2014年1月の本
Index
- 『ひとりの体で』 ジョン・アーヴィング
- 『謎のクィン氏』 アガサ・クリスティー
- 『大いなる眠り』 レイモンド・チャンドラー
- 『ブラック・コーヒー』 アガサ・クリスティー
- 『プレイヤー・ピアノ』 カート・ヴォネガット・ジュニア
ひとりの体で
ジョン・アーヴィング/小竹由美子・訳/新潮社(全二巻)
前作からわずか一年のインターバルで登場したジョン・アーヴィングの最新作。
このところのアーヴィングの作品はどれも同じパターンな気がする。自伝的エピソードを下敷きにしていて、作家である主人公の少年時代から老境までを、セックスにまつわるエピソード満載で描いてゆくというパターン。まぁ、前作はそれほどエッチではなかった気がするけれど、今回は主人公がバイセクシャルという設定のため、最初から最後までセックス絡みのエピソードばっかりだった感がある。
とにかくバイセクシャルという設定がこの作品の最大の肝。そのせいでエロが多いのみならず、後半になるとエイズが猛威をふるって、悲惨極まりないことになる。
とにかくたくさんの人がエイズでばたばたと死んでゆく。それこそ人類が滅亡しそうな勢い。こんなに切実にエイズの悲惨さを強く感じさせられた小説は初めてだ。
あと、意外性があるのは、前半とても存在感のあった重要キャラクターの何人かが、いったん舞台から姿を消したあとに、再登場することなく、静かに退場してしまうこと。
いずれ主人公が彼らに再会して、ふたたびなんらかの事件が起こるのだろうと思っていると、そうなることなく、ほとんど人が帰らぬ人となってしまう。
そういう意味では、僕はこの小説のテーマは一期一会なのではないかと思う。いわば、バイセクシャルの主人公をめぐる、再会の叶わない、(いくつかの)いびつな恋の物語。その辺の感触に老境を迎えたアーヴィングの実感がこもっているような気がする。
(Jan 05, 2014)
謎のクィン氏
アガサ・クリスティー/嵯峨静江・訳/早川書房/Kindle版
クリスティーは1930年に何冊も本を出しているので、作品を刊行年順に並べたリストを作って次に読む本を決めていたら、順番が前後してしまった。ウィキペディア(英語版)によると、これは『おしどり探偵』と『愛の旋律』のあいだに刊行された連作短編集。すでに読み終えた『牧師館の殺人』はこのあとだったらしい。
この本の内容は、サタースウェイトという目立たない老紳士が、ハーリ・クィンという謎の人物に触発されて、数々の事件の謎を解いてゆくというもの。
サタースウェイト氏は探偵や刑事ではなく、基本どの事件でも第三者なので、事件はすべて過去に起こったことだったり、伝聞だったりする。そうした不確かな情報を解きほぐして、真相を究明してみせるという安楽椅子探偵的趣向の作品になっている。
タイトルにもなっている「謎のクィン氏」は触媒の役目を果たすだけで、いっさい探偵役をつとめたりはせず、表面的にはワトソン的な役まわりにしか見えないサタースウェイト氏が実際には事件を解決するという、ひとひねりした構造がこの作品の特徴。
クィン氏が最後まで何者かわからない──どうやら普通の人間ではないミステリアスな存在である──という点で、クリスティー作品としては、これまでなかったタイプの異色作。この時期のクリスティーはミス・マープルを誕生させたり、普通小説や戯曲を書いたりと、やたらと新しいことに対する創作意欲が盛んだったみたいなので、そんな中で生まれた一冊なんだろう。
ただ、非シリーズものの短編集ということで、僕自身はいまいち気分的に乗り切れなかった。あぁ、ポアロが恋しい。
(Jan 05, 2014)
大いなる眠り
レイモンド・チャンドラー/村上春樹・訳/早川書房
村上春樹によるチャンドラー翻訳シリーズ第四弾は、チャンドラーの長編デビュー作、『大いなる眠り』。そういや、いつの間にか全作品翻訳することが確定したらしい。
この作品がこれまでの村上訳チャンドラー作品と異なるのは、タイトルが旧訳のものを踏襲している点。春樹氏自身があとがきで「個人的にこの訳題に馴染んでしまっているので、そのまま使わせていただいた」と書いているけれど、これまで早川書房から出ていなかった唯一の長編だから、出版社内でタイトルがかぶらないってのも影響しているのではないかと思う。
なんにしろ、この村上訳を読んでみて印象的だったのは、さすがに翻訳のせいで引っかかることがほとんどなくなっていること(まったく、とまでは言えないけど)。
たとえば、創元文庫の稲葉十三郎訳では「うふう」と訳されていて、やたらめったら違和感があったマーロウのセリフが、村上訳だと「ふふん」になっている(原文は "Uh-Uh")。それが適訳かどうかはともかくとして、これだけでぜんぜん印象が違う。少なくても、これってなんか変じゃない?とか思って、読むのが止まったりしない分だけ、だんぜん読みやすい。
まぁ、ただ読みやすいとはいっても、そこはチャンドラーの作品。これまでの三作品同様、新訳村上版は細かい部分まで丁寧に訳されている分、旧訳に比べると読みではある。また、この作品では旧訳から受けたマーロウの意外な若々しさ(なんたって三十三歳だそうだ)が──一人称が「私」に統一されているせいだろうか──、不思議なものでこの新訳からはほとんど伝わってこない気がした。
旧訳で僕はそのマーロウの若々しさにこそ魅力を感じていたので、その部分が同じように感じられなかった点は少なからず残念だった。まぁ、僕の読み方が悪かった可能性もあるとは思うんだけれど。
まぁ、そんなわけで、新訳旧訳とも一長一短あって、一概にどちらがいいともいいがたい。単純比較でいま読むんならばこの村上訳だと思うけれど、旧訳には旧訳の味があった。結局、チャンドラーの魅力を余すところなく味わうには、原文で読むのがいちばんいいんではないかと、このごろは思い始めている。長生きできるようならば、老後の楽しみにしよう。
(Jan 13, 2014)
ブラック・コーヒー
アガサ・クリスティー/麻田実・訳/早川書店/Kindle版
アガサ・クリスティーの戯曲第一作目は、ポアロを主人公にしたミステリ。戯曲とはいえ、ひさしぶりにポアロとヘイスティングズに会えて嬉しい。
物語は、ある発明家の発明した(原子爆弾の?)方程式が盗まれ、さらにはその発明家が毒殺されるという事件をポアロが解決するというもの。舞台はその発明家の屋敷の居間で、盗まれた方程式はそこのどこかに隠されているとポアロが推理する。
さぁ、殺人犯は誰だ、そして方程式はどこだ、というふたつの謎を、ひとつの部屋に舞台を限定して、二時間程度で上映可能な物語のなかにきっちりと入れ込んでみせた手際がみごと。殺人犯探しの部分では、恋人が恋人をかばって罪をかぶるという、お得意のパターンでミスリーディングを誘ってみせるのもクリスティーらしい。
この本にはもう一作、『評決』という脚本も同時収録されている。こちらは謎解きミステリではなく、ポアロも出てこない。自己中心的な女子大生が大学教授に横恋慕したあげく、彼の病気の奥さんを殺してしまうという、ヒッチコック的な味わいのあるサスペンス・スリラー。終盤のシニカルな展開が素晴らしい。
まぁ、ラストはちょっと甘すぎの感があるけれど、とはいえ、そのままだとあまりに救われないので、舞台向けと考えれば、それくらいの甘さでちょうどいいのかなとも思う。この脚本、僕はとても好きです。
(Jan 13, 2014)
プレイヤー・ピアノ
カート・ヴォネガット・ジュニア/浅倉久志・訳/早川書房/Kindle版
大多数の庶民が機械に仕事を奪われ、一部の技術者と管理者だけが特権的な地位を享受する近未来のアメリカを舞台に、その体制のあり方に疑問を持ったエリート中のエリートが巻き込まれる革命騒動を描くディストピア小説。
記念すべきカート・ヴォネガットの長編デビュー作であるこの作品は、あきらかに二作目以降の作品とは作風が異なっている。次回作『タイタンの妖女』ではすでに語りそのもので読者を惹きつける独特の文体が完成していたけれど、この処女作はそうではない。語り口だけとったら、まだヴォネガットらしいと言えない。
善良ながら主体性を欠く主人公のヒューマニストぶりをシニカルに描く姿勢や、訪米中のアラブ国王にまつわるコミカルな珍道中を並列して描いてゆく手法、ナンセンスな歌詞や擬音語の多用など、すでにヴォネガットらしさは随所に見られる。
とはいえ、語り自体は平均的で、短めのセンテンスを積み上げて小気味よく物語を転がしてゆくその後のヴォネガットのスタイルはまだ芽吹いたくらいの感じしかない。
氏の長編では最長の作品だけれど、同じ内容でも、その後のヴォネガットが書いたとしたら、もっとコンパクトにまとまるんだろうなと思わせる冗長さがあるというか。のちの作品ではより少ないページ数でよりダイナミックな物語を紡いでみせているだけに、いまいち習作的な印象が否めない。
まぁ、それもこれも、単にヴォネガットの作品としては、ややグレードが下がるというだけの話。一編の近未来小説としては、十分に個性的でおもしろい。これにけちをつけるなんて、罰あたりな気がしなくもない。
──とはいえ、ヴォネガットのコアなファンで、ヴォネガット作品を一冊だけ選べと言われて、これを選ぶ人はおそらくひとりもいないのではないかと。
そうでもないのかな。
(Jan 26, 2014)