2006年9月の本
Index
- 『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』 スーザン・A・クランシー
- 『人類はなぜUFOと遭遇するのか』 カーティス・ピーブルズ
- 『最期の喝采』 ロバート・ゴダード
- 『意味がなければスイングはない』 村上春樹
- 『最後の晩餐の作り方』 ジョン・ランチェスター
なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか
スーザン・A・クランシー/林雅代・訳/ハヤカワ文庫NF
隔週で『XファイルDVDコレクション』を見始めてかれこれ一年半。いよいよこの長大なシリーズも残り2シーズンというところまできた。年内で完結だなあと、ちょっとばかり名残惜しく思っている時に刊行されたのが、この文庫本。エイリアンの表紙のおもしろさとタイトルに惹かれて、つい購入してしまった。積読が七十冊を超えている現状では、かなり脱線気味だけれど、まあ、興味をおぼえてしまったのだから仕方ない。『Xファイル』完結直前企画第一弾ということで。
この本はまさにそのタイトルどおりの内容だ。エイリアンに誘拐されたと信じる人たちを研究対象とする心理学者が、彼らがそう信じるようになった理由を心理学的な見地から説明して見せている。とてもわかり易くて、それなりにおもしろい本だった。
簡単に結論だけ要約してしまえば、エイリアンによるアブダクションというのは、説明できない不可解な経験に対する説明装置として機能する一方、ある種の選民思想の役割を果たしている、ということになるのだと思う。前者は京極夏彦氏がよく引用する「妖怪とはなんぞや」という民俗学的な説明とほぼ一致する。歴史の浅いアメリカならではの、現代的な妖怪話の一形態が、エイリアンによるアブダクションだということなのだろう。選民思想の方もある程度理解できる(本のなかでは「選民思想」という言葉は出てこないけれど)。ほかの人とは違う体験をしたということが、その人の人生に特別な意義を与えているわけだ。それは十分納得がゆく。あまり幸福なことだとは思わないけれど。
(Sep 18, 2006)
人類はなぜUFOと遭遇するのか
カーティス・ピーブルズ/皆神龍太郎・訳/文春文庫
『Xファイル』完結直前企画第二弾。前の本と違って、こちらのタイトルには名に偽りがある。この本を読んでも「人類はなぜUFOと遭遇するのか」なんてわからない。原題は "Watch the Skies!: A Chronicle of the Flying Saucer Myth" だから、直訳すれば『空を見ろ!~空飛ぶ円盤神話年代記~』といった感じ。それならば納得。まあタイトルとしては邦題の方が魅力的だとは思うので、別にケチをつけるつもりはないのだけれど。
とにかく英語のサブタイトルにあるとおり、本書はUFOにまつわる年代記だ。政府文書やUFO研究団体の資料をもとに、およそ50年にわたるその歴史を懇切丁寧にひもといてゆく。著者がUFOについてはスケプテイスト(懐疑論者)であるため、「驚け、こんな事実があるんだ」という感じではなく、「こんな風な事件があったと言われているけれど、真相はこんなところだ」というスタンスになっている。なのでUFOについて、エンターテイメント的にとらえてびっくり仰天したい、という人にはあまり向かない。結構お固い記述が多くて、興味本位の僕にはあまり楽しめはしなかった。真面目にUFOに関する基礎知識を充実させたいと思っている人が最初に手にとるにははうってつけの入門書だろう。
(Sep 18, 2006)
最期の喝采
ロバート・ゴダード/加地美知子・訳/講談社文庫
主人公のトビー・フラッドはそこそこ名前の売れた舞台俳優。公演旅行のため、離婚調停中の妻ジェニーの暮すブライトンへと出向いてきた彼は、彼女からストーカーに悩まされていると相談を受ける。問題のストーカーに会いに行った彼は、その男デリク・オズウィンの導きで、妻の婚約者オズボーンの一家にまつわる暗い過去の事件に巻き込まれてゆくことになる。
さすがゴダード、これまたおもしろい。ろくでもない話だなあと思いながらも、ページをめくる手が止まらなくなる。基本的には中年男性が自分の手には負えない事件に否応なく巻き込まれてしまって右往左往するという、いつもと同じような話だ。主人公の軽率すぎる行動には終始イライラさせられるし、口述筆記したという設定にはちょっと無理があるしで、出来はそれほどいいとは思わない。けれどそれでいて、読み始めるとやめられなくなるから不思議だ。個人的には、ロバート・ゴダードほどページターナーという言葉がぴったりの作家はいないと思う。
それにしても『ブライトン・ロック』を読んでから一ヶ月しないうちに、はからずも再びブライトンを舞台にした小説を読むことになるっていうのは、なんとなく不思議な巡りあわせだなあと思う。そんな地名、いままで気に留めたこともなかったのに。
(Sep 18, 2006)
意味がなければスイングはない
村上春樹/文藝春秋
村上春樹の音楽エッセイ集。『ポートレイト・イン・ジャズ』のような断片的なものではなく、ある程度まとまった分量の、読み応えのあるエッセイが十篇収録されている。
とりあげられているアーティストは、ジャズのシダー・ウォルトン、スタン・ゲッツ、ウィントン・マルサリス、ロックのブライアン・ウィルソン、ブルース・スプリングスティーン、スガシカオ、ウディー・ガスリー、クラシックのシューベルト、ゼルキン、ルービンシュタイン、フランシス・プーランクという顔ぶれ。それらが偏りなく、ジャズ、ロック、クラシックの順番で繰り返すように並べてある。良い音楽を偏見なく楽しむ、という春樹氏の姿勢がわかりやすい形で反映されたものなのだろう。
しっかり資料を調べてから書きました、みたいなものも何篇かあるけれど、どちらかというとそういうものはあまりおもしろくなかった。ミュージシャンの経歴の紹介がメインになっているものよりは、知らないミュージシャンでもいいから、その人やその音楽を春樹氏がどう思っているかにフォーカスしたものの方ががおもしろく感じられるのは、ある意味では当然かもしれない。
やはり個人的に一番興味深かったのはスプリングスティーンとスガシカオについての文章。特にスガシカオの歌詞について、その「文体」の特異性を分析して見せたくだりには非常に感心させられた。わが家にあるにもかかわらず、これまでまともに聴いたことのなかったスガシカオのアルバムを、思わず引っぱり出してきて聴いてしまった。
(Sep 18, 2006)
最後の晩餐の作り方
ジョン・ランチェスター/小梨直・訳/新潮文庫
料理と人文科学に関して豊富な知識を誇る饒舌な美食家(フランス在住のイギリス人)が、春夏秋冬のお薦めメニューを紹介しつつ、自らの家族にまつわる思い出を語って聞かせるという趣向の、ブラック・ユーモアあふれる長編小説。
この小説に関しては翻訳への違和感がすべてだった。ただでさえペダンティックで、文節が途切れ目なく続く読みにくい文章を、ですます調の口語体と文語体をないまぜにした、体言止め多用の訳文で読ませられるのは苦痛以外のなにものでもなかった。とにかく僕はこの翻訳の文体が駄目だ。読んでいて生理的に気分が悪くなってしまった。
語り手が口述筆記した文章という設定だから、わざとそんな文体にしてみせたのかもしれない。けれどこれだけの知識を誇り、きわめて自意識の強い人物が、たとえ口述とは言え、こんな出鱈目な文章を書くはずがない。基本的に敬語表現のない英語の翻訳において、口語体と文語体をないまぜにした文体を選択するということ自体、とても間違ったことだと僕は思う。内容的がなかなか個性的なだけに、これがきちんとした文体で訳されていたらもっと楽しめたのではないかと、残念でならなかった。
(Sep 24, 2006)