2017年4月の音楽

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  1. 俺の道 / エレファントカシマシ
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  3. / エレファントカシマシ

俺の道

エレファントカシマシ / CD / 2003

俺の道

 このアルバム、個人的にはもっとも好きなエレカシのアルバムのひとつなんだけれど、リリース前の期待はこれまた低かった(そんなのばっかりだな、俺)。
 その理由も前作といっしょで、先行シングルに難があったから。
 だって『生命賛歌』、『俺の道』、『ハロー人生!!』の三枚同時リリースってさぁ。しかもカップリング曲はみんなおんなじ『ろくでなし』ってのはいったいなんなですかね。もうちょっと普通にできないもんなのか。
 三曲とも曲としては好きだけれど──とくに『生命賛歌』はこの時期最強のロック・ナンバーだと思う──シングルで切るにはちょっととっつきにく過ぎる。まるでエピック期に戻ってしまったかのよう。
 僕はエピック時代のエレカシが大好きだけれど、それでもあの時期のシングルの切り方には大いに疑問を感じつづけていたので、ここでふたたびそのころの感じに戻ってしまったのには歯がゆい思いが否めなかった。ポニーキャニオンで売れ線ばかり狙っていたバンドが、あれからわずか二、三年でどうしてこうなっちゃうのかなと不思議でしょうがなかった。
 おまけにこのアルバムはコピーコントロールCDでリリースされた。CDコレクターの僕はそうした風潮には批判的だったし、そんなのどうせすぐに廃れると思っていたので(実際にあっというまに廃れた)、そんな風にはんぱに時流にのる姿勢が気に入らなかった。
 まぁ、エレカシというバンドは、ことセールスに関してはまわりのスタッフにまかせっきりって感じなので、レーベルの意向に逆らえなかった──というか、はなから逆らう発想さえなかった──ってことなんだろうなぁとは思うんだけど。
 いずれにせよ、そんなわけで僕は特にこれといった期待もなく、どちらかというと最初から批判的な目を向けてこのアルバムを聴いた。それなのに思いがけず大いに盛りあがってしまった。
 『浮世の夢』や『奴隷天国』のときもそうだったけれど、なまじ期待をしていないアルバムがよかったりすると、そのギャップでよけいに傑作に思えるというか、そういう傾向が僕には強いのかもしれない。
 とにかく、これは本当によく聴いた。たぶん僕がこれほど繰り返し聴いたエレカシのアルバムはいまのところこれが最後だ。
 このアルバムは先にあげた先行シングル3枚がそのまま並んだ冒頭部分から、ほぼそれ同等の音とメッセージの曲がずらりと並んでいる。
 『覚醒(オマエに言った)』で宮本は「三十七なり、俺の青春は終わったけれど」と歌っているけれど、自分がもう若くないことを自覚しながらも、その若くない自分を真正面から受け止めて、自然体でいまを歌った、そんな曲ばかりが聴ける。
 全体的にメジャーコードの曲が少ない点では『東京の空』に近い印象で、あのアルバムをいまいちといった僕が好きになるのはおかしい気もするんだけれど、この作品の場合はガリガリとしたラウドなロック・サウンドに等身大の歌詞を乗っけたその意匠が僕のつぼだったということだと思う。
 『good morning』のような打ち込み主体でも、『ライフ』のようにウェルメイドなバラードたっぷりでもない。外部の力を借りることなく、いまの四人だけで出せる最高のロック・サウンドに乗せて、三十代後半の自分たちが感じるリアルな世界観を歌ってみせた。そこんところがとにかく最高。これこれ、こういうエレカシがずっと聴きたかったんだよって、その当時の僕は喝さいを叫んだ(心のなかで静かに)。
 とにかくメロディー的にはエレカシ史上もっとも地味なアルバムだと思うし、ポニーキャニオン期や最近のポジティヴ路線が好きな人にとっては歌詞の面でも暗すぎるかもしれない。でもこれ、僕にはマジで最高のアルバムだった。
 あえていうと一曲だけどうにも納得がゆかない曲があるんだけれど(まぁそれについては多くを語りません)、それ以外は全曲大好き。とくに『勉強オレ』は『待つ男』などと並ぶ僕の人生のテーマソングのひとつといってもいい。あと、先に書いた『覚醒』がかつての『絶好の歌』のアンサーソング的なところもこたえられない。
 いずれにせよ、こんなに夢中で聴ける同い年のロック・バンドが日本にあるなんて、俺ってなんて幸せなんだろうって。心からそう思わせてくれた素晴らしき作品。
 そういや、隠しトラックが入ったエレカシのアルバムってこれが最初でしたっけね。そのボーナス・トラックだけが唯一売れ線の明るい曲になっているのも、この激渋作品にはふさわしいかなと思う。
 あぁ、なんか感想を書いていたら、その後に出た通常CDで買い直さないといけないかなって気がしてきました。
(Apr 02, 2017)

エレファントカシマシ / CD / 2004

扉

 エレカシを聴いていておもしろいなぁと思うのは、アルバムごとに必ず変化があること。三十年もおなじメンバーでやっていて、基本いつもと同じフォー・ピース・バンドとしての音を鳴らしているはずなのに、そのときの宮本の気分やプロダクションによって、ずいぶんと印象の違う音が出てくる。
 これがソロ・アーティストだったりすると、たとえばヴァン・モリソンやエルヴィス・コステロのように、今回はカントリーをやってみようとか、次はジャズだとか、ころころ趣向を変える人ってけっこういると思うんだけれど、ことバンドとなると、なかなかそうはいかない。メンバーの技量やバンドの個性が重要だから、おのずと表現の幅は限られてくる。
 プライマル・スクリームのようにアルバムごとにカラーの違うバンドもあるけれど、あそこの場合はフロントマンのボビー・ギレスピーの趣味の広さがそのまま音楽性に反映されていて、バンド自体にはこれといった明確なコンセプトがないのが個性という特殊な例だと思う。
 で、エレカシの場合はどうかというと、当然プライマルのような音楽性の広さはなくて、どっちかというと宮本以外のメンバーの嗜好はRC的なロックンロールからスタートした時点からさほど変化していないように思える。やっていることは基本的にはオーソドックスなロックンロールだ。印象的にはクラシカルなロックとオルタナティヴなものとの中間くらいの感触の音。それが古典側に振れたのがファーストだし、極端にオルタナ側に振れたのが『ガストロンジャー』という風に僕は思っている。
 エレカシは宮本のそのときの気分に従って、その両極を行ったり来たりしながら活動してきた。そしてそうした二面性は音だけの話ではなくて、歌詞にもいえる。『悲しみの果て』のポップさと『奴隷天国』の過激さのあいだを行ったり来たりしている。音楽的にも文学的にも二面性があって、その両者のバランスの配合でさまざまな顔を見せる──それがエレファントカシマシというバンドのおもしろさだと思う。
 このアルバムは宮本がEMI時代の三部作と呼ぶアルバムのうちのひとつだけれど、こうやって聴きかえしてみると、そんなエレカシの作品だけあって、ひとことで三部作とはいっても、それぞれに個性が違う。とくにこの『扉』には彼らの作品のなかでももっともストイックな印象を受ける。
 まずはその音。前作『俺の道』でのガリガリとしたハードなロック・サウンドから一転して、ここでのそれはディストーション控えめなナチュラルなエレクトリック・ギター・サウンドで統一されている。『一万回目の旅のはじまり』や『パワー・イン・ザ・ワールド』のようなハードな曲でも、ギターの音は思いのほか{ひず}んでいない。それでも十分に迫力たっぷりなのは、バンド全体の演奏力の向上ゆえだろう。ばかでかい音でギターをひずませてぶちかませばオッケーって、そういう安直さがないところに、ロック・バンドとしての成長を感じる。
 あと、歌詞の上でもこのアルバムの曲には、ストレートに思いのたけをぶちまけたというんではなく、考えに考えて書きましたって印象がある。
 アルバムのオープニングを飾る『歴史』がいい例で、森鴎外の生涯を歌にした珍しいこのナンバー(いまも昔も日本でこんな曲が書けるのは宮本だけだろう)、別のアルバム収録の『歴史前夜』と題したライヴ・テイクでは歌詞らしい歌詞がない。要するにまだ歌詞が決まらないうちからライブで演奏していたわけで、その一点をとっても完成するまでに紆余曲折があったとことがうかがえる。
 それにつづく『化ケモノ青年』、『地元の朝』、『生きている証』ではどれも両親のことを歌っているし、これらはそろそろ四十も近くなって、あらためて自らの出自を振り返ってみたといった楽曲なんだろうと思う。そういう意味では森鴎外について歌ったのも、自然発生的なものというよりは、自らの内側をのぞき込んで引っぱり出してきたテーマなんだろうから、同じ系統の楽曲といえる。
 どれもロックンロールの初期衝動をそのまま歌にしたというのとは違った、より成熟した大人目線で作られた曲たち。
 とはいってもその四曲をいっしょくたにはできない。それぞれカラーはぜんぜん違うから。史実を歌い上げる『歴史』の奇抜さ。『化ケモノ青年』のユーモラスな破天荒さ。『地元の朝』のドメスティックな哀愁。『生きている証』のしっとりとした情感(「古い祠やガードレールに漂う」のところが大好きです)。それぞれにエレカシにしか出せない味わいがある。
 そんな風にこのアルバムの前半ではみずからの内面を掘りさげてみせた宮本だけれど、これが後半になると一転して抽象的な楽曲ばかりになる。『ディンドン』や『イージー』なんかは語感の乗りだけで決まったタイトルって気がするし、『星くずの中のジパング』や『傷だらけの夜明け』などはタイトルからしていかにもポニーキャニオン時代っぽい気取りがある。
 とはいえ、その一方でこれらの楽曲にはあのころよりも格段に自然体な感触をもって僕の耳には響く。無理して売れ線を狙ってないというか(まぁ、実際に売れ線じゃないんだろうけど)。ポニーキャニオンでやってきたことが一巡して自分たちの音楽のなかで血肉化しているというか。なに気どってやんでぇとか思わせない自然さがある。
 ナチュラルでストイックな響きのギター・サウンドにのせて、敬愛する文豪や両親への感謝を歌にしたり、気取らず言葉のおもむくままを丁寧に歌にしたり。このアルバムからは肩の力を抜いて、これまでに培ってきた自らの音楽をできるかぎり誠実に音にしようという姿勢から生まれてきたんだろうなと思わせるところがある。
 決してエレカシを代表する一枚とはいえないけれど、長年のファンとしては絶対に悪く思いようがなかろうって話で。唯一不満があるとしたらジャケットのアートワークだけ(怖いよ、宮本)。僕にとってはそういう作品。
(Apr 12, 2017)

エレファントカシマシ / CD / 2004

風

 前の『扉』からわずか半年後にリリースされたEMI三部作の三枚目。
 タイトルからして前作と同じく『風』の一字縛りだし、ほぼ同じ時期のレコーディングで生まれた『扉』の続編のようなアルバムだと思っていたのだけれど、今回聴きなおしてみたらけっこう印象が違った。
 まずは音響からして違う。前作のストイックな音作りから一転、ここでは一発目の『平成理想主義』でいきなりラウドなディストーション・ギターが炸裂している。しかもそれが最初から9分越えの大作とくる。アレンジも凝っていて、のちのシングル『明日への記憶』やアルバム『RAINBOW』へと続いてゆく古典サイケデリック・ロック的な感触があって、この曲はすごいカッコいい。
 つづく『達者であれよ』も同じ系統のハードなサウンドとドコドコのリズム感でぐいぐい引っぱる。次のシングル『友達がいるのさ』はスローな曲だけれど、サビではラウドに盛りあがる。この冒頭の三曲の高揚感は前のアルバムにはなかったものだ。『扉』も好きだけれど、どっちかというとこういうラウドな音で明るい楽曲を鳴らすエレカシのほうがやっぱり好きだなぁと思ってしまう。
 ただ、このアルバムの場合はそこからが地味。四曲目の『人間って何だ』以降で、僕がタイトルを見てメロディーを思い出せたのは、情けないことに『DJ in my life』と『風』だけだった(ごめんなさい)。サウンド的にもそこから先は前作を踏襲した印象で控えめになる。まぁ、嫌いなわけではないんだけれど、やはりこの部分はちょっと弱いかなという気がする。
 いやでも『DJ in my life』は大好きですよ。なんだろうな。この曲のユーモアとペーソスが同居した感じって、宮本以外の人の曲ではあまり味わえないと思う。ゆっくりとしたタメのあるビートが心地よい。あまりライブでは取り上げられないのが残念な、もっと生で聴きたいと思う曲のうちのひとつ。
 あとラスト・ナンバーの『風』がいい。エレカシのアルバムって前作の『パワー・イン・ザ・ワールド』のようなアッパーな曲で終わるパターンのほうが多いけれど、『浮世の夢』からファンになった者としては、バラードでしんみりと終わる感じにも、とても愛着があったりするんです。あのアルバムの『冬の夜』とか、『奴隷天国』の『寒き夜』とか。次回作の『なぜだか、俺は禱ってゐた。』とか。すんごい好き。
 このアルバムのラスト・ナンバーの『風』も同じように、とても愛着のある締めのバラードのひとつ。日常のなにげない風景を切り取って、一編の絵のように歌ってみせる宮本のバラードって、ほんとこたえられなくらい魅力的だ。
 ということで、全十曲収録のこのアルバム。途中にあまりピンとこない曲はあるにしろ、決してそれらが嫌いなわけではないし、なおかつ先にあげた五曲(つまり収録曲の半分)はどれも大好きだから、結果的にプラス・マイナスでは圧倒的にプラスって作品だった。この三部作はそれぞれに地味ながら、とても良質でよかった。
 以上、ということでエレカシ旧譜語りはこれにて終了、ミッション・クリア。次回作『町を見下す丘』からはリアルタイムで書いた文章があるので、よろしければそちらをご覧くださいませ。
 いやぁ、しかし思いのほか大変だった。ベスト盤のリリースまでに終わらせるつもりが、途中であれこれ滞って、まる三ヶ月もかかってしまった。おかげですでに三十周年を祝いまくった気分だったりします。
 祝・エレカシ三十周年。これからもよろしく。
(Apr 12, 2017)