すのをやめているわけだ。そこがすごいと思った。
 みずからの代名詞たる名探偵を活躍させる一方で、ミステリとしての必然性があれば探偵不在のこういう作品もものしてみせる。クリスティーがミステリの女王と呼ばれるのも当然だよなぁと納得の秀作。
(May 04, 2018)

ラヴクラフト全集6

H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕・訳/創元推理文庫/Kindle

ラヴクラフト全集 6

 ラヴクラフト全集も残すところこれを含めてあと二冊。
 ということで、トリのひとつ前を飾るこの本にはランドルフ・カーターという時空を超える神秘家の登場する作品群と、そこへとつながってゆく世界観をもった、ダンセイニという作家の影響を受けて書かれたという短編が収録されている。
 この本に収録された作品は、ホラーというより幻想小説と呼んだほうがふさわしい気がする。物語としての怖さよりも、むしろ異形のものを鮮明なビジュアルで丹念に、執拗に描く姿勢ばかりが印象的で、読みものとしては正直それほどおもしろいと思わない。
 とはいえ、その徹底した書きっぷりにはちょっとばかり感動的なものがある。テレビや映画がいまほど盛んじゃなかっただろう時代にこういうビジュアル世界を個人がひとり頭のなかで育んでいたってのがすごい。
 その極めつけが最後に収録されている長編の『未知なるカダスを夢に求めて』。ランドルフ・カーターが旅する夢のなかの異世界での冒険をこれでもかという筆致で描き出し、終盤の展開はあたかも『ホビット』の戦闘シーンかというような迫力がある。たかが夢の話をここまでのボリュームで詳細に描くなんて、ただごとじゃない。
 正直なところ好きとはいい切れないし、おかげで読み終えるのに二ヶ月以上もかかってしまったけれど、それでもこういうのを書ける人ってすごいよねって。素直にそう思った。
(May 06, 2018)

フィリップ・マーロウの教える生き方

レイモンド・チャンドラー/マーティン・アッシャー編/村上春樹・訳/早川書房

フィリップ・マーロウの教える生き方

 村上春樹氏の友人だというマーティン・アッシャーという編集者が、チャンドラーの作品から気のきいた文章を選び出して、ACB順のキーワードに分類して紹介してみせた格言集。
 春樹さんの翻訳でなかったらおそらく読もうとも思わないタイプの本だけれど、でもこれが意外とおもしろかった。
 なにより、小説のなかの文章をランダムに抜き出しただけで、こんなに気がきいた本ができてしまうという事実にびっくり。それも「ギムレットには早すぎる」とか「タフでなければ生きてゆけない」みたいな有名な台詞があえて選ばれていないにもかかわらず、だ(まぁ、後者は春樹氏自身が選んだおまけのページに追加されてるけど)。
 チャンドラーが名文家だと言われる意味がわからない人は、書店で手にしてペラペラと何ページか目を通してみるといいと思う。なるほど、チャンドラーって本当にすごかったんだと、僕は素直に感心しました。
 もとがABC順のキーワードで並んでいるということもあって、この本は通常の単行本と違って、左綴じで横レイアウトの、洋書風の作りになっている。ページ数も百ページちょいだから、二時間もせずに読みきれる。
 村上春樹のレイモンド・チャンドラー全長編小説翻訳完了の記念品として、ファンとしては揃えずにいられないだろうって一冊です。
(May 06, 2018)

予告殺人

アガサ・クリスティー/田村隆一・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

予告殺人 (クリスティー文庫)

 このところ向かうところ敵なしな印象だったクリスティーだけれど、この作品ではひさびさに失敗している感がある。なんたって僕には最初の殺人事件だけで話のあらましがわかってしまったのだから。
 地方新聞の広告欄に殺人の予告が乗り、悪ふざけだろうと思いつつ好奇心にかられた近所の人たちが会場の屋敷に集まってみると、まさに定刻ジャストに強盗が押し入って殺人が起こり……というこの作品のプロットはなかなか魅力的だ。
 ただ、魅力的に思えるのはそこまで。僕がすっかり忘れていたのは、その予告殺人がたった一度しか起こらないということ。『ABC殺人事件』のように、何度も予告が行われる連続殺人の話かと思っていたので、そうでないことに僕はけっこう肩すかしをくった。
 殺人はその後も繰り返されるけれど、予告は一度しか行われない。で、予告が一度きりだからこそ、じゃあ犯人はこの人なんじゃ……と予想がついてしまう。
 いったんそう思ったら、あとはその正解にたどり着くまで待つしかない。しかもこの作品の場合、殺人はクリスティー作品にしては早めに起こる。殺人が起こるのが全体の一割ちょい過ぎたあたり。それゆえ解決までが長い長い。
 ミス・マープルが出てくるのは三割すぎあたりだけれど、でもその後もマープルさんはそれほど出番が多くないし、それほど鮮やかに推理を披露してくれるでもない。万事控えめな印象で盛りあがりもいまいち。
 ということで、クリスティー作品のなかでも比較的知名度の高いタイトルのような気がするのだけれど、僕にとってはひさびさのハズレだった。
 なんとなくサッカーで連勝記録が途切れたときのような残念さがある。
(May 06, 2018)

愛の探偵たち

アガサ・クリスティー/宇佐川晶子・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

愛の探偵たち (クリスティー文庫)

 このところ読書力ががた落ちで、これといって読みたい本もなかったので、こんなときにはクリスティー連発で。これは残り少なくなった短編集のうちの一冊。
 短編集とはいっても冒頭の『三匹の盲目のねずみ』は中編で、これが原書のタイトルにもなっている。日本ではそれじゃあまり読者の興味をそそらないと思ったのか、とりを飾る短編の『愛の探偵たち』というスウィートなタイトルが採用されているけど、僕にはそのほうがクリスティーっぽくない気がしてしまう。
 『三匹の盲目のねずみ』は若い新婚夫婦が遺産相続した屋敷をゲストハウスとして商売を始めたその日に謎の殺人鬼に襲われるという話で、新婚カップルと癖のある宿泊客たちが織りなす人間模様がいかにもクリスティーらしい作品。まぁ、ミステリとして特別に出来がいいとは思わないけれど、僕は楽しく読ませてもらった。
 その他の短編はミス・マープルもの四編にポアロが一篇、最後の表題作がハーリ・クイン。なかではマープルさんの諸作が好きだった。マープルさんは短編のほうがキャラが立っている気がする。
 ハーリ・クインに関してはすっかりどんな人だか忘れていて、え、若いのかとか思ってしまうあたりが困ったもの。
(May 26, 2018)