『男はつらいよ』@BS2特集(6)

Page: Top 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 [Prev] [Next]

Index

  1. 男はつらいよ 寅次郎かもめ歌
  2. 男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎
  3. 男はつらいよ 寅次郎紙風船
  4. 男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋
  5. 男はつらいよ 花も嵐も寅次郎

男はつらいよ 寅次郎かもめ歌

山田洋次監督/渥美清、伊藤蘭/1980年

男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 [DVD]

 さくら夫妻が一戸建ての新居を購入したと知り、兄としてご祝儀をはずまねばと思った寅さん。源ちゃんから二万円を借りて、祝儀袋に包んでみたのだけれど、博は遠慮してしまって素直に受け取らない。あげくの果てにはタコ社長の余計な助言に従って、それじゃあ五千円だけと言ってお釣りを差し出すという愚行におよび、寅さんはカンカンになって家を飛び出すことに。そりゃあ、お祝いにお釣りを返されりゃ、誰だって怒ります。
 おもしろかったのはその次のシーン。旅先でテキヤ仲間が集まっているところで、寅さんがひとり絵葉書を書いているのだけれど、おそらくとらやへ宛てたそのハガキの文面のなかにある「二万円」の文字をペンでなぞって強調しているのだった。まだあの二万円のことを引きずっているのがわかって苦笑を誘う。なにげない、気をつけて見ていないと見過ごしてしまうようなシーンなのだけれど、そういうところに何気なくギャグを入れているのが気に入った。
 この手の手の込んだユーモアは後半にも見られる。物語はその後、北海道のテキヤ仲間のひとりが死んだと知った寅さんが、その男の墓参りに行って一人娘のすみれ(伊藤蘭)と知り合い、彼女が上京して定時制高校へ通う手助けをするという話になる。寅はすみれにくっついて何度も学校に通ううちに、自分も仲間に加わりたくなり、さくらたちには黙って、ひそかに願書を提出したりする。その願書に書かれた生年月日が「昭和25年」になっているのだった(ちなみ書いてあるのは年だけで、月は塗りつぶされ、日にちは書いてさえいない)。
 この映画が昭和55年の作品だから、額面どおりにとれば、つまり30歳ということになる(昭和15年と書いてあるんだと言う人もいるけれど、それにしても40歳)。第2作で38歳だった寅が、この時点でその年齢だなんてのは、あり得ない。つまりあれは寅さんが年齢を詐称しているわけだ。それは寅さんの、やっぱり自分の年齢で学校なんてなあと思う、羞恥心の表れだろう。それをそういう形で年齢を偽って見せてしまうところに寅さんらしさが出ていて、ささやかながら笑えるシーンだ。DVDが普及して何度も簡単に見直せるいまだからわかるけれど、これを映画館で見ても、よほど注意深くないと、そこまでは読み取れないだろう。こういう遊び心を感じさせる演出はなかなか心憎い。
 あとこの作品でちょっとした驚きなのが、とらやに居候中のマドンナが恋人と無断外泊してしまうという展開。前作での寅さんがリリーと一軒家に寝泊りしながら、手のひとつも出さないわけだけれど、その次回作であるこの作品では、若いマドンナが男と一夜を明かして、朝帰りをするという大胆な行動に出る。これは前作の不自然なプラトニックさへの反動かなと疑ってみたりもしたくなった。
 朝帰りをしたすみれは「電話しようと思ったんだけれど…」と口を濁して、無断外泊した理由を説明しない。まあ当然ながら男と一晩一緒にいれば、やっていることなんて決まっているわけだ。ここではそれをあえて説明せず、言葉を濁させることによって、その行為を見る側により強く意識させている。これは演出として上手いと思った。
 なんにしろ今回の寅さんは、自らが言うとおり、マドンナを恋の対象としてよりは、かばってやるべき娘のような存在として見ているのだと思う(その結果の行動はやっぱりいつもどおりなのだけれど)。いつものマドンナとの関係の違いは、最初のうちは「すみれちゃん」と呼んでいたのが、いつのまにか「すみれ」と呼びつけになっているところや、抱きつかれたりしても変にでれでれしたりしないところに表れている。彼女が無断外泊したことで寅さんがうけたショックは、恋人に裏切られた男のものではなく、父親のそれと同じたぐいのものだろう。そんな風に感じられるところに、車寅次郎という男性の成長(もしくは老化?)の跡を見ることができると思う。
 あとこの映画が風俗的な面でおもしろいのが、すみれがセブンイレブンでバイトをするという点。まだコンビニという言葉が普及していないので、さくらは「スーパー」と言っているし、レジ袋もポリエステルではなくて紙袋だったりする。80年の年末と言えば、ちょうどジョン・レノンが殺害された頃だ。その当時の日本のコンビニ状況はこういうことになっていたのかと、ちょっと感慨深かった。
 ちなみにこの作品には二代目おいちゃんの松村達雄さんが定時高の先生役で出演している。そういえばこの人は桃井かおりが出た時に、披露宴の司会者だか仲人だかの役でも出演していた。でも気がつけば、すっかり下条さんのおいちゃん役が板についてしまっているので、いまとなると松村さんが出てきても、おいちゃんが二人いるような違和感はまるで感じなくなっている。確実に時は流れ、僕らの記憶は書き換えられてゆくのだった。
(Aug 19, 2006)

男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎

山田洋次監督/渥美清、松坂慶子/1981年

男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 [DVD]

 この作品のポイントは、とにかく最初っから最後までマドンナが出続けること。なにしろマドンナふみを演じる松坂慶子の露出度がやたらと高い。冒頭の夢のシーンで乙姫に化けて登場してから、エンディングシーンで寅さんの訪問を受けるまで、本当に終始でずっぱり。オープニングにもエンディングにも登場したマドンナなんて、いままでにはいなかったと思う。それだけこの時期の松坂慶子が油ののった状態にあったということなんだろう。なんでもこの作品と『青春の門』──伊吹たえの役、つまり佐藤浩市の母親役だったわけで、ふたりにそれだけの年齢差があることにもちょっとびっくりした──とでこの年の日本アカデミー賞の主演女優賞を取ったということなので、本当にこの女優さんの絶世期だったらしい。
 脚本もそういう女優さんをマドンナに迎えるにあたって、徹底的に彼女を生かすために書かれたのだと思われる。そろそろ年齢も年齢だから、年の離れた女性相手に過剰に入れ込むこともなくなったと思っていた寅さんが、今回のエピソードではひさしぶりにマドンナにメタ惚れして、でもって、こっぴどく失恋する──最後に結婚後のマドンナを訪ねてゆくあたりは、やはり年の功を得てさばけたかなと思わせるけれど。なんにしろこの作品はひさしぶりに恋愛映画的な側面が強かった。
 そうした「愛」を描いた部分と対比させるように、この作品では珍しく「死」にも真面目にフォーカスしている。恒例のとらやでのどたばたでは、タコ社長が経営難のあげくに自殺したんじゃないか心配するくだりが描かれ、作品の山場では、マドンナふみが寅の勧めで生き別れになっていた弟と二十年ぶりに再会を果たそうとしたところ、その弟が直前に死んでいたことがわかるという悲しいエピソードが丹念に描かれている。シリーズ中でもっとも長く悲しいシーンが続く作品かもしれない。
 マドンナが大阪の芸者さんということで、舞台は大半が大阪。寅さんが訪れる土地の空気をフィルムに収めるのもこのシリーズの特徴のひとつだ。大阪独自のくどいほどの活気にあふれた雰囲気があちこちから伝わってくる。
 寅が宿を引き払う際に、腰を据えていた安ホテルの親父、芦屋雁之介と交わす恋愛問答がいい。江戸っ子の寅の「男は引き際が肝心よ」という言葉に対して、大阪人代表の芦屋は「本当に好きながら地獄の果てまで追いかけな」みたいなことを言う。両者の気質の違いが見事に出ていておもしろかった。
 ゲスト出演者はその芦屋雁之介のほか、庄司照江・花江(通称かしまし娘の方々)、笑福亭松鶴(知らない人だけれど、おもしろい役どころだった)、大村崑(「ごはんですよ?」の人かと思ったら別人で、あちらは三木のり平さんとのこと)など。この文章を書いている数日前に他界されたばかりの関敬六さんも、いつもの寅のテキヤ仲間ではなく、とらやのお客としてやってくる草野球の親父役で出演していた。あと重要なところで、満男役が吉岡秀隆くんに交替したのがこの作品からだ。
 人気絶頂の美しいマドンナを迎えて、「愛と死」「西と東」というコントラストをサブテーマに据えた意欲作。そんな印象の第二十七作だった。
(Aug 26, 2006)

男はつらいよ 寅次郎紙風船

山田洋次監督/渥美清、音無美紀子/1981年

男はつらいよ 寅次郎紙風船 [DVD]

 前作に続き、この作品でもマドンナが夢のシーン(『白い巨塔』のパロディ?)に登場。前作は松坂慶子という人気絶頂の女優をマドンナに迎えたがためのスペシャル企画かと思ったのだけれど、もしかしたらこの辺からこのパターンが定番化するのかもしれない(追記:特別そんなことはない)。
 この作品の最初のどたばたは、寅さんが小学校時代の同窓会へ出席するというもの。ちょうど寅さんがとらやへ帰ってきた日が同窓会の日だったからと言って、(出欠届けも出していないのに)出かけていって、クラスメートみんなに煙たがられるという展開になっている。この話の持っていき方はかなり疑問だった。
 そもそも、日本中いたるところで、いろんな人に迷惑をかけながら、それでも憎めない人柄で人気を博している寅さんが、旧友のなかにあって嫌われてしまっているという設定には納得できないものがある。『私の寅さん』に出演していた前田武彦さんが同じ名前で出演しているのに、まるであの時のことがなかったような態度を取っているのもしらける。あの話では相手の方から寅に積極的にコミュニケーションを取ってきたはずだ。なのにこの話ではそんなことなんてなかったかのよう。『春の夢』で大工の棟梁を演じていた犬塚弘さんもおそらく同じ役で出演していながら、ここでは思いきり寅さんを嫌っている。シリーズものの魅力は過去の遺産をどう生かすかにかかっているのに、それをないがしろにするような脚本は感心できなかった。
 でもその部分を除けば、この作品はかなり出来がいい部類に入ると思う。寅さんが旅先で相部屋(そんなのあり?)をすることになった家出娘・愛子ちゃん(岸本加世子)になつかれてしまって、一緒に旅をすることになる展開はやたらとおもしろいし──いままでになくけたたましい彼女のキャラクターは、時代の変化を大いに感じさせる──、余命幾ばくもない商売仲間(小沢昭一)から美人の奥さん(音無)のその後を託されて、その気になりながら、結局いつもどおりの失恋に終わるせつなさはなんとも言えない。笑いとペーソスのコントラストが鮮明だし、話のリズムもよく、映像もきれいと、三拍子そろっている。特に狭い川の橋のところでマドンナ光枝が亭主の死期が近いことを寅に告白するシーンは、映像的にも演技的にも秀逸だと思う。
 振り返ってみれば、寅さんの失恋のパターンには、ざっと見て三つのパターンがある。ひとつ目は相手が寅さんをまったく恋愛対象として見ていないケース。前回の松坂慶子がこのパターンだ。二つ目は相手にその気があるにもかかわらず、寅の側で不釣合いを意識して身を引いてしまうケース。八千草薫や池内淳子のエピソードがこれ。だいたい、これら二つが9割がたなんじゃないだろうか。最後のわずかなパターンが双方ともにその気があるのに、寅が臆病(不器用?)すぎて恋愛が成就しないケース。リリーや今回の音無さんがこれにあたる。あと、番外編として加えるならば、今回の岸本加世子や前々作の伊藤蘭のように、年齢差のせいで、最初から恋愛関係が発生しないというケースもある。もっとも寅さんの年を考えると、このパターンは番外編どころか、今後の主流になっていくことになるのかもしれないけれど。
 いずれにせよ、どのパターンであろうと、寅さんが愛する女性と結ばれないという結果は同じだ。寅さんは臆病さと不器用さと悲しみを糧に、数知れない美女との出逢いを重ねてゆくのだった。
(Sep 03, 2006)

男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋

山田洋次監督/渥美清、いしだあゆみ/1982年

男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 [DVD]

 ちょっぴり意外なことに、この作品では冒頭の夢のシーンが夢の体裁をとっていない。スズメのお宿にまつわる寸劇が終わったあとに、寅さんが眠りからさめるシーンが存在しない。寅さんは、夢なんか見ていないさと言わんばかりに、ひとり湖だか海だかをながめつつ、すっと立っている(なかなか格好いい)。もう余計な演出はいらない、冒頭にミニ・コントがあるのがこのシリーズの定番だから、夢だなんだという説明はつけないけれど、まあ楽しんでください。そんな感じの、いさぎよいオープニングだった。
 本編はというと、中心となるエピソードは、宇野重吉が日本画家を演じたやつと、アラカンが殿様を演じたやつを二つ足して二で割ったような印象。今回は人間国宝の歌舞伎役者・十三代目片岡仁左衛門が演じる陶芸家・加納作次郎と旅先で仲良くなった寅さんが、この人の屋敷で働く女中のかがり(いしだあゆみ)と恋をすることになるという話。
 一時期はあまり寅さんが女性にのぼせあがらなくなった印象だったから、寅さんも年相応に成長しているんだなあと思っていたのだけれど、ここのところの数作は、どうしたことか、また再びヘビーに失恋を繰り返している。というか、年をとった分、かつてより痛々しい気もする。この話などは、相手の女性の方がびっくりするくらい積極的なものだから、その痛ましさは強烈だ。
 正直なところ、かがりさんがどうしてわざわざ上京して会いに来てしまうほど寅さんに入れ込んでしまうのか、その辺は絶対的に説明不足だと思う。少なくても実家へ帰ったかがりを寅が訪ねていくまでは、そんなにお熱い関係には見えなかった。ところが寅がかがりの実家を訪れ、最終便に乗りそこなって彼女の家で一泊することになった途端、二人の関係がとつぜん艶かしくなる。どうしてそうなっちゃうんだか、唐突な感は否めない。なんでそうなっちゃうのと思う。
 ただ、理由はさだかでないけれど、今回のマドンナが寅さんに惚れてしまったのは確かのようだ。それはそういうことになってしまったんだということにするしかないんだろう。そうやって考えてみれば、寅との別れを嘆いて涙を流したマドンナなんて初めてじゃないだろうか、ということになる。そしてそんな相手の思いを前にして寅さんが慌ててしまうわけは、ここまで三十作近くを見てきた身としてはよくわかる。女性と深い関係になることを神様(山田監督?)に禁止されている寅さんは、二人きりの色っぽい夜が訪れそうな雰囲気を察するやいなや、すわ一大事と晩酌の席から逃げ出してしまう。そして翌日彼女と別れてとらやへ戻ると、激しい恋わずらいにより寝込んでしまうのだった。
 昔から寅さんが恋わずらいで寝込むというのは、このシリーズのギャグとしては定番だけれど、僕には今回のこの話が一番そのことに対して納得がいった。だって寅さんは振られているわけではないのだから。自ら振られることを選んでいるのだから。彼は望みさえすれば手に入るだろうものを、自ら放棄している。そりゃ悲しいだろう。寝込みたくもなるさ。今回は特に相手も同じように悲しんでいるので、なおさら哀れだった。
 この話でもうひとつ強力なのが、寅とかがりの最後のデートに、満男を同行させちゃうというシナリオ。もうこの三人が一緒のシーンの、三者三様のやりきれなさったらない。このシーンの救いようのないやるせなさは、ある意味、文学的でさえある。こうした居たたまれなさに価値を見いだすとするならば、この作品はもしかしたらば、シリーズ最高傑作のひとつなんじゃないだろうか。いやはや、まいりました。
 それにしても吉岡秀隆くんが満男を演じるようになってから、はや3作目。彼に代わって以来、やたらとキャラが立つようになったと思っていたらば、早くもこんなに重要な役割を振り当てられている。寅さんには、「お前もいずれ恋をするんだよなあ。悲しいなあ」というような、シリーズ終盤の彼の活躍を予告するようなセリフも吐かせているし、意外と山田監督はこの時点ですでに満男が中心になるシリーズの未来を頭に描いていたのかもしれない。
(Sep 12, 2006)

男はつらいよ 花も嵐も寅次郎

山田洋次監督/渥美清、田中裕子/1982年

男はつらいよ 花も嵐も寅次郎 [DVD]

 沢田研二をゲストに迎えたこの作品。オープニングの夢のシーン──今回はちゃんと夢の体裁をとっている──では、いきなりこの人を引っぱり出して、松竹歌劇団をバックにワンコーラスまるまる歌を歌わせている(タイトルロールの「夢の踊り/松竹歌劇団」というクレジットがちょっぴり笑える)。安っぽいブロードウェイ・ミュージカルのパロディで、なかなか気恥ずかしい。
 最初のドタバタは、とらやの店先で向かいのせんべい屋の娘(朝丘雪路)と寅さんがいちゃついたといって、おいちゃんが怒ってしまうというもの。普段の寅のたちふるいまいからすると特別に目くじらを立てるような言動はしていないと思うし、相手は子供の頃から知っているだろうお向かいさんの娘だ。あのくらいで怒るおいちゃんがどうかしている。前々回の同窓会の話もそうだったけれど、『男はつらいよ』の脚本には時々、笑いをとらんがためとはいえ、なんでこういう話を書くのかなと不思議に思ってしまうような、不自然な話の持っていき方をする時がある。おかしいと思ってしまうのは、僕と山田さんたちの世代の違いのせいだろうか。よくわからない。
 とにかく物語はその後、旅先の大分で寅さんが沢田研二演じる三郎青年と田中裕子演じる蛍子ちゃんと出会って本編へ。今回は三郎青年が最初からマドンナへの好意を隠さないうえに、ひさしぶりに年齢の離れたマドンナが相手ということで、寅さんもあまり深刻な思い入れはしない。でも螢子ちゃんが三郎青年のことを好きだと知ったその日のうちに旅に出てしまうのだから、やはりそれなりに岡惚れしていたということなんだろう。「やっぱり二枚目はいいよな」という言葉がちょっぴり哀れを誘う。
 田中裕子の役は、裕福な中流家庭で育ったデパートの店員さん。家族から「ボク」と呼びかけられている、浪人生らしい気持ちの悪い弟がいる。なんらかの時代背景を反映したキャラなのだろうけれど、この青年の存在価値は謎、かつ余計に思えた。
 田中裕子という人は、日本人形みたいな純正な日本古来の美人という印象がある。いみじくもこの話のなかで女ともだちに評されるように、不思議な色気があって魅力的だ(ただうじうじした感じで嫌いという人がいたとしてもわからなくないけれど)。相手役のジュリーも、動物園の飼育係をつとめる超おくての青年という本来はあるまじき役柄を、実にそれらしく演じている。のちに実生活でも夫婦となるこの美男美女のカップルの恋愛劇がこの作品の中心。
 それにしても、あいかわらず恋人同士がつきあい出すなり、あっという間に結婚の話になってしまうという展開には違和感をおぼえる。いったい、いつになったらばこういう純愛路線がすたれるのだろう。始まった頃から比べると、映画のなかの風物はそれなりに変わってきたけれど、恋愛における過度の純情さはいつまでたっても変わらない。もしかしたらばそれがこのシリーズの人気の秘訣なのかなとも思う。
(Sep 21, 2006)