2006年12月の本
Index
- 『魂よ眠れ』 ジョージ・P・ペレケーノス
- 『バッド・ニュース』 ドナルド・E・ウェストレイク
- 『浮世の画家』 カズオ・イシグロ
- 『ボトムズ』 ジョー・R・ランズデール
- 『ドラマ・シティ』 ジョージ・P・ペレケーノス
魂よ眠れ
ジョージ・P・ペレケーノス/横山啓明・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
黒人探偵デレク・ストレンジを主人公とするシリーズ第三弾。
物語のはじまりは、前作『終わりなき孤独』にちょっとだけ出てきた黒人ギャングのグランヴィル・オリヴァーが逮捕され、死刑を求刑されているという状況下。オリヴァーの父親を殺したかなんかで、オリヴァーがギャングになったことに対してある種の罪悪感を抱いているストレンジは、この男の減刑のために尽力している。そんな時に、オリヴァーが仕切っていた縄張りでしのぎを削る二つの麻薬密売グループのうちの片方に関係する男が、ストレンジに人探しを依頼しにくる。彼は相手がろくでもないチンピラだと知りつつも、金のために仕事を引き受け、テリー・クインとともに依頼された女性を探し出すのだけれど、ところがその女性が彼らの依頼人により殺害されてしまい……、という話。
前作では罪のない子供が犯罪に巻き込まれて命を落とすという痛ましい事件を描いてみせたこのシリーズ。今回は逆にシングルマザーが殺害され、その子供がひとり孤児となって残されるという事件を描くことで、アメリカ社会の問題をあぶり出そうとしているように見える。ただ、その一方で、いつもどおりギャングの側の日常もたっぷりと描いてしまっているせいで、社会的な問題を扱おうとしているのか、エンターテイメント路線のクライム・ノベルを狙っているのか、中途半端でわかりにくい作品になってしまっている気がする。どうにもここしばらくのこの人の作品は、出来がいまひとつに思えてしかたない。
でもじゃあ読まないでいいかというと、そうも言えない。少なくてもいままでの作品を読んできた人ならば、読まないわけにはいかない作品ではある。最後の最後になって、シリーズの流れを大きく変える、重大な事件が起こるからだ。なんてこった。ペレケーノス、ちょっとばかり思い切りがよすぎる気がする。
シリーズものと言えば、『友と別れた冬』などの主人公、ニック・ステファノスがちょい役で登場して、しばしのあいだストレンジと行動をともにしている。この二人の関係は今後の作品でも続きそうな雰囲気だ。もっと大々的に絡んでくれば、それはそれで楽しい。
(Dec 03, 2006)
バッド・ニュース
ドナルド・E・ウェストレイク/木村二郎・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
不運な天才泥棒ジョン・ドートマンダーと仲間たちのすっとぼけた仕事ぶりを描くコメディ・シリーズの第十弾(ただし第七作のみはまだ翻訳されていない模様)。
今回のドートマンダーは、金に困って、ケルプが持ちこんできた、ろくでもない半端仕事を引き受けることになる。それは、あるアメリカ原住民の墓をあばいて、別の墓の棺桶と入れ替えるというもの。依頼してきたのは二流の詐欺師、ギルダーポストとアーウィンの二人組。ケルプを甘く見て、あとあと始末すればいいという腹積もりで仕事を頼んだこの二人だったけれど、見込み違いで痛い目をみることになる。なんたって相手は、金こそないし、見た目も冴えないけれど、こと犯罪に関しては華々しい経歴の持ち主であるドートマンダーたちだ。中途半端な仕事ばかりしている詐欺師ごときにあざむけるはずがない。
ギルダーポストたちの計画というのは、美女リトル・フェザー・レッドコーンに自分は死に絶えたポタクノビー族の末裔だと偽らせて、居留地でカジノを営むネイティブ・アメリカンの部族に取り入り、彼らが稼ぎ出している巨額の富の一部をせしめようというもの。ポタクノビー族の一員だということを証明するためのDNA鑑定を誤魔化すため、棺桶を入れ替えようというわけだ。本物のポタクノビー族の墓のなかに眠っているのは、ポタクノビーとは縁もゆかりもないリトル・フェザーの祖父の遺体ということになる。
見込みありと見たドートマンダーたちは、タイニーを誘って無理やりその計画に加わることにする。けれど自分が泥棒であることにプライドを持っているドートマンダーは、詐欺という仕事がどうにも気に食わない。なんで俺はここにいるんだと、始終嘆き続けてばかりいる。そんなわけだから、物語のクライマックスは当然、彼が持ち前の才能を発揮する機会を与えられる350ページ以降だ。そこまで来てようやくマーチと彼のママも登場、お馴染みの<OJバー&グリル>でのミーティングが開かれることになる。
ひさしぶりに読むこのシリーズだけれど、いや、これがとても楽しかった。ウェストレイクのひねりまくったユーモアのセンスがたまらない。文章の隅から隅まで、どこもかしこもユーモアが効いている。ひさしぶりに読んでみて、こんなに上手い小説を書く人だったんだと、あらためて感心してしまった。こういう小説はおそらく日本ではまずお目にかかれない。やはりこの人の作品はもっとちゃんと読まないといけないと思わされた。未読の翻訳はリチャード・スターク名義のものも含め、手に入るものは手に入るうちにさっさと手に入れておきたい。
(Dec 10, 2006)
浮世の画家
カズオ・イシグロ/飛田茂雄・訳/ハヤカワepi文庫
日本生まれの日系イギリス人作家の手による、戦後直後の日本を舞台にした文芸作品。
主人公の小野益次は西洋画の大家として知られている人で、いまは末の娘・紀子と二人暮し。妻と娘ひとりを戦争で亡くし、上の娘・節子は遠方へ嫁いでいる。かつてはおおぜいの弟子たちの尊敬を一身に受ける身であったけれど、戦争中に軍部の愛国キャンペーンに協力したりしたために、反戦主義者の一番弟子と反目する仲となってしまい、いまは仕事からも足を洗って、孤独な日々を過ごしている。そんな彼が娘のお見合いの進展に気をもみつつ、もしや自分の経歴がその見合いに影響を及ぼしているのではないかと疑ったことから、自らの半生を回顧してゆく、というのがこの小説の概要。特別な事件が起こるでもない、きわめて地味な作品だ。それでいて飽きさせないのは、カズオ・イシグロの一番の特徴である、信用できない語り手がつむぎだす玉虫色の物語ゆえだろう。
とにかく人々が自分自身について語ることなんて、そうそう信用できることではないんだと。カズオ・イシグロは常にそういう視点から小説を書いている。この小説でも語り手の小野の独白は、どうにも信用しきれない。彼は自分を重要戦犯のひとりのようにみなしているけれど、娘たちの様子からは、ちょっとばかり自分を買いかぶっているだけではないかという雰囲気が伝わってくる。もちろんそれだって彼自身が「娘たちは……」と語っているわけだ。画家として成功を収めたことは間違いないようだけれども、そのくせ家には自身の作品がまるでなかったりする。孫に「お祖父ちゃんの絵を見せて」と言われて、なぜか歯切れが悪い態度を取っているのを見ると、実はその業績さえもあやしいのではないかと疑いたくなってくる。
とにかく一人称で語られる主人公の言葉がどれだけの真実を含んでいるのかが、読者にはわからない点。これがやはりこの人の作品の肝だ。そうした信用のおけなさがイシグロの作品全般に、なんとも言えない微妙な味わいを与えている。次回作である『日の名残り』でこの手法が見事に開花することになるわけだけれど、この作品でもすでにある程度、その道の半分以上には達しているという感じを受けた。
日本が舞台で、登場人物もすべて日本人だから、あまり翻訳小説を読んでいる気がしないけれど、それはそれだけ翻訳がこなれているということの証拠だろう。良い翻訳に恵まれた、なかなかいい小説だと思う。
(Dec 17, 2006)
ボトムズ
ジョー・R・ランズデール/北野寿美枝・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞を受賞したという本作。僕はなぜかその肩書きを新人賞と勘違いしていて、この本を読むまでジョー・R・ランズデールという人を新人作家なのだばかりと思い込んでいた。で、読みながら、若いわりにはずいぶんすごい小説を書く人だなと感心していた。
これが大間違い。この人、デビューしたのは1980年で、新人どころかもう四半世紀のキャリアを誇るベテラン作家だそうじゃないか。とんだ勘違いをしていたもんだ。
物語の舞台となるのは1930年代のアメリカ南部。いまだ人種差別の風潮が色濃く残るその土地にあって、語り手のハリーは平等主義者の両親に育てられた十一歳の少年だ。ある夏、彼は妹のトム(トマシーナの愛称)とともにその土地“ボトムズ”に住まうという伝説の化け物ゴート・マンを目撃し、なおかつそれから逃げる途中で惨殺された黒人女性の全裸死体を発見する。その後も同じ手口で殺された被害者の遺体が次々と発見されるのだけれど、証拠は皆無で犯人は見つからない。父親が理容師のかたわら地元の治安官を兼ねていたことから、その事件に深くかかわりを持つことになったハリーは、事件が巻き起こした騒動のなかで、その地に根づいた人種差別問題の深刻さを思い知らされることになる。
博愛主義者の父親に育てられた幼い兄妹の視点からアメリカ南部における人種差別の問題を描いた作品といえば、真っ先に思い出すのは『アラバマ物語』だ。僕はこの小説を読んでいるあいだ、これはきっとあの名画(もしくはその原作)を下敷きにして、そこに猟奇連続殺人という現代的なモチーフを加えてみたらおもしろかろうというアイディアによって生み出された小説なんだろうと思っていた。
でもそれもどうやらあやしい。解説によるとランズデールという人は、終始人種差別問題をテーマに小説を書いてきた人なのだそうだ。だからこれは、たまたまそのうちの一作が、少年を主人公にしたことにより『アラバマ物語』的なシチュエーションになってしまったという作品なのかもしれない。まあ、あの作品の知名度を考えると、まったく意識していなかったとも思えないけれど。
ミステリと言うわりには、探偵不在のまま、なりゆきで事件が解決してしまうので、最優秀長編賞という肩書きを頭に置いて読むと、肩透かしを食った気分になるかもしれない。ただ、少年を主人公にした小説として、ミステリだなんて思わないで読む分には、とてもよく書けていると思う。女性の腐乱死体が転がり、謎の化け物が跋扈する森のなかに踏み込んでいく少年の恐怖心がひしひしと伝わってくる。主人公一家も生き生きとしていてとても魅力的だし――特に威勢のいいおばあちゃんが素敵だ――、なかなか気に入った。機会を見つけてこの人のほかの作品も読んでみたいと思う──とかいっているから、どんどん読むべき本が増えてしまうのだけれど。
(Dec 23, 2006)
ドラマ・シティ
ジョージ・P・ペレケーノス/嵯峨静江・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
元犯罪者の動物虐待監視官ロレンゾと彼の仮釈放監察官レイチェル・ロペス。そしてロレンゾのかつての親友がボスをつとめるドラッグ密売組織と、その対抗勢力である別グループ。以上四組の物語を平行して語りつつ、ワシントンDCにおける犯罪グループ同士の不毛な抗争の顛末を描くクライム・ノベル。
縄張り争いを繰りひろげる二つのドラッグ密売グループが、馬鹿な下っ端の考えたらずな行動のせいで殺し合いになるというこの小説、つい先日読んだストレンジ・シリーズの『魂よ眠れ』とかなり内容がかぶっている。おかげであまり新鮮さが感じられなかった。どうせならばもっと間をあけて読めばよかった。
それにしてもアメリカにはペットの虐待を監視するための行政組織なんてものがあるんすね。ダン・シモンズの『ダーウィンの剃刀』で事故復元調査員について知った時にも思ったことだけれど、そういう珍しい職業を営む人々の生活を、いきいきとした描写により垣間見られるというのも、小説を読む楽しみのひとつだと思う。
ちなみにタイトルとなっている「ドラマ・シティ」というのは、ワシントンDCの「DC」に対する語呂合わせ。「DC」の本当の意味は「コロンビア特別地区」(The District of Columbia)の略とのこと。常識ですかね。
(Dec 30, 2006)