2017年4月の本

Index

  1. 『春にして君を離れ』 アガサ・クリスティー
  2. 『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』 村上春樹
  3. 『幻魔大戦(全二十冊合本版)』 平井和正

春にして君を離れ

アガサ・クリスティー/中村妙子・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

春にして君を離れ (クリスティー文庫)

 クリスティーがメアリー・ウェストマコット名義で発表したノン・ミステリ小説の第三弾。
 この作品、ミステリではないのでどれくらい知名度があるのかわからないけれど、一度でも読んだことのある人ならば、ほぼ全員がクリスティーの最高傑作のひとつだという意見にうなずいてくれると思う。
 この作品のなにがすごいかって、まずはその地味な設定。バグダッドに住まう娘夫婦のもとを訪れたイギリス人の中年女性が、帰国途中に砂漠の僻地で足止めをくって、数日間をひとりで無為に過ごすことになるという。ストーリーだけ取れば、ただそれだけの話なわけです。表面的にはなにひとつ事件は起こらない。
 ところが退屈をかこった主人公がひとりぼっちで内省をしいられるうちに、しだいに彼女の心のなかに潜んでいた見たくないもの、見てはいけないものが、砂漠の陽射しに焼かれて白日のもとにさらけだされてゆく。その過程のなんとスリリングなこと!
 この小説の主人公はこれといった取り柄のない平凡な中年女性だ(本人はそうは思っていないけど)。そんなキャラクターを主役に仕立てて、なおかつなにもない砂漠に置き去りにしただけで、これほどまでにおもしろい小説が書けるってのが驚き。
 シニカルな結末も文句なしに素晴らしいし、殺人こそ起こらないけれど、この小説にはクリスティーの最上のミステリと同等の感動がある。クリスティーを読むならば、絶対にはずしてはいけない一冊だと思われます。なにげに邦題も切なくて素敵です。
 ちなみにこの本を読むと、僕はいつも佐野元春の『ガラスのジェネレーション』を思い出します。なぜって? それは読んでのお楽しみ。わかる人にはわかるはず。
(Apr 11, 2017)

村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事

村上春樹/中央公論新社

村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事

 村上春樹がこれまでに手掛けてきた翻訳作品について、つまびらかに語った本──を期待していたら、ちょっと違った(……って、俺の人生そんなのばっかり)。
 全作品を紹介しているのは確かなんだけれど、それぞれ一ページずつを原書と翻訳書の表紙をカラー写真で紹介して、そこにちょこちょこっと思い出話をつけたしましたって感じの内容。なので個々の作品に関しての紹介ページは全体の半分に満たない。
 で、残りは柴田元幸氏との対談。つまり印象としては『翻訳夜話』の第三弾みたいな本だった。僕としてはもうちょっと一冊一冊を深く掘り下げて語ったようなものを期待していたので、ちょっと肩すかしを食った感あり。
 でもまぁ、柴田氏との対談が思いのほかボリュームたっぷりで、なかなか読みではありました。あとレイモンド・チャンドラーの作風を下敷きにして『羊をめぐる冒険』を書いたなんて逸話もあったりして、春樹ファンにとっては読まずに済まされない一冊ではと思います。
(Apr 23, 2017)

幻魔大戦(全二十冊合本版)

平井和正/角川書店/Kindle

幻魔大戦 全20冊合本版<幻魔大戦> (角川文庫)

 高校時代に夢中で読みふけった角川文庫の『幻魔大戦』全二十巻を一冊にまとめたKindle版。
 もとの本庫本が薄めだとはいえ、一冊平均二百五十ページとすると、およそ五千ページ相当。さすがにこれを一冊にまとめるってのは、デジタルだからこそ可能な荒技でしょう。生頼正義氏が手がけた表紙のイラストも全巻カラーで収録されているし、まさにディス・イズ・電子書籍な一冊。
 でもこれ、文庫二十冊分ってことで価格も高額で、ふつうに買うと一万円近い。ほかに読むべき本はいくらでもあるし、通常だったらそんな高いもの絶対に買わないのだけれど、たまたま千円以下(つまり九割引?)で売っているのを見つけて、ノスタルジーにもつられて、ついつい買ってしまった。
 さすがにそんなボリュームだから、半年以上かけないと読み切れないだろうと思ってたのだけれど(実際にそのつもりで読み始めた)、いざ読みだしてみたら勢いがついてしまい、途中からは併読なしでこれ一冊にかかりきりになって、結局ちょうど二ヶ月で読み終えた。つまり文庫にしたら月に十冊のペースで読んだことになる。最近の僕にしてはかなりのハイペースだった。
 読んでみて意外に思ったのは、平井和正という人がとても端正な文章を書くこと。端正というか、文学臭が強いというか。文体にいまどきのエンタメ作家の作品にはないだろうって品格がある。高校生のときにはほとんど気に留めていなかったその文体が今回再読していちばん印象的に残った。
 小松左京にしろ、半村良にしろ、もしかしたら高校生のころに読んでいた日本のSF作家って、僕が気がついていなかっただけで、みんなこんな感じだったのかもしれない(といいつつ筒井康隆だけは違う気がするけど)。
 ある意味古めかしいその文体に加えて、一九六六年から六七年という時代設定(まさか自分が生まれたころが舞台の話だとは思っていなかった)のせいもあって、この作品からは昭和の時代性が色濃く滲んでいる。途中から加速度をあげて宗教がかってゆくその内容も手伝って、読んでいてものすごく時代錯誤な感覚があった。
 僕はこの作品とデビュー当時の村上春樹の作品をほぼ同時期に呼んでいたはずなのだけれど、春樹氏の作品を再読しても、絶対にこんな時代錯誤感は感じないだろう。そういう意味では、平井和正はすでに過去の人なんだろうなぁと思ってしまった。
 まぁ、とはいえ予想外のハイペースは楽しんで読んだ証拠。石ノ森章太郎による同名漫画の原作としてスタートした序盤こそ、金髪王女にサイボーグ戦士にと非常にSF色が強いけれど、四巻目以降はその方向から大きく外れ、救世主とはなんぞやを追求する宗教小説になってゆく。やはりそこからがこの作品の真骨頂。内容をすっかり忘れていたこともあって、ページをめくる手が止まらなくなった。
 ただし、その宗教色があまりにも濃くなり、説教的な饒舌さが過剰になりすぎる後半(特に十四巻以降)はさすがにあまり楽しいとはいい切れなくなる。正直なところ、ひとつのエピソードのなかで同じような発言が二度、三度と繰り返されるのにげんなりしてしまった。もうちょっと文章を刈り込んで、物語を進めて欲しかった。
 それもこれも平井氏がこの小説の内容よろしく、自動書記的な姿勢で筆のすすむがままに書きつらねていった結果なんだろう。その顛末がこれってのは、やはり残念。あまりに中途半端で宙ぶらりんな終わり方には、終盤に謎の失踪を遂げる主人公・東丈ともども、作者の無責任さを責めたくなる。
 この続編もあるようだけれど、結局たいして話は進まずに中断してしまうみたいだし、幻魔大戦はこれだけ読んでおけばもういいかなという気分になっている。
(Apr 30, 2017)