2011年11月の本
Index
- 『灰色の嵐』 ロバート・B・パーカー
- 『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』 村上春樹・編訳
- 『エマ』 ジェイン・オースティン
灰色の嵐
ロバート・B・パーカー/加賀山卓朗・訳/早川書房
かつて『悪党』でスペンサーを殺しかけた男、グレイ・マン(灰色の男)ことルーガーがふたたび敵として再登場するシリーズ第三十六作。
この小説は序盤のプロットがものすごい。なにやらセレブな富豪夫人からボディガードの仕事を頼まれたスペンサーが、スーザン同伴で、なかばバカンス気分でその人の娘の結婚式の開かれる島へと訪れると、そこになんとグレイ・マンが登場。マシンガンをもった部下を引きつれて、嵐の日の結婚式に乱入、花婿を射殺したうえで花嫁を誘拐するという暴挙に出る。
さしものスペンサーも多勢に無勢。なにより大切なスーザンの安全を第一と考え、手出しができない(いちおうスーザンを救い出すために敵をひとりやっつけはする)。かくして花嫁が誘拐されるのを手をこまねいて見送るしかなかったスペンサーが、汚名返上のため、ホークの助けを借りて誘拐事件の解決に乗り出す……というのが大まかなあらすじ。
今回は事件の当事者がセレブなために話が大ごとになって、なおかつグレイ・マンがかつて政府の仕事をしていたというので、スペンサーが懇意にしている政府機関の関係者がたくさん出てくる。警察のクワークとヒーリィ、FBIのエプスタイン、CIAのアイヴスら、司法関係の知人、総ざらいの感あり。なおかつ犠牲者が多いこともあって、スペンサーが調査におもむく先々の人々がいつになく協力的だ。こんなにスペンサーが多くの人に好意的な申し出を受ける事件ってのも珍しい気がする。
おもしろかったのは、これだけの大風呂敷をひろげておいて、クライマックスはもうスペンサーとグレイ・マンとの対決必至と思わせておいた割には、両者の最後の対決が思いがけない形をとること。序盤の傍若無人なまでの派手さ加減が嘘みたい。ヒューマニズムが前面に出た、パーカーらしいちゃぁ、らしい結末になっている。
おかげで印象的には、やや尻つぼみ気味かなぁという気がしなくもないけれど、スペンサー・ファンとしては、これはこれでありかなと思う。そんな作品。
(Nov 04, 2011)
私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー
村上春樹・編訳/村上春樹翻訳ライブラリー(中央公論新社)
レイモンド・カーヴァー全集の各巻に一編ずつ収録されたカーヴァーの人となりを伝えるエッセイを一冊にまとめたこのシリーズ独自編集の本とのこと。
エッセイの書き手はさまざまな作家や編集者や翻訳家……なんでしょう、おそらく。僕が知っているのはジェイ・マキナニーだけなので、あとの人のことはよくわからない(マキナニーは大学でカーヴァーの講義を受けていたとのこと)。せっかくだから、『ベスト・アメリカン・ミステリ』のように、作者ごとに紹介のひとつもつけてくれればいいのに。その点、この本はやや編集に親切心が足りないかなと思う。まあ、いまどき知りたけりゃインターネットで調べろって話なのかもしれないけれど。
この本で印象的なのは、語る人がすべて、カーヴァーのことを、人間としてとても惹きつけられる、魅力的な人物だったと語っていること。故人に好意を寄せていた人たちがその人を偲びながら書いているんだから、そうなるのは当然なのかもしれないけれど、書き手が作家仲間や編集者であるのを考えると、もっと作品論的なものになりそうなところが、そうはなっていないところがいい。カーヴァーの人柄のよさが偲ばれる。
彼らの言葉から浮かび上がるカーヴァー像は、茶目っ気のあるシャイでチャーミングな大男。この本を読むと、自分もそんなカーヴァーとお近づきになってみたかったと思えてくる(まぁ、一緒に食い逃げしようと誘われるのは勘弁だけれど)。
とにかく、文筆家としてのカーヴァーを高く評価する人たちの文章だけあって、それぞれに味わい深い素敵なエッセイばかり。それをこうやって一冊にまとめて読めるのは、ばらばらに読むよりもいい気がする。相乗効果でなおさらカーヴァーという人の人となりが鮮やかに浮かび上がってくる気がする。
そういう意味では、この翻訳ライブラリーの中では付録的な位置付けの一冊ながら、それでいて、もっとも存在意義のある一冊かもしれない。
(Nov 09, 2011)
エマ
ジェイン・オースティン/中野康司・訳/ちくま文庫
ひとりジェイン・オースティンの読書会その四、『エマ』。
ジェイン・オースティンの作品を読むようになって意外に思ったのは、この人の小説がどれもこれも非常にユーモラスなこと。なかでもこの『エマ』はこれまで読んだうちでも、もっともコメディ度が高い。
主人公のエマは絶世の美女ながら、なぜだか恋愛感情に関して鈍いところのある、いま風にいえば、空気の読めない人。自分に対して色目を使う野郎どもの男心に気がつかず、「ま、この人はこんなに私に親切にするというのは、私と仲のいいあの子にいい印象を与えたいのね」とか勘違いして、不釣合いな男女の仲を取り持とうとして、いらぬ波風を立ててしまう。
基本は善意の人であるエマのそんなこまったちゃんぶりが、この小説の肝だ。彼女がよかれと思っておこなう勘違いの数々に苦笑を禁じえない。
もうひとつ、ジェイン・オースティンの作品に強いコメディ色を加えているのが、登場人物の多くが抱いている十九世紀的な差別意識。人間の価値をその身分や財産の過多で判断してしまう人々の俗物ぶりもまた苦笑を誘う。
この小説ですごいのは、ヒロインのエマでさえ、そうした俗物性をネタに笑いを誘う作者の筆から逃れられていないこと。というか、彼女の勘違いの数々はもともと彼女の持つ貴族意識の高さゆえの偏見に裏打ちされている。それでも彼女の場合は、そうした欠点が持ち前の善良さと相殺して嫌味がなく描かれているところがいい。
封建的なその時代にあって、不公平な差別意識を持つ人々の愚かさを笑いのネタにできたジェイン・オースティンという女性の非凡さに、いまさらながら感銘を受けた。
(Nov 21, 2011)