2016年8月の本

Index

  1. 『僕の名はアラム』 ウィリアム・サローヤン
  2. 『愛国殺人』 アガサ・クリスティー
  3. 『ラヴクラフト全集4』 H・P・ラヴクラフト

僕の名はアラム

ウィリアム・サローヤン/柴田元幸・訳/新潮文庫(村上柴田翻訳堂)

僕の名はアラム (新潮文庫)

 村上柴田翻訳堂の刊行記念に柴田元幸氏がみずからの新訳作品として選んだ、ウィリアム・サローヤンの連作短編集。
 僕がサローヤンという人の作品を読むのは、学生時代の『ヒューマン・コメディ』以来二冊目となるのだけれど、そちらの内容はまったくといっていいほど記憶にない。それほど好きだった記憶もない。だからこの本にもそれほど期待していなかったのだけれど。
 ところがどっこい、これがすこぶるよかった。アラム・ガログラニアンというアルメニア系アメリカ人の少年が、叔父や友人ら、自ら所属する共同体の仲間たちについての逸話を一話ずつ語ってゆくという内容で、短編というよりはショートショートと呼んだほうがよさそうな短めな作品が多い。なので一編一編はさらりと読めて、それでいてユーモラスな話のなかに、そこはかとないペーソスが漂っている。そこがなんともよかった。
 決して文章が上手いという感じでもないんだけれど、そのでこぼこした語りっぷりには人のよさそうな憎めない味わいがある。まさに『憎みきれないろくでなし』と呼ぶにふさわしい人たちがたくさん出てくる、いわばアメリカ文学版の『男はつらいよ』と形容したくなるような短編集。
 いろいろといい話がたくさんあるんだけれど、僕がもっとも好きだったのは、冬の川でひと泳ぎした少年たちと彼らの奇行に大喜びする雑貨店主とのやりとりが楽しい『三人の泳ぎ手』。この短篇、最高だと思う。
 それにしても、村上・柴田のご両人が選んだこのシリーズ第一期の二作品、どちらもローティーンの少年少女を主人公にした作品でありながら、その作風がまったく正反対といってもいいくらいに違うのが興味深かった。
(Aug 15, 2016)

愛国殺人

アガサ・クリスティー/加島祥造・訳/クリスティー文庫(Kindle版)

愛国殺人 (クリスティー文庫)

 この小説はクリスティーの作品によくあるパターンで、これから起こる事件の当事者をひとりずつ紹介しながら始まる。
 旧作ではその人たちが一堂に会するのがナイル河クルーズだったり、南海の孤島だったりしたわけだけれど、今回は同じ歯医者の待合室だという。でもってその患者のひとりがポアロであり、事件の被害者が歯科医その人だという趣向。
 かのポアロがいきなり歯医者の待合室で苦虫を噛みつぶしているというオープニングは、いかにもクリスティーらしくユーモラスで、かつ意表をついていておもしろいと思う。
 ただ、問題はそうやってたまたま歯医者の待合室に集まった人たちが容疑者ってことで、キャラクターどうしの横のつながりがほとんどない点。人間関係が希薄ないせいで、誰が誰だかいまいちよくわからない。なので読んでいてあまり楽しくない。犯人も定番で見当がつきやすいし、動機はともかく殺人の手口にはいまひとつ説得力がないしで、残念ながらそれほど出来のいい作品とは思えなかった。
 あと、この作品はタイトル的にも謎が多い。この作品は『そして誰もいなくなった』などと同じようにマザーグースをモチーフにしていて、イギリス版ではマザーグースの一節をそのままタイトルに使っているのだけれど、僕にはそのマザーグースが物語にどのように絡んでいるのか、さっぱりわからなかった。マザーグースがきちんと作品に溶け込んでいない感じがする。
 邦題の『愛国殺人』はアメリカ版のタイトルをそのまま日本語にしたもので、もしかしたら僕のように「なぜこのタイトル?」と疑問に思った人が多かったから、後発のアメリカ版では改題されたのかもしれない。事件の背後にスパイが絡んでいるのと、犯人の動機が偽善的な愛国心だからということでこの題になったのかなと思うけれど、こちらはこちらで言葉のイメージが堅すぎて、いまいち魅力的でない。それだったらまだ、『One, Two, Buckle My Shoes』というイギリス版のタイトルのほうが意味不明な分、興味をそそって好きだ。まぁ、それだと日本語にしにくいから、邦題をつけるのは難しかったんだろうけれど。
 なんにしろ、けっこう有名な作品だと思っていたたので、今回再読してみて、その出来がいまいちなのにはちょっとばかり驚いた。
(Aug 15, 2016)

ラヴクラフト全集4

H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕・訳/東京創元社/Kindle版

ラヴクラフト全集 4

 前巻を読んだときに、なんかいまの気分じゃないから、次はしばらくあとにしようと思ったら、知らぬ間に一年以上あいだが空いてしまったラヴクラフト全集の四冊目。まぁ、ひさしぶりなおかげで、比較的楽しく読めた。
 今回の収録作については、やはりクトゥルフ神話の旧支配者の遺跡を描く中編『狂気の山脈にて』が最大の読みどころなんだろうけれど、僕がそれより好きだったのは、冒頭を飾る『宇宙からの色』。
 これは宇宙から飛来した謎の物体により汚染され、荒廃してゆく土地の所有者一家の悲劇を描いた短編で、そのさまはあたかも原発事故の現場のよう。第二次大戦よりも前に亡くなった小説家が想像力だけを頼りにこういう話を描いて見せているという事実に大いに感銘を受けた。
 あと、南極が舞台の『恐怖の山脈にて』を筆頭に、このシリーズの中でもっともポオの影響を強く感じた一冊だった。
 詳しくないので知らないけれど、もしかしたらポオからラヴクラフトへ、そしてその後の世代へと脈々と受け継がれるアメリカ文学の裏の系譜とでもいったものがあるのかもしれない。それはちょっと怖いかも。
(Aug 28, 2016)