2014年3月の本
Index
- 『神曲』 ダンテ
- 『スマイリーと仲間たち』 ジョン・ル・カレ
- 『邪悪の家』 アガサ・クリスティー
神曲
ダンテ/山川丙三郎・訳/岩波文庫(全三巻)
ぐうたら読書家の僕には、興味はあるけど読んでないという古典作品が数多あり。このダンテの『神曲』もそのうちのひとつだったのですが。
このたび、『ダ・ヴィンチ・コード』のダン・ブラウン最新作『インフェルノ』がこの作品を下敷きにしているらしいというので、それならばと意を決して読んでみることにしたはいいけれど――。
思いきり選択を誤りました。
表紙に惹かれて選んだ岩波文庫版、山川丙三郎という方による翻訳は、調べてみたら、いまからちょうど百年前、一九一四年に着手されたものだとのことで、全編文語体。その文章は学生時代に古文をまともに勉強してこなかった僕には手にあまった。
文庫本全三巻で、各巻約四百ページとボリュームはあるものの、そのうち半分は注釈――しかもその部分も文語体で、かつ虫眼鏡がないと読めないくらいの微小フォントとくる――という本で、時間がないので注釈は無視したから、本文は賞味六百ページ強にすぎない。もとより詩なので改行も多いし、通常ならば一週間もかからない分量なのに、これを読み切るのに丸一ヶ月もかかってしまった。なおかつ、読み終えてなお、なにが書いてあるんだか、半分もわかっていないというていたらく。おかげで内容についてはなにも語れない。
とにかく文語体に慣れねぇこと、慣れねぇこと。
たとえば、文章が「見き」っていって終わるわけですよ。なんだよ「見き」って。そもそもなんて読むんだよ、とか思ってしまう時点で僕の負け。「き」は過去形で、「ありき」などと使う場合の「き」なんだと、辞書を引いてようやく理解した。終始この調子なんだから、もう時間がかかるのもあたりまえ。
さらには漢字が無駄に難しい。読めねぇ~って辞書を引いてみれば、声、昼、尽、余、帰、体、励、など、いまでも普通に使っている漢字の旧字だったってパターンが雨あられ。おそらく、いままでに使ったことがなくて意味がわからなかった漢字は、ひとつふたつしかなかったんじゃないだろうか。それだったら最初から漢字だけでも新字にしといてくれないかなぁ……。学校で習ってないよ、そんな難しい字。
まぁ、これが時代に名を残す文豪の作品だというのならば、その苦労も報われるのだけれど、残念ながらこれは翻訳。もともと日本語じゃない文章を日本語に訳したものなわけです。しかもこの翻訳、古いだけにすでに著作権フリーになっていて、ネットには無料で出回っている。そんなものに三千円近く払ったあげく、苦労して読んでなお、意味がわからないという……。俺はなんて酔狂なことをしているんだろうと、思わずにいられなかった。
おまけにこの『神曲』、英語の題名は『The Divine Comedy』という(海外にそんなバンドがありましたっけね)。え~っ、これってコメディなんですか?
──ってまぁ、もちろんストレートな喜劇なわけではないんだろうけれど──少なくてもこの日本語訳を読んでいる限り、笑える要素はほとんどない──、なんでも原作は、当時のフィレンツェの婦女子でも読みやすいようにと、その地方の方言を使って書かれていたんだとか。だから当時はラテン語で書かれていないってんで、非難されたこともあったんだとかなんとか。
原作者がそんな風に、なるべく誰にでも読みやすいようにって書いた作品を、格調高い日本語の文語体で苦労して読んでいたと思うと、なおさら間違いすぎている気がして仕方ない。
ということで、いまだ『神曲』を読んだことのない人で、なおかつ僕と同じように文語体は無理って人には、絶対にこの版は薦めません。角川とかから、新しくて読みやすそうな翻訳が出ているようなので、そちらを。
でもまぁ、インターネットもない時代に、これだけ未知の固有名詞であふれかえった情報量の多い作品を独力で訳した訳者の熱意と努力には、それだけで頭が下がる思いがする。僕自身はその労力にきちんと答えられていないけれど、とりあえず普段は読まないタイプの文章を苦労して読んだ、その経験だけはなんとなく貴重だったぞと。そんな情けない読書体験でした。
(Mar 04, 2014)
スマイリーと仲間たち
ジョン・ル・カレ/村上博基・訳/早川書房/Kindle版
ジョージ・スマイリーを中心にしたイギリス諜報局のソ連との諜報戦を描く『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』、『スクールボーイ閣下』につづく三部作の完結編。
このシリーズは一般的に、ソ連諜報部のボスであるカーラの名をとって、「カーラ・トリロジー」と称されている。
スマイリーはこの三部作以外のル・カレ作品にも登場するから、そのほかの作品と区別する意味でそう呼ばれているのだと思うけれど、おもしろいのは、この三部作を通じて、カーラ本人の出番がほとんどないこと。
僕の記憶にある限りでは(ネタバレごめん)、カーラが出てくるのは、一作目でのスマイリーによる回顧シーンと本作のラストだけ。それ以外ではまったく姿を現さない。
まぁ、初代ドラクエの竜王やスター・ウォーズ旧三部作のようなもので、大ボスが最後の最後まで出てこないってのは、クエストものの定番なのかもしれないけれど、僕にはその構造がちょっともの珍しく感じられた。
この作品は、前作でふたたびサーカスを離れたスマイリーが、カーラにつながる極秘情報の発覚により、みたびカーラとの戦いに駆り出されるという話で、その過程でいまや離れ離れになったかつての仲間たち──トビー・エスタヘイス、サニー・コックス、ピーター・ギラムら──の協力をあおぐという展開もあって、構造的には『ティンカー、テイラー』に似ている。
この話でスマイリーは最終的に勝利を収める。
とはいえ、この作品のラストには、勝利の余韻など微塵もない。かわりに途方もない喪失感が漂っている。生涯をかけて戦ってきた最大のライバルの失墜は、スマイリーに達成感のかわりに、激しい喪失感をもたらす。こんな風に悲しみを描けるところが、ル・カレの優れたところだと思う。
タイトルの『スマイリーと仲間たち』――原題は Smiley's People──には、おそらくカーラのことも含まれているんだろう。
(Mar 30, 2014)
邪悪の家
アガサ・クリスティー/真崎義博・訳/早川書房/Kindle版
『青列車の秘密』以来、じつに八作品ぶりとなるエルキュール・ポアロものの長編。
語り手にもヘイスティングズが復帰しているし、ひさびさに定番のポアロ・ミステリを堪能しました!――といえれば、よかったんだけれど──。
残念ながらすでにクリスティのスタイルに慣れてきてしまったせいか、冒頭の展開だけで犯人がわかってしまって、ミステリとしての楽しみはいまひとつだった。
といいながらも、この作品でおもしろいなと思ったのは、その導入部の展開。
たまたま知り合った美女が何者かに命を狙われていると見てとったポアロは、悲劇が起こるのを食い止めるべく、自ら進んで事件に関与してゆく。そこには、殺人事件が発生して探偵が呼ばれて……というミステリの定番からの(ささやかながらも)逸脱がある。
ひさびさにポアロを主役に据え、初期の作品と同じように、語り手をヘイスティングズに戻しながらも、構造的には、確実にそれまでとは違うものを目指しているのがわかる。
そんなクリスティの姿勢に感心しました。
(Mar 30, 2014)