2011年10月の本
Index
- 『煙の樹』 デニス・ジョンソン
- 『西巷説百物語』 京極夏彦
- 『魔群の通過 天狗党叙事詩』 山田風太郎
- 『マンスフィールド・パーク』 ジェイン・オースティン
- 『ペット・サウンズ』 ジム・フジーリ
- 『ベスト・アメリカン・ミステリ ジュークボックス・キング』 マイクル・コナリー&オットー・ペンズラー編
煙の樹
デニス・ジョンソン/藤井光・訳/白水社
基本的に僕は、戦争の話は苦手なんだけれど、これは四六版・上下二段組で六百ページをゆうに超えるボリュームときれいな装丁に惹かれて、
内容はベトナム戦争をめぐる群像劇。作者のデニス・ジョンソンがデビュー当時から二十年以上の長きにわたって書きつづけてきたものとのことで、ベトナム従軍中にJFKの暗殺を知った兵士たちの話から始まり、伝説的な叔父のもとで働くCIA諜報部員や、現地でユニセフのボランティアとして働くカナダ人女性、CIAの作戦に協力するベトナム人など、相互に絡んだ登場人物からなる、いくつかのエピソードが断続的に語られてゆく。
特徴的なのは、戦争の話とはいいながら、戦闘シーンがほとんどないこと。主要な登場人物には前線に立つ兵士はひと組の兄弟しかいないし、そんな彼らも従軍してからまったく戦闘を体験しない。兄は結局一度も戦わないまま退役してしまうし、弟も最初の一年間、一度の戦闘も体験することがない(つまり人を殺したことがない)。
でも、弟のほうは故郷に帰るのがいやで、懲役を延長してもう一年ベトナムに残ることにしたとたんに、初めての銃撃戦に巻き込まれる。この皮肉な展開がとても効いている。戦場にいながら、それまでの日常生活の延長線上にあるような平凡な毎日を送っていた彼が、突如、戦争という非日常を体験して、仲間を失い、自らは殺人者となる。そんな数少ない戦闘シーンには、少ないがゆえの、なんともいえない緊張感がある。
ただ、いずれにせよ戦争そのものにまつわる描写は少なめで、メインとなるのはベトナムにいながら、自らは銃をとることのない人たちの物語。しかも、ほとんどが駄目人間ばかりという。
この小説は戦争に関わりながらも戦わない(戦えない)人たちを描くことで、ベトナム戦争がいかに不毛だったかを浮かび上がらせているように見える。そういう意味では、ベトナムからの早期撤退をもくろんだというJFKの暗殺から物語が始まるというのは、この長大な物語の突端としては、とてもよく考えられているんだなと思った。
いわばこれは、責任者不在の戦場で、それゆえ右往左往する人たちの物語。その凡人目線にはけっこう共感できるものがあった。ま、タイトルである「煙の樹」(CIAの作戦名)がどういう作戦なのかは、情けなくも、よくわからなかったけれど。
(Oct 20, 2011)
西巷説百物語
京極夏彦/角川書店
巷説百物語シリーズの第五弾は、なんと主人公が又市ではなかった。
まあ、又市が出てこないというわけではないけれど、出番は最後の一話のほんのちょいだけ。そこまでの主人公は霞船の林蔵。
ところでその林蔵って誰?……とか思ってしまう俺の、なんて駄目なことよ。とほほ。
昔の自分の感想を見てみて、ようやくそれが前作『前巷説百物語』に登場して、若き日の又市と行動をともにしていた仲間だったことを知りました。おぉ、そうだったのか。役に立つな、過去の俺。
なんにしろ、というわけで、この作品に関してはまるで駄目。いや、作品が駄目なわけではなく、過去からの流れがまったく読み取れない自分が駄目。序盤の読み切り色の強い作品は、それでもまあいいのだけれど、本書のクライマックスである最後の『野狐』は、完全に前作の内容を踏襲した話だけに、おいしいところを味わい損なってしまった感ありあり。あぁ、駄目だ、駄目すぎる。
主人公が又市でないためか、作品の構造も若干これまでとは違っている。とりあえず、事件の真相があきらかになる直前まで、視点が事件の当事者側に固定されているという手法は、これまでにはなかったと思う(え、ありましたっけ?)。
まあ、そのせいで怪談を捏造するというこのシリーズならではの趣向がやや薄味になっている気がしなくもない。それでも、『陰摩羅鬼の瑕』を思い出させる人物造形が不気味な『鍛冶が嬶』(「かじがかか」……読めない……)とか、それまでの作品の構造を逆手にとって和ませる『豆狸』あたりが、僕はいいと思った。
惜しむらくは、やはりこれまでのシリーズの流れをまったく覚えていないことだよなぁ……。なまじ、あれこれ伏線が張り巡らされている感があるので、それを読みきれない自分が口惜しい。やはりこのシリーズはいずれ全作通して読み返さないといけない。
ということで、これから読む人は、必ずや『前巷説百物語』を復習してからどうぞ。
(Oct 20, 2011)
魔群の通過 天狗党叙事詩
山田風太郎/ちくま文庫
ときは幕末。尊皇攘夷を訴えて武装蜂起した水戸藩の過激派が、苦境に追い込まれたあげく苦肉の策として、天皇への直訴を願って京へと南下していったという。いわゆる天狗党の乱(または元治甲子の変)という史実を風太郎流にアレンジしてみせた歴史小説。
山田風太郎の小説は基本エログロだというようなことをちょっと前に書いたけれど、この小説は史実をもとにしているため、それほどエロくもグロくもない。まあ、どちらもぜんぜんないってわけではないし──過酷な道中に美女を同行させて、お色気を加えるあたりはいかにも風太郎らしい──、最終的には百人を超える侍たちが斬首されるという話なので、ある意味グロいっちゃ、グロい。血なまぐさい。でもそこは史実どおりだというんだから、その血なまぐささは風太郎先生のせいじゃない。
なにしろ、そんな話だから、この小説はとにかく重い。これまでに僕が読んだ山田風太郎の作品ではいちばん悲壮感の強く漂う作品だと思う。わけあって生き延びた事件の当事者のひとりが当時の思い出を語って聞かせるというスタイルをとっているため、文体的にややとっつきにくいというのもあって、序盤はいまいち乗り切れなかった。風太郎先生の小説を読みにくいと思ったのもひさしぶりな気がする。
ということで、おそらくこれは風太郎の諸作品のなかでも、もっともエンタメ色の薄い作品のひとつではないかと思う。でも、それゆえに独自の凄みがある。それもたっぷりと。そんな作品。
(Oct 25, 2011)
マンスフィールド・パーク
ジェイン・オースティン/中野康司・訳/ちくま文庫
ひとりジェイン・オースティンの読書会その三、『マンスフィールド・パーク』。
この作品はこれまでに読んだジェイン・オースティンの三作品のなかでは、いちばん「やめられない止まらない度」が低かった。
それというのも、主人公のファニーがおとなしすぎるため。
少女時代に貧乏人の子沢山な実家から、金持ちの親戚のうちに引き取られた彼女は、その貴族の屋敷でほとんど誰からもかまわれないまま、善良ながらも地味で目立たない女性へと成長してゆく。
彼女に気を使ってくれるのは唯一、次男のエドモンドだけ。ただ、そのエドモンドが思慮深く良識ある青年だったがために、ファニーは彼の薫陶をうけて、とてもいい趣味をした女性と育ってゆく。で、当然のごとく、エドモンドに熱烈な恋心を抱く。
とはいえ、エドモンドは彼女にとって、恩人と言うべきバートラム家の次男だ。財産なしのファニーには、彼との結婚など望むべくもない。当のエドモンドも彼女のことを妹のような存在とみなし、ひとりの女性としては見ていない。
かくして、エドモンドがほかの女性(美しくも俗物なメアリー)にのぼせあがり、ファニーはその姿に胸を痛めながらも、一途に彼を愛しつづけるという構図ができあがる。で、この状況が延々とつづく。
なにせ彼女は受け身でおとなしい性格なので、自分のエドモンドへの熱い片想いを表に出したりしない。そもそも最初から身分違いなので、まわりはファニーがそんな大それた恋愛感情を抱いているとは想像だにしない。エドモンド本人さえ、ファニーが自分に恋しているとは思っていない。
つまりファニーの恋を知っているのは本人(と読者)のみ。エドモンドとファニーとメアリーの三角関係も、ファニーひとりがその胸に秘めているだけで、世間的にはまったく成立していない。そんな状況が本編のほぼすべてに渡って、延々とつづくのだった。あ~、じれったい。
それでも後半、そんなファニーが意外な人物に見初められ、物語はようやく大きく動き出す。そのくらいまで読めば、この作品もこれまでのジェイン・オースティンの作品と同様、やめられない止まらないって感じになる。そしてページ数が残り少なくなってなお、ファニーとエドモンドの恋の行方になんの進展も見られないことに驚いていると、唐突に思わぬ大事件が巻き起こり、物語はかなり強引な展開で、なし崩しの大団円に……。
まあ、ファニーという女性の徹底的に受け身な人物造形には、最後までいまいち共感できなかったものの、終わってみれば、これはこれでおもしろかった。
それにしてもジェイン・オースティンの小説って、主人公が好きになる男性がいまいちぱっとしない気がするんだけれど、そんなことないですか?
(Oct 26, 2011)
ペット・サウンズ
ジム・フジーリ/村上春樹・訳/新潮社(クレスト・ブックス)
村上春樹が翻訳した、ロックの名盤『ペット・サウンズ』の評論本。
──ってことで、発売とともに迷うことなく購入した本だったけれど、考えてみれば、僕はビーチ・ボーイズのCDって一枚も持ってなかったんだった。
『ペット・サウンズ』というアルバムに関しても、アナログ時代に聴いちゃあいるけれど、特別好きというわけではない。そもそも、収録曲のタイトルさえ、ほとんど知らない。『ペット・サウンズ』というタイトルのインスト・ナンバーが入っていることさえ、今回初めて知ったくらいなもので。
この本の解説において春樹氏は、(極論だと断った上で)「世の中には二種類の人間がいる。『ペット・サウンズ』を好きな人と、好きじゃない人だ」と語っているけれど、だとするんならば、残念ながら僕は春樹氏とは違う種類の人間だということになる。
そんなわけで、『ペット・サウンズ』を中心に初期のビーチ・ボーイズの作品について熱く語るこの本は、僕にとってはそれほど楽しめる内容ではなかった。とにかく語られている個々の曲がどんな曲かのかもわからないんだから、話にならない。『ペット・サウンズ』に入っている曲や超メジャー曲はまだしも、それ以外はちんぷんかんぷん。しかも、それらもけっこう曲数があるので、わからないことがそれなりのストレスで困りもんだった(いまから思えば、YouTube を検索すれば、ほとんどの曲が聴けるんだろうに。読んでいるあいだは思いつきもしなかった)。
知っている曲にしても、書き手が音楽の基礎知識がしっかりした人らしく、AメジャーからCメジャーへどうたらこうたらと、コード進行を説明していたりするところも多くて、なおさらとっつきにくかった。楽譜も読めない俺には、んなのわかんないって。
この本で意外性があったのは、作者がブライアン・ウィルソンの書く歌詞にけっこう強く共感していること。ビーチ・ボーイズというと、どうにも楽観的なイメージがあって、歌っている内容には深みがないものと思い込んでいたけれど、この本を読むと決してそんなことはないらしい。少なくてもこの本の作者には深い感銘を与えている。
やはり優れたポップ・ミュージックは、優れた言葉がともにあってこそ、長い年月を超えて聴きつづけてゆかれるってことなんだなぁと。改めて、もっとちゃんと音楽に乗った言葉にも耳をすまさないといけないと思わされた。
(Oct 27, 2011)
ベスト・アメリカン・ミステリ ジュークボックス・キング
マイクル・コナリー&オットー・ペンズラー編/古沢嘉通・他訳/ハヤカワ・ミステリ
ハヤカワ・ミステリ版のベスト・アメリカン・ミステリの第二弾。
僕が読んだことのある作家では、ジェイムズ・クラムリー、エルモア・レナード、ウォルター・モズリイ、ジョージ・P・ペレケーノスの作品が収録されている。
読んであららと思ったのが、ウォルター・モズリイの『ラベンダー』。これは黒人探偵イージー・ローリンズ・シリーズの短編で、あのシリーズで起こった重大事件の後日談を描いている。
僕は二作目の『赤い罠』までしか読んでいないので(その後が文庫化されるのを待っているうちに、シリーズ自体が立ち消えになってしまった。まったく最近の早川書房ときたら……)、その後の非常に重大なエピソードがネタばれになってしまっている展開に、おいおいちょっと待てって感じだった。
ペレケーノスの作品『哀願する死者の目』もワシントン・サーガの枝エピソード。主人公は
その他にも読みごたえのある短編はいくつもあったけれど、今回はあいにく僕の側があまり短編ミステリな気分でないときに読んでしまったので、全体的な印象が散漫で、すでに内容をおぼえてない作品も多数。残念ながらあまりいい読み方ができなかった。もったいないので、つづきを読むのはしばらく先にしたほうがよさそうだ。
(Oct 30, 2011)