2010年3月の本
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数えずの井戸
京極夏彦/中央公論新社
京極夏彦が有名な怪談を独自の視点から語り直してみせる『嗤う伊右衛門』、『覘き小平次』 につづくシリーズ第三弾。今回の題材は、かの有名な番町皿屋敷。
まあ、有名だとは言っても、夜ごと井戸から出てきたお菊さんの幽霊が「いちま~い、にま~い」と皿を数えるという部分以外、この怪談を詳しく知っている人なんて、僕のまわりにはひとりもいないと思うし(もちろん僕自身も知らない)、だからこの話のどこからどこまでが京極夏彦によるオリジナルなのかは、てんでわからない。ウィキペディアで「皿屋敷」の解説を読んでみた限りだと、人物設定などはかなりいじってある感じがする。
いずれにせよ、このシリーズの特徴である、怪談を超常現象はいっさい抜きで、さまざまな人々の織りなす愛憎劇として語り直すというスタイルはいままで通り。
ただし、今作は 『数えずの井戸』 というタイトルをつけたことにより、いくぶん方向性が変わった気がする。「井戸」が象徴する穴があいた状態と、「数える」という行為が生み出すところの欠落感──数えるからこそ足りなくなるというパラドックス──、タイトルに掲げたこれらのキーワードにとことんこだわった心理描写のくどさは、どちらかというと京極堂シリーズでおなじみのものという気がする。
とはいえ、この作品には京極堂シリーズにおける憑き物落としのようなカタルシスはない(かなり血なまぐさいカタストロフはあるけれど)。その点は正直、もの足りない。もともとが新聞の連載小説だった弊害だろうか、クライマックスで菊の母親らが惨劇の場に駆けつけるところなど、まったくつじつまがあっていないし(菊は身分を偽って奉公しているのだから、その死の直後に親元に知らせが届くという展開は不自然すぎる)、残念なことに終盤のまとめがいまいちな気がした。
このシリーズは着想の素晴らしさで半分がところ読めてしまうけれど、この作品に関しては、願わくば、あと少し推敲を重ねて欲しかったかなと思う。
(Mar 01, 2010)
拳闘士の休息
トム・ジョーンズ/岸本佐知子・訳/河出文庫
アメリカの短編作家、トム・ジョーンズ──『恋はメキ・メキ』 の人と同姓同名かと思ったら、英語のつづりが違った(この人はトム・ヨークと同じ Thom で、歌手のトムさんは Tom)──の処女短篇集。デビュー作とはいっても、原書が刊行されたのは93年だそうだから、かれこれ20年近いキャリアのある作家らしい。そのわりには作品は少ないみたいだけれど。
僕はこの人のことを、村上春樹が 『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』 で取り上げていたエッセイを読んで知った。で、たしかそれがよかったもんで、ずっと小説も読んでみたいと思っていたんだった。すでにどんなエッセイだったかは忘れたけれど(記憶力に難あり)、そのころ絶版だったこの短篇集が最近になって文庫で復刊されることになったと知って、すぐに「お~」と思ったんだから、さぞや好印象だったんだろうと思う(──って、他人事のようですが)。
で、いざ読んでみると、なるほど全米図書賞ノミネートにオー・ヘンリー賞受賞という経歴の持ち主だというのもうなずける出来映え。アマチュア・ボクサーとして活躍して、なおかつその後遺症として癲癇持ちになってしまったという異色の経歴の持ち主らしいけれど、そうした体育系のバックグラウンドを感じさせる、とても力強いタフな語り口のなかにも、そこはかとない優しいまなざしが感じられるところが好印象だった。
第一章にベトナム戦争を扱った作品が三編ならんでいるので、戦争ものが苦手な僕には、初めのうちはややとっつきづらかったけれど、その後はバラエティも豊かになって、最後までとても楽しく読むことができた(まあ、現代文学のつねで、あまり「楽しい話」はないけれど)。文体的にはかなり男性的なイメージなのに、潜水夫の恋人の話や末期ガンに苦しむ老婦人の話など、女性を主人公にした作品を書いているところにも意外性があった。
(Mar 14, 2010)
ジーザス・サン
デニス・ジョンソン/柴田元幸・訳/白水社
つづけてもう一冊、初めて読むアメリカの現代作家の短篇集。著者の名はデニス・ジョンソン。
ひとつ前に読んだトム・ジョーンズと同じく、この人のエッセイも村上春樹の 『日曜日は最悪だとみんなは言うけれど』 に載っていた──のだそうだけれども、僕はまるでおぼえていない。同じく春樹氏訳の 『バースデイ・ストーリーズ』 に短篇が収録されていたのは、なんとなくおぼえているけれど、内容的にそれほど惹かれた記憶はない。
ということで、これを読むことにしたのは、春樹氏が過去に訳したことのある人だからというよりは、訳者が柴田元幸さんだというのが一番の理由だった。まあ、装丁がいい感じだし、現代英米文学をゆるくフォローしている身としては、もしかしたらほかの人が訳していても読んだかもしれないけれど。実際、この人の最新作 『煙の樹』 を、この本を読みもしないで、雰囲気だけで買ったくらいなので(そっちはいつになったら読めるんだか、わからないけれど)。
なんにしろそんなわけで、このデニス・ジョンソンは村上、柴田両氏のお墨つきなわけだけれども、残念ながら僕にはこの短篇集はいまいちぴんとこなかった。
印象としては、ビートニク的なセンスを持ったやさぐれレイモンド・カーヴァーともいった感じ。カーヴァー的かなと思って読んでいると、ラストでいきなりラリったかのように、それまでの文脈からはずれた唐突な独白が飛び込んでくる。あの感覚は個性的だけれど、僕としては、いまいち感覚的にあわなかった。少なくてもいまの気分じゃなかった。
いずれこの文体で上下二段組・650ページもある単行本、『煙の樹』 を読むのかと思うと、ちょっと不安。
(Mar 20, 2010)