『男はつらいよ』@BS2特集(8)

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Index

  1. 男はつらいよ 柴又より愛をこめて
  2. 男はつらいよ 幸福の青い鳥
  3. 男はつらいよ 知床慕情
  4. 男はつらいよ 寅次郎物語
  5. 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日

男はつらいよ 柴又より愛をこめて

山田洋次監督/渥美清、栗原小巻/1985年

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 今回は夢のシーンがいい。寅さんがもっとも日本人らしい日本人の代表として宇宙飛行士に選ばれたという話。宇宙センターで搭乗直前になってやっぱりロケットになんか乗りたくないと駄々をこねる寅さんと、付き添いのさくらやひろしとの会話が、とらやにいる時と変わらないのがおかしい。さくらの「乗りたくないならなんで最初に断わらないのよ」との問いに「一度こういうのを着てみたかったんだよ。しょうがねえじゃねえか」と答える寅さん。宇宙服にベースボールキャップという格好は意外や似合っている──と少なくとも僕は思った。
 そういえば夢の場面で、寅がまんまの役でさくらや博とコントをくりひろげるってのはおそらくこれが初めてじゃないだろうか。少なくても僕の記憶にはない。こんなところにもなにげなく(いまさらながらの)新趣向が凝らしてあるのには感心させられた。
 本編では、初登場以来、出てくるたびに旦那への不満ばっかり言っていたタコ社長の娘あけみがついに家出。彼女を迎えに下田までいった寅さんが、二人でぶらりと渡った式根島で、同窓会のために集まったその島の卒業生たちと親しくなり、彼らの担任だった独身の美人教師と恋に落ちるというもの。マドンナは15年ぶり2度目の出演となる栗原小巻。残念ながらすでに僕はこの人が前回出演した時のことをほとんどおぼえていない。でもこんな鹿賀丈史みたいな顔をした人じゃなかった気がしたんだけれど……(失礼)。
 なんにしろ、あけみに「お前の気がすむまで一緒にいてやるよ」とか言っていた寅さんが、真知子先生と出会った途端にのぼせあがり、あけみのことなんか忘れて、彼女と生徒たちについていってしまうシーンは、お約束とは思っていても、やっぱりおかしかった。
 ただ、じゃあいつものように寅さんが彼女に闇雲にのぼせあがっているかといえば、そうとも言いきれない感じがする。それはおそらく、寅さんが彼女に対しては、最後の最後まできちんと敬語を使っているからだ。親しきなかにも礼儀あり。寅は渡世人対小学校教師という関係をわきまえて、あえて必要以上に親しくならないよう、距離をあけているように見える。この微妙な距離感のおかげで二人のあいだにはとてもデリケートな情感が漂っている。その点この作品はなかなか悪くない。
 一人残されたあけみはあけみで、島の旅館の息子──田中裕子の弟さんだそうだ──と仲良くなって、ついにはプロポーズまでされてしまうことになる。そういえば美保純が彼女らしさを発揮して、彼に勧められて一人で露天風呂に入るシーンで、ちらりとヌードを披露している。おそらくこれは『男はつらいよ』シリーズ48作中唯一のヌードシーンだろう。うしろ姿だけとはいえ、貴重といえば貴重。
 この作品はかなり恥かしくなってしまうようなシーンが多い。家出したあけみのためにタコ社長が朝のワイドショーに出るシーンとか、『二十四の瞳』を下敷きにした島の同窓会の雰囲気とか、あけみにプロポーズしちゃう青年の純朴さとか……。見ているこちらまで恥かしくなってしまうようなシーンがやたらと多かった。
 全般的にどうにも僕は山田監督の描く青年像が苦手だ。誰もがあまりに純情すぎるくらい純情で、それが嘘っぽく感じられてしまって、見ていると恥かしくて目をそむけたくなる。そういうのって、なにも僕に限ったことではないんじゃないかと思う。普通に80年代以降に思春期を過ごした人間で、『男はつらいよ』に描かれるようなユースカルチャーに共感できる人って、そうはいないんじゃないだろうか。そんなことはないんですかね。よくわからない。
 ちなみにこの作品でもマドンナを射止めることになるのは、前作と同じように真面目さだけがとりえのさえない男(川谷拓三)。調布飛行場でのマドンナの切実な告白シーンのあとでそうした顛末を聞かされ、しあわせってなんだろうとちょっとだけ思う。
 しかし世の中には調布飛行場から伊豆七島へ直行する軽飛行機の航空社なんてものがあるんすねえ。なんだかんだといいつつ、いろいろと勉強になる『男はつらいよ』シリーズだった。
(Nov 07, 2006)

男はつらいよ 幸福の青い鳥

山田洋次監督/渥美清、志保美悦子/1986年/日本

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 この作品の序盤に、寅さんが九州の嘉穂劇場を訪ねるシーンがある。五木博之の『青春の門』で有名な筑豊へと足をのばした寅さんは、さびれたその炭鉱の町にいまもある、昭和初期建造の古式ゆかしい演劇場を訪れる。掃除をしていたおばさんと「ちょっとなかを見せてもらってもいいかい?」「いいよぉ」なんてのどかな会話を交わしてなかに入ると、薄暗い劇場内にたたずみ、ひとりしんみりと思い出にふけったりしている。なかなか格好いいシーンだ。
 劇場内ではすまけいという人の演じる用務員がひとり、座布団の山を片付けたりしている。寅さんはこの人に話しかけて、二人はつかのま、思い出話に花を咲かせる。「そういえば昔ここでどこそこの歌舞伎を見たっけねえ。いつ頃だったかなあ」「昭和38年」「オジさん、詳しいねえ。通だね」「いやいや」みたいな(見事にうろ覚え)。
 話のわかる相手だと見た寅さんは、「そうだ」とばかりに、脱いでいた雪駄を両手に取ると、いきなりそれで床をたたいて、タンタタンと歌舞伎の拍子をとり始める。するとお調子者の用務員がこれに乗せられ、いきなり歌舞伎の一場面を演じて見せるのだった。その見事な即興芝居に寅さんも「よっ、高麗屋!」などとかけ声をかけて誉めはやす。この見ず知らずの二人による意気のあった素人芸がとてもいい。渥美さんのリズム感のよさには驚かされるし、すまけいの演技も見事。僕はこの場面がこの作品のなかでは一番好きだ。
 ちなみにこの嘉穂劇場というのは、2000年に椎名林檎が一夜限りのライブ『実演キューシュー座禅エクスタシー』をやった場所だ。この時の映像の一部は『やっつけ仕事』のビデオクリップで見ることができる。うぐいす色の質素な着物姿でリッケンバッカーをかき鳴らすショートカットの林檎さんがとても可愛い。
 その夜の椎名林檎のライブはほぼ全編が無料でインターネット配信された。あの映像はいまもどこかに眠っているんだろう。せっかくの貴重な椎名林檎初期のライブ映像だ。作品としてちきんとリリースしてくれないかなと心から願ってやまない。
 さて、寅さんはその演劇通の用務員から、ご当地の出身だという昔馴染みの旅芸人の座長さんの死を知らされることになる。こうして萩から筑豊へと舞台を移しつつ、ゆったりとしたリズムで始まったこの作品はようやく本題に入る。
 寅さんの知り合いの座長さんといえば、かつて夢のシーンによく出ていた吉田義夫さん演じるあの人だ。以前にも志村喬さんが亡くなったあとに寅さんが博のお義父さんのお墓参りをしたことがあったから、この話も吉田さんが亡くなったので、追悼の意味で書かれた話なんだろうと僕は思った。
 ところがそうではない。ウィキペディアで調べてみたところ、この作品が公開された86年12月20日の時点では吉田さんはまだ生きていらっしゃる。吉田さんが亡くなったのは、驚いたことに、なんとこの映画の公開日の2日後、12月22日のことだと言う。死因は急性心不全だというから、この映画が撮影されていた時点では、吉田さんが危ないなんて話はなかったのだろう。もしもそういう話が伝わっていたら、こんな脚本は不謹慎すぎて書けなかったに違いない。映画のなかでかつての登場人物の死を描いたら、公開直後にその役を演じていた俳優さんが亡くなってしまうなんて、なんとも気味の悪い偶然の一致だったりする。ちょっとこわい。
 ともかくそんなわけで物語のなかの寅さんは懐かしい座長さんの死を知って、お弔いのために残された一人娘の美保を訪ねてゆくことになる。この人が今回のマドンナなのだけれど、座長さんの娘といえば、岡本茉莉という女優さんが演じていた、あのおっとりとした人でしょう──寅さんのことを「くるませんせい」と、独特のイントネーションで呼んでいた? なんであの人の代役が志保美悦子なんだろう。確かに岡本さんはマドンナという格ではないけれど、それにしてもあまりにキャラが違いすぎやしないか。しかも彼女、会うなりいきなり寅さんのことを「くるませんせい」ではなく「寅さん」と呼んでいるし。結局、僕は最後までこの女性のイメージのギャップになじめずに終わってしまった感じがする。
 もう一点どうかなと思うのは、寅さんの恋敵である長淵剛が演じる青年――画家を目指す看板屋――が、最後の最後になるまで寅さんと接点がないことだ。これまでの作品では、マドンナの恋人となる青年たちはなんらかの形で寅さんと絡んできていた。ところが今回のマドンナ美保とその青年、健吾との関係は、ほぼすべてが寅さんの関与しないところで展開される。そのせいでこの作品は、おそらくこれまでで一番渥美さんの出番の少ない作品となっている。長渕剛がこの頃どれくらいの人気があったのか知らないけれど、少なくても僕には彼が演じる健吾という青年が、主役を食うほど魅力的な人物とは思えなかった。最後に満男の部屋でひとりハーモニカを吹いてポーズをとっているシーンなんて、わけがわからない。見ているこちらが恥かしくなってしまった。
 ということで寅さん抜きでの若いカップルの恋愛劇を中心に描いてみせたこの作品、満男が主役となるその後のシリーズのプロトタイプのような位置づけなのかもしれないけれど、残念ながら印象はいまいちだった。
 ちなみに序盤にさくらが寅さんからの電話を受けて「どうしたの、一年ぶりじゃない」と言うように、これは前作から一年ぶりの作品なのだそうだ。なんでも山田監督が松竹大船撮影所五十周年記念作品『キネマの天地』を撮影するので忙しかったらしい。その作品でヒロインを演じた有森也実が、ラストシーンにちょい役でゲスト出演している。彼女が寅さんに浴びせる、「このおじさん、ユニークぅ」というセリフが、妙にこそばゆい。
(Nov 19, 2006)

男はつらいよ 知床慕情

山田洋次監督/渥美清、竹下景子/1987年

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 三船敏郎という超大物俳優をゲストに迎え、竹下景子がその娘役として二度目のマドンナに抜擢された作品。江戸川堤の桜の思い出を語る寅さんのナレーションとともに始まり、夢のシーンなしで、いきなり『男はつらいよ』の主題歌のイントロが流れ出す。およそ三十作ぶりに恒例のパターンを逸脱したこのオープニングがなかなか渋くて格好いい。さすがに今回は気合いが入っている。
 夢のシーンがない点を除くと、物語自体はシリーズの王道中の王道という印象。最初に寅がとらやに帰ってきて、おいちゃんおばちゃんと喧嘩をして家を飛び出し、旅先でマドンナと恋に落ちることになるという展開は、このところあまりなかったために懐かしい感じさえする。またここではテキヤの寅さんがぜんぜん違う世界に住む年配の男性と懇意になるという、シリーズのもうひとつの定番のパターンも踏襲している。さらに言えば、寅さんが仲良くなった青年に恋愛指南をするというパターンも加わる。今回はそれを青年ではなく、三船敏郎という大物を相手にやって見せているところがみそだ。とにかくこれまでのシリーズで育んできたパターンを上手に組み合わせてできあがった究極の一作という印象の作品だった。
 クライマックスはやはり世界の三船による淡路恵子さんへの告白シーン。頑固で不器用な彼が、寅さんにそそのかされて、みんなの目の前で思い切って愛を告白しちゃうという展開には、思わず目頭が熱くなった(恥ずかしながら二十代後半に初めてこの映画を見た時にはその程度では済まず……)。そのシーンがあまりに感動的なおかげで、そのあとに全員で『知床旅情』を大合唱するなんて気恥ずかしいシーンも、それなりに受け入れることができてしまった。
 竹下さんもあいかわらずきれい。彼女が演じるりん子ちゃんは前回の出演時とは違う役柄だけれど、父親がらみで寅さんと出会って、彼に好意を持ったままで終わるという点で、ほぼ同じキャラという印象だった。今回の彼女は親の反対した結婚に失敗して戻ってきた出戻り娘で、地元のアイドル的な存在。彼女が帰ってきたことに大喜びの仲間たちは「もうどこへも行くな」とか言っているけれど、最後のシーンでは彼女が再び東京で職を見つけたという話になっている(たぶん)。一緒に『知床旅情』を歌っていた純情な仲間たちをなにげなく捨てさせているところに、山田監督の思いがけないリアリストぶりを見た気がした。まあ、あの仲間たちとそのまま暮らしていても、絶対に幸せにはなれそうにないけれども。
 細かなところでは、前回に続いて今回もすまけいさんが出演。九州人から一転、訛りまくりの北海道民の船長さんを演じてる。あとおいちゃんが肺炎をこじらせて入院した病院の先生役でイッセー尾形が出演している。彼も前の作品に出演していて、その時は寅さんから釣りは取っといてと言われて、そんなわけにはいきませんと突っぱねる融通の効かない車掌さんの役だった。今回の役回りもほとんどそれと一緒。寅さんからの差し入れのウィスキーを断わって、ドタバタ騒ぎをしている。どちらも本筋とは関係のない小コントで、なんで同じような話を同じ俳優で二度も続けて撮っているのか、ちょっと不思議だ。
 ともかくこの二人はこのあとのニ、三作にも出演している模様。
(Dec 10, 2006)

男はつらいよ 寅次郎物語

山田洋次監督/渥美清、秋吉久美子/1987年

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 前作では省略されていた夢のシーンが復活。ただしこの作品のそれはいつものコントではなく、寅がさくらに「最近子供の頃の夢をよく見るんだ……」と語りかけるナレーションとともに始まり、少年時代に彼が家出をした当時の思い出を、無声映画風の演出で見せるという真面目な内容になっている。笑いのない夢のシーンというのは、おそらくこれが初めてだろう。
 ちなみにこの夢のシーンに出てくる少女時代のさくらさんは、ちょっと年齢が寅さんに近すぎる印象がある。この女の子はセーラー服を着ていることもあって、どうしたって小学生以下には見えない。二人は第一作で二十年ぶりに再会することになるわけだから、そうするとあの時のさくらさんは三十過ぎということになってしまう。それはちょっとないだろう。寅さんが見ている夢のシーンだから、絵になるように美化されていてもいいんだと言われれば、まあそうなのかもしれないけれど……。
 調べてみたところ、第一作のときの倍賞さんは二十八歳と、意外といい歳だった。年齢でちょっと驚いたのは、博役の前田吟さんが倍賞さんよりも年下で、当時二十五歳だったこと。そうか、そんなに若かったのか、博。さくらさんは姉さん女房だったんだ……。
 本編に関しては、この作品ほどメインストーリーの骨格がしっかりした構成の作品は、シリーズ中ほかにはないんじゃないかと思う。
 寅さんの極道仲間(般若のマサとかいう人)が亡くなり、その小学生の息子、秀吉──名付け親は寅さん──が父親から「俺が死んだら寅さんを頼れと言われた」と言って、とらやにやってくる。寅さんはこの子と二人、蒸発中のその母親を探して、和歌山、吉野、伊勢志摩と、旅を続けることになる。
 秋吉久美子演じるマドンナの隆子は、旅の途中で秀吉が熱を出して寝込んだ時に看病を手伝ってくれた隣部屋の女性。松村達雄さん(またもや登場)が演じるお医者さん──専門は耳鼻科だとか──から秀吉の両親だと勘違いされた二人は、それをきっかけに「とうさん」「かあさん」と呼びあう仲になる。なんだか見ていてちょっと気恥ずかしい関係だったりする。
 ただし二人が一緒にいるのは、たぶんわずか二晩だけだ。二日目の夜にあやうい関係になりかける二人だけれど、秀吉のおねしょで色っぽいムードはパー。翌日の朝には別れ別れになって、それっきり一度も出会うことがない。そういう意味では、彼女はもっとも寅さんとのつきあいが短いマドンナだと思う。寅さんの方も大事な旅の途中だから、さすがに恋わずらいなんかしている余裕がないという感じだ。
 マドンナへの思い入れが希薄なのは、秀吉の母親おふでさん(五月みどり)に対して、過去に寅さんが岡惚れしていたという事情もあるのだろう。さすがの彼にもわずか数日のあいだにマドンナが二人も登場したんでは、失恋を嘆いている暇もない。
 クライマックスで無事に秀吉を母親のもとに送り届けた寅さんは、「おじさんと一緒に帰りたい」と泣く秀吉や、せめて一晩と引き止める周囲の反対を押し切って、さっさと一人で引き上げてしまう。苦労してたどり着いたんだし、その晩は感動の再会を果たした親子を囲んで、楽しく過ごしたってよさそうなものだ。けれど寅さんはそうしない。薄情なまでに{かたくな}な態度を貫いて、さっさと帰ってしまう。第三者から見れば、なんでそんなに意固地になるのって感じだけれど、僕はあれは寅次郎にとっての必然なのだと思う。
 なんたって昔、少なからず想いを寄せていた美女との再会だ。旦那が末期に息子を託すくらいだから、一時はかなり親しい間柄だったんだろう。しかもいまや彼女は未亡人で、その息子は旅のあいだにすっかり自分になついてしまっている(まあその手の演出が少ないので、秀吉が寅さんとの別れを泣くほど淋しがるという展開は、あまり説得力がないけれど)。このシチュエーションはどうにも危なっかしいことこの上ない。惚れっぽい寅さんのこと、もしも一泊しようものならば、焼けぼっくいに火がついて、のっぴきならない立場に陥ることはあきらかだ。彼自身がそんな状況を誰よりもよく理解していたのだと思う。だから彼はその土地に残ることができない。彼は周囲の困惑をよそに、心を鬼にして、秀吉を置き去りにしなければならない。
 ラストシーン、仕事で再び伊勢志摩を訪れた寅さんは、秀吉親子がすまけい演じる船長さん(またもや船長さん)と親子三人といった雰囲気で楽しげに正月の喧騒の中を歩いてゆく姿を、声もかけずにただ見送っている。船長さんがおふでさんを射止めたということは、彼女が外見や経済力よりも人柄を選ぶ女性だったということで、つまり寅さんにだってチャンスがあったということを示している。いや、過去のいきさつや秀吉との関係を考えれば、寅さんの方にこそ、より大きなチャンスがあったのはあきらかだ。そのことに気づいていたからこそ、彼はいつもどおり自ら身を引かないとならなかったわけだ。『男はつらいよ』というタイトルにふさわしい、実に{いさぎよ}い身の引きっぷりだった。
 その他、出演者でおもしろいところと言えば、おふでさんが身を寄せた先の宝石店の女主人役の河内桃子さん。この人、なんと元祖『ゴジラ』で志村喬氏の娘さん役を演じていた方だそうだ。つまり発明家を泣き落としてオキシジェン・デストロイヤーを使わせる人だ。言ってみればゴジラを退治した影の立役者。いや、一目見たときからこの人は只者じゃないのでは思ってたけれど、まさかそれほどの方だったとは。
(Dec 17, 2006)

男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日

山田洋次監督/渥美清、三田寛子/1988年

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 信州小諸で孤独なおばあさんと知り合いになった寅さんが、この人の主治医である女医さん(三田佳子)といいムードになるという話。
 俵万智のベストセラー『サラダ記念日』──280万部も売れたらしい──をそのままタイトルに頂いたこの作品。ところどころにこの本から引用(それとも変容?)したらしい短歌が挿入されているだけではなく、マドンナの姪・由紀(三田寛子)が博に頼んで、同じタイトルの歌集を自主出版しようとしている、というところで終わる。三田寛子が尾美としのりとデートしているシーンではサザンの『ステレオ太陽族』がBGMとして使われているし、その当時の社会風俗をここまで積極的に取り入れた作品というのは、このシリーズとしては珍しい気がした。まあBGMのサザンは7年も前のナンバーだけれど。
 一番の笑いどころは、柴又に戻ってきてからもマドンナのことが忘れられない寅さんが、由紀ちゃんに会えばなにかいいことがあるんじゃないかと、彼女が通う早稲田大学へと足を伸ばすところ。講義中に、ワット君こと中村雅俊がゲスト出演した時の思い出話などを披露して、早大生を爆笑の渦に巻き込んでいる。その当時まさに大学生だった身としては、寅さんの視点から描かれる当時の大学生像にはちょっと気恥ずかしいものがあった。
 その後、こうした努力が功を奏してマドンナと再会を果たした寅さん、彼女から「あなたといると女であることを思い出すの」などと、なかなか大胆な告白をされている。今回のマドンナはお医者さんで、男性に頼らずに生きていける人なのだから、そういう意味ではちょっとくらい深入りしてもよさそうなものなのだけれど、寅さんの立ち振る舞いはいつもどおり。相手の気持ちが自分に傾いているのを知ると、これはまずいとばかりに、さっさと身を引いてしまう。肩透かしを食ったような三田さんがちょっと気の毒だ。
 そのほかの見どころと言うと、寅と満男が江戸川土手で二人きりで日向ぼっこをしているシーンがなかなかいい。大学受験のことで悩む満男に「なんで大学に行くんだろう」と相談を持ちかけられ、寅さんはそれに答えて、「自分の頭でものごとを考えられる人間になるためだ」というような意味のことを彼なりの言葉で伝えている。この回答は秀逸だと思った。とても感心してしまった。寅さん、だてに歳をとっちゃいない。
 歳をとったといえば、他の出演者もそう。いつの間にかみんなすっかり老けてしまっている。この作品はまたもや前作から一年ぶりの公開となっている。この半年後には『寅次郎心の旅路』が公開されることになるけれど、夏の公開はもうそれが最後で、以降は年一本、正月休みのみ公開になったようだ。さすがにみんな年をとったから、年に二本はきついんだろう(渥美さんが癌の診断をくだされるのはこの3年後のことらしい)。御前様もすっかり耳が遠くなっちゃたようで、さくらさんが身を乗り出すようにして、大きな声で話しかけているシーンがちょっぴり哀れを誘った。
 なんにろシリーズもこれでついに通算四十作目となる。そのためだろうか、この作品ではなんの説明もないまま、おいちゃんたちの店の名前が≪とらや≫から≪くるまや≫に変更になっていたりする。さくらさんは「だんご屋の奥さまが板についてきた」とか言われているし、店員として三平くん(北山雅康)が働き始めている。前作まで7本連続で出演していたタコ社長の娘役の美保純も、この作品以降はもう出ないらしい。そういえば夢のシーンもなかったし、四十作目という節目を迎えて、いろいろとマイナーチェンジの多い作品だった。
(Dec 22, 2006)