2016年3月の本

Index

  1. 『自来也忍法帖』 山田風太郎
  2. 『オルフェオ』 リチャード・パワーズ
  3. 『アメリカの夜』 阿部和重
  4. 『そして誰もいなくなった』 アガサ・クリスティー
  5. 『日本人なら必ず誤訳する英文』 越前敏弥

自来也忍法帖

山田風太郎/角川文庫(Kindle版)

自来也忍法帖<忍法帖> (角川文庫)

 これのひとつ前に読んだ『軍艦忍法帖』はシリーズ初期の作品だったけれど、さすがに前半戦のほうが出来がよくて入手しやすいからか、残っている未読の忍法帖は、ほとんどが後期の作品だった。ということで、これはシリーズ第十五作目。
 いやしかし、エログロ・ナンセンスは忍法帖の代名詞のようなものだけれど、この作品はある意味その極み。某藩の若君が将軍への謁見の席で精液たれながして怪死するという冒頭から、もう全編シモネタばっかりな印象。
 五人のくノ一と交わった相手の男を文字通り昇天させる「忍法精水波」。この小説の中心となるのがこの忍法で、これを某藩に婿入りしてきた将軍の息子にかける、かけないって話が延々とつづくのだった。
 要するに全編セックスするしないって話なわけです。オフィスや電車のなかで読んでいると不謹慎な感が否めず、なに読んでんだろう俺……って羞恥心が湧いてきてしまうような、なんとも困った作品だった。
 そういえば、『風来忍法帖』も「姫様、犯したる!」って話だったけれど、ある意味、これはあれの男女が逆転したバージョンというか。
 でも、あちらでは狙われているのが美しき姫君だったからいいけれど、こちらは口がきけず、知恵のたりない将軍家の若様という困った設定。下半身をさらけだしたままで平然としているような人だから、見苦しいことこの上ない。
 あまりの駄目っぷりに、婿入りした先のヒロインのお姫様からは愛想を尽かされ、夫婦になったにもかかわらず、床入りを許してもらえない。この仮面夫婦の関係がそれから先どう発展するかというのが、この小説の読みどころのひとつかなと。
 あとひとつ、くノ一に狙われる新婚夫婦を守る謎の忍者が登場する。タイトルにもなっている「自来也」を名乗るこの人物は何者か──というミステリ仕立てになっているところがこの作品のもうひとつの特徴。
 要するにナンセンスなエロ話がたっぷりのミステリ時代劇といった趣向の作品だった。
 基本的にはナンセンスで下品きわまりない話だし、それほど出来がいいとも思わないのだけれど、それでいて意外と読後感が悪くない。そこんところがやはり忍法帖だよなぁと思う。
(Mar 06, 2016)

オルフェオ

リチャード・パワーズ/木原善彦・訳/新潮社

オルフェオ

 リチャード・パワーズの最新作は、年老いた音楽教授が日曜大工的な趣味としてやっていた遺伝子操作をバイオ・テロと疑われて指名手配されるという話。
 物語は主人公ピーター・エルズの逃亡劇と並行する形で、音楽とともに歩んできた彼の人生を幼少期から紐解いてゆく。この過去のパートは普通に文学的なのに、現在進行形の事件はサスペンス・スリラー風。この二面性が効果的でおもしろい。
 クラシック好きなパワーズの趣味性全開で、作中には全編にわたってそちらの方面の専門用語(と遺伝子工学系のもの)があふれかえっている。ただ、その一方でビョークやレディオヘッド、ソニック・ユースにニルヴァーナ、ウィルコ、ストロークスなど、僕には馴染みの深いアーティストの名前が──彼の守備範囲外の音楽という扱いながら──出てきたりもする。バイオ・テロの容疑を受けている主人公が、アンスラックス(炭疽菌という意味らしい)のCDを見つけて聴いてみたりもする。
 原書が刊行されたのが2014年とつい最近なので、そんな風にいま現在の洋楽事情がきちんと物語に反映されているのがとても新鮮だった。あと、ツイッターが大きく取りあげられている点でも、すごく現在進行形な物語って感じがする。
 博覧強記って点でリチャード・パワーズとトマス・ピンチョンは似ていると思っていたけれど、今回ほぼ同時期に両者の作品を読んでみて、その印象はまったく違うなと思った。ピンチョンの作品には知識の迷宮で溺れさせようとしているような感覚があるのに対して、パワーズの場合、ディテールへのこだわりが専門用語の羅列につながっているだけで、おそらく読者を迷わそうという意図で書いているのではないんだろうという感じがする。少なくてもパワーズのほうが圧倒的に読者にやさしい。わからないところはわからないまま放っておいても、話自体はきちんと理解できる(まぁ、といいつつ完全に理解したとはいえないんだけれど)。
 今作の場合、主人公がバイオ・テロで指名手配されるというサスペンス・スリラーとして、ある種のエンタメ作品としても読めるし、これまでの作品の中でも、もっとも取っつきやすいと思う。もしもパワーズ作品を映像化するとしたら、真っ先に候補にあがるのはこれじゃないかという気がする。
(Mar 07, 2016)

アメリカの夜

阿部和重/コルク

アメリカの夜

 ものすごくひさしぶりに──というか気分的には人生初くらいの勢いで──自分と同世代の作家が書いた「日本文学」を読んだ。僕よりふたつ下の日本人作家、阿部和重のデビュー作。
 内容は映画学校の生徒である主人公が、架空の友人の目を通して自らを語ったという設定のメタ・フィクショナルな作品。そうした設定に加え、ブルース・リーが自らの武術、截拳道{ジークンドー}──空手とは違うんですね──について書いた本や、名作『ドン・キホーテ』に関する評論が組み込まれていたりするところに現代文学らしい目新しさがある。それでいて内面的な部分では、非常につよく日本文学の伝統を感じさせる作品でもある。
 というのも、この小説では、自分は特別な人間だと思っている主人公の語りが、徹頭徹尾、自分語りに終始するから。恋をした女性について語ってもなお、なぜ自分がその人を好きになったかという理由を分析するだけに終わる。残念ながらそこには恋愛をする者のみの味わう喜びも悲しみも浮き上がってこない。
 とにかくこの小説で語られているのは、最初から最後まで、自分、自分、自分。
 自分はなぜに特別なのか──いや、じつは特別ではないんではないか。そんな若者の自らのアイデンティティーに対する問いかけが、第三者の目を通したという仮定で、とつとつと語られてゆく。
 ブルース・リーを語っても、ドン・キホーテを語っても、そこにはすべての中心に常に「私」がいる(語っているのは第三者という設定だけれど)。要するにこれって、二十世紀末に書かれた私小説なのではないかと思う。
 なるほど、僕が英米の小説ばかりを読んでいる裏で、日本ではこういう小説を書く作家がデビューしていたのかと。あぁ、日本だとこういう小説もありなのかって。いままで知らなかった日本文学の一端がのぞき見えて、ちょっと勉強になった。
(Mar 21, 2016)

そして誰もいなくなった

アガサ・クリスティー/青木久恵・訳/クリスティー文庫(Kindle)

そして誰もいなくなった ハヤカワ文庫―クリスティー文庫

 これはたぶん僕がシャーロック・ホームズと江戸川乱歩以外で、初めて読んだミステリじゃなかったかと思う。これを読んで僕はクリスティーを好きになり、そこを入り口に(それなりに)多くのミステリを読んできた。大げさにいえば、僕の人生を変えた一冊──というのはちょっといいすぎ。
 なにはともあれ、さすがにこれくらいの名作ともなると、犯人を忘れるはずもないので、今回再読するにあたっては犯人を知ったうえで、どういうトリックが使われていたのかを確認するような読み方になるわけだけれど、そうやって読んでみて思ったこと。
 ──こりゃちょっと強引だわ。とてもこんな犯罪が実行可能だとは思えない。真犯人を隠すために行われた偽装に説得力がなさすぎる。本当にやってばれなかったら、そのほうが不思議なレベルでしょう?
 とはいえ、そのリアリティのなさを欠点とするにしても、この小説の着想には否定できない魅力がある。話の結末がわかっていてなお、それなりにドキドキしながら読むことができるのだから、それはやはりこの作品が小説として優れている証拠だろう。そこには少しばかりの瑕疵{かし}を補ってあまりある着想の妙がある。
 前作『殺人は容易だ』につづいて、ある種の精神病質者を犯人に据えている点でも、のちのサイコパスものブームの先駆けとなる作品といえそうだし、ミステリ史上もっとも重要で個性的な作品のひとつなのは間違いないと思う。
 それはそうと、今回この新訳版を読み返してびっくりしたのは、事件の起こる島の名前が変わっていること。
 「兵隊島」とかいうんで、「あれ、そんな島だったっけ?」と思いながら読んでいたら、事件のモチーフとなるマザーグースが出てきたところで、その違和感の正体があきらかになった。
 「小さな兵隊さんが十人、ご飯を食べにいったら」って。
 え~、インディアンじゃないの!?
 なんと、インディアンは差別語だってことで、新しい原書ではインディアンをソルジャーに替えたあるものがあるんだそうだ。もともと初出時は「ニガー」だったのが、それはまずいってんで「インディアン」に変えられ、それがさらなる時代の流れにそって、いまでは「ソルジャー」になったと。で、この新訳版はそちらに従いましたと。
 ということで、小さなインディアンは兵隊さんになりましたとさ。
 もうびっくりだよ。
(Mar 21, 2016)

日本人なら必ず誤訳する英文

越前敏弥/ディスカヴァー・トゥエンティワン/Kindle

越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文 あなたはこれをどう訳しますか? (ディスカヴァー携書)

 『ダ・ヴィンチ・コード』などを手掛ける翻訳家・越前敏弥による、日本人が意味を間違いやすい英文を集めてみせた問題集。
 もとの本が新書サイズっぽかったので、以前読んだ『日本人の英語』のようなエッセイ集かと思ったら、そうではなく。著者が翻訳学校の講師をしていたときの問題集をベースにしているとのことで、著者のインタビューなどが組み込まれているものの、基本的には英文読解の問題集だった。
 で、こういう装丁におもしろみのない本は電子書籍で読むにはもってこいだと思っているのだけれど、これはそうじゃなかった。もとの本は左ページに英文、右ページにその答えというレイアウトになっているとのことだけれど、電子書籍だとページが固定されていないため、その区切りがなく、レイアウトが乱れてしまって、読んでいて気持ちよくない。
 あと、英語の構文を図示するための例文が画像として扱われるため、たかが2行の英文が1ページまるまる使って表示になってしまうのも残念なところ。そういう意味では、現時点での電子書籍の弱点をみごとについてしまったような本だった。
 ということで、電子書籍としては難ありだけれど、内容的にはなかなかためになった。英文はできるかぎり左から右に読むべしだとか、カンマが出てきたら要注意だとか、言われてみるとなるほどという知識が多くて勉強になった。あと、自分がいかに時制とか仮定法過去がわかっていないかもよくわかった。ひさしぶりに学生に戻ったような気分で読める楽しい本でした。
 まぁ、身を入れて読んでいないから完全に理解したと言えないし、5問に1問くらいしか正解できなかったけれども。
(Mar 30, 2016)