2008年1月の映画

Index

  1. ザ・シンプソンズ MOVIE
  2. オーシャンズ13
  3. 猿の惑星
  4. 続・猿の惑星
  5. 新・猿の惑星
  6. 猿の惑星・征服
  7. 最後の猿の惑星
  8. PLANET OF THE APES 猿の惑星

ザ・シンプソンズ MOVIE

デヴィッド・シルヴァーマン監督/アメリカ/2007年/TOHOシネマズ六本木ヒルズ

ザ・シンプソンズ MOVIE (劇場版) [DVD]

 年末のあわただしい最中、わざわざ劇場まで足をはこんで観てきました、『ザ・シンプソンズ MOIVE』の“字幕版”。どうせ半年もしたらDVDを買うことになるんだし、ちょっと贅沢だなあと思ったけれど、これに関してはうちの奥さんのたっての希望だったし、やはり劇場のワイドスクリーンで観ることに意味があるんだろうと思ったので、ひさしぶりに劇場に出向いた。映画館で映画を観るのは、実に2年ぶり。六本木ヒルズを訪れるのも、これが初めて。
 最寄の劇場ではなく、わざわざ六本木ヒルズへ行ったのは、字幕版が上映されているのが、ここと、お台場しかなかったから。これは東京ではという話ではなくて、日本中での話。この映画の字幕版が上映されている劇場は、驚いたことに全国でこの二ヶ所しかない。つまり東京以外に住んでいるシンプソンズ・ファンは、所ジョージらが声優をつとめる日本語吹替版が嫌だと思ったら、わざわざ東京へ出てくるしかないということになる。
 これって普通のことなのかなと思って、現在公開中のアニメ、 『ルイスと未来泥棒』 について調べてみた。すると確かに劇場公開は吹替版がメインで、字幕版はあまり上映されていない。とはいっても、こちらはいくらなんでも東京限定というほど極端じゃなく、大都市限定ながら十近くの劇場で公開されている。ディズニーの作品とシンプソンズでは、おのずから劇場数自体が違うというのはあるけれど、それにしたって、シンプソンズについてのこの字幕版の劇場数の少なさは、やはり極端な気がする。おそらく有名な芸能人に頼んで吹替版を作ってしまった手前、配給側でそれをないがしろにはできないということなんだろう。
 でも、そうなればなるほど、やはりこの作品については、吹替に芸能人を起用したことが不幸な結果を招いてしまったなあと、悲しい気分になる。
 前にも書いたけれど、シンプソンズという作品は、決して子供向けの作品ではない。しかもテレビでは過去十年にも渡って放送されている作品だ。わざわざ劇場版に足を運ぼうなんて人は、そのテレビ版に慣れ親しんだ大人たちがメインだろう。そうした人たちが、テレビ版とは違う声優を起用した劇場版をよしとするはずがない。
 かといって、第二の選択肢としての字幕版は、観られる場所がきわめて限定されている。いくらなんでも、北海道や九州の人が、映画一本のためにわざわざ東京に出てくるとは思えない。結果、新しい声優陣を認められないファンは、劇場版を観ることを諦めるしかない。少なくても僕自身、もしも東京に住んでいなかったらば、劇場では観ていないと思う。
 そもそもこの作品については、マーケッティングの結果として、新しい声優陣にしたという話だけれど、そのマーケッティングというのが、初めから方向性を間違えている気がする。
 確かにこの作品はアニメだ。ただし、アニメだとはいっても、ディズニー作品のような普通の子供向けのそれとはあきらかに違う。どちらかというとティム・バートンの 『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』 などを好む大人たちにこそ喜ばれる作品だと思う。で、あの作品を観る人が字幕と吹替とどちらを選ぶかといえば、おそらく過半数は字幕版を選ぶだろう。あくまで推測でしかないけれど、吹替版は字幕が読めない子供がターゲットというイメージがあるし、少なくても僕自身は海外の作品はアニメであろうと字幕派だ。
 そんな僕のような人間がなぜこの映画に限って吹替版を観たいかといえば、それは当然、いままでテレビ版を吹替で観てきたからこそだ。それなのに、そのテレビ版をないがしろにして、わざわざ高いギャラを払ってまで、新しい日本語吹替版を作るほうがどうかしている。この作品の本質を興行する側がきちんと把握できていない証拠としか思えない。
 そういえば、映画が始まる前の予告編がポケモンの新作だったりしたけれど、あれなんかも映画会社がシンプソンズの観客層を読み違えているいい例だと思う。この劇場ではレイトショーでしかこの映画を上映していない。それなのに予告編でポケモンって……。ポケモンを喜ぶような子供たちが、日が暮れてから字幕の映画を観にくると思っているんだろうか。まったく、すっとぼけている。
 いや、もともと配給会社はこの映画を子供連れの家族向けの作品と考えたからこそ、吹替版をメインにして、ポケモンの予告編を用意したのだろう。でもって、わざわざ二館だけのために予告編を変える予算はなかったから、字幕版でもポケモンの予告編が流れる結果になったと。そういう事情は推測できる。でも、シンプソンズとポケモンじゃ、あまりに観客層がかけ離れている。そんなことは観くらべればわかるだろうに、気がつかないってのは、どちらの内容もよく知らない上に、アニメ=子供のものという先入観がある証拠だろう。何度も書くけれど、シンプソンズは大人のためのアニメなのに……。
 実際に観てみた 『ザ・シンプソンズ MOVIE』 は予想通り、これまで4:3のテレビ番組として放送されていたアニメが、劇場のワイドスクリーンで上映されることになったのを非常に意識した作品に仕上がっていた。というよりも、テレビのまんまのあの絵が、劇場の大きなスクリーンに映し出されるミスマッチを、どれだけ楽しませるかに全力を注いだような作品だった。そういう意味では、シンプソンズが好きならば、やはり一度は劇場で観ておいたほうがいい作品だと思う。
 さらに言うならば、普段は日本語吹替で観ている人でも、この作品に関しては、あえて字幕版を観たほうがいいんじゃないかと思わされる部分もそれなりにあった(アメリカの声優さんがひとりで何役もの声を演じ分けているのがわかるエンド・クレジットがその最たるもの)。少なくても僕は、これは字幕版で観て正解だったかなと思った。
 そういう作品だからこそ、字幕版が日本中でたった二館でしか上映されていないという現状には、なんとも悲しい気分になってしまう。日本の配給会社はおそらくこの映画の価値を──どうして全米興行収益で初登場第一位になったのかとか、どうして世界中で愛されているのかというその理由{わけ}を──まったくわかっていないんだろう。
 なんだか愚痴ばかりになってしまって、作品自体についてはぜんぜん書いていないけれど、ここまでで十分に長くなってしまったので、この作品の内容については、いずれDVDでオリジナル声優陣による日本語吹替版を観てから、再び書くことにします。あしからず。いや、作品自体はとてもおもしろかった。大満足でした。
 ということで『ザ・シンプソンズ』 がお好きな人は、いまのうちにぜひ六本木か、お台場へ。
(Jan 05, 2008)

オーシャンズ13

スティーヴン・ソダーバーグ監督/ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット/2007年/アメリカ/DVD

オーシャンズ13 特別版(2枚組) [DVD]

 去年は 『スパイダーマン』、『パイレーツ・オブ・カリビアン』、『ボーン・アルティメイタム』 、そしてこれと、大ヒット映画の三部作{トリロジー}の完結編が目白押しだった。そのなかでも個人的に一番気に入っているのがこれ。 『ボーン・アルティメイタム』 はまだ観ていないので、もしかしたらそっちのほうが気に入ってしまう可能性はなきにしもあらずだけれど、過去の作品で考えても、このシリーズが一番好きだし、07年の三部作のうちからフェイバリットを選べといわれれば、おそらくこれで決まり。なかではもっとも地味だと思うけれど、その地味なところがいい。
 そもそも僕の場合、この 『オーシャンズ11』 のシリーズが好きというよりは、基本的にケイパー・ムービー(泥棒映画)が好きなんだなと、これを観ていて思った。なんで泥棒の話が好きなのかといえば、答えは簡単で、ひとつには泥棒が知恵を絞って難しい仕事を達成するというプロットが性格的にフィットするからだし、もうひとつにはこの手の話では、めったに人が殺されないから。おまけにこんな風にユーモアがたっぷりならば言うことなし。ということで、僕はこの映画がとても気に入っている。
 物語はいたってシンプル。仲間のひとり、ルーベン(エリオット・グールド)が、アル・パチーノ演じる強欲なホテル王に財産を奪い取られてしまったことから、ジョージ・クルーニーとおなじみの仲間たちがリベンジに乗り出すというもの。
 過去の二作と比べた場合のこの作品の特徴はヒロインが不在の点だと思う。ジュリア・ロバーツとキャサリン・ゼタ=ジョーンズは今回は不参加で、代わりをつとめる美女もキャスティングされていない。紅一点のエレン・バーキンはすでに五十歳を超えているそうで、役柄的にもヒロインというにはちょっとなんだし……。ということで、前二作と比べると、女優陣に関しては華やかさに欠ける第三弾となっている。
 ただ、じゃあそのおかげで魅力が減ったかというと、そんなこともない。前二作のように恋愛劇がない分、純粋に泥棒劇のみがストレートに描かれるのが、かえって小気味よかった。ビッグ・ネームが顔をそろえているわりには、とくべつ誰が目立つでもなく、チームプレーに徹したとでもいった感じの仕上がりになっているし、この映画の力の抜け方には、とても好感が持てた。ラスベガスの街なかに威風堂々とそびえたつ、現実にはあり得ないような奇抜なデザインの超高層ホテルのCG映像もすごくリアルで、なにげにすごい。
 そうそう、映画自体とは関係ないけれど、いまさらキャスティングで驚いたのが、ルーベン役のエリオット・グールドという人の経歴。
 この人は、ロバート・アルトマンの 『マッシュ』 でブレイクした俳優さんで、なんとその後に、同じアルトマンが監督をつとめたレイモンド・チャンドラーの 『ロング・グッドバイ』 でフィリップ・マーロウを演じているのだそうだ。しかも翻訳家の清水俊二さんがハヤカワ文庫の 『長いお別れ』 のあとがきで、過去にマーロウを演じた五人の俳優のうち、しいて誰かひとりを選ぶとするならば、このエリオット・グールドだと書くほどのはまり役らしい。ちょうどその小説を読んでいる最中に、話題の俳優がキーパーソンをつとめる別の映画を観ることになっためぐりあわせには、われながらちょっとびっくりてしまった。この映画でのグールド氏は、僕が思っているマーロウのイメージとあまりにかけ離れているんで、この人がかつてはマーロウを好演したと聞かされると、さらにびっくりだ。
(Jan 16, 2008)

猿の惑星

フランクリン・J・シャフナー監督/チャールトン・ヘストン、キム・ハンター、ロディ・マクドウォール/1968年/アメリカ/DVD

猿の惑星 35周年記念 アルティメット・エディション [DVD]

 チャールトン・ヘストンの乗った宇宙船がたどり着いた未知の惑星では、猿が人間にかわって世界を支配していました──というSF映画の古典的名作。
 僕が数年前にこの映画をひさしぶりに観て、やられたと思ったのは、猿につかまった主人公のテイラーが文字を書いてコミュニケーションを図ろうとするシーンでのこと。
 この星の人間は退化してしまっていて、言葉を話すことができない。だから話ができるテイラーは特別な存在なわけだけれど、彼は猿につかまる際に喉に怪我を負ってしまい、しばらくのあいだ、しゃべることができなくなってしまう(この展開はわざとらしくも上手い)。
 そんな彼が、自分に知性があることを猿たちに知らせようとして、筆談を試みる。でも当然、書くのは英語。そんな~、未知の惑星で英語が通じるはずないじゃんと思って、はたと気づいた。暗黙の了解だと思って気にしていなかったけれど、それまで猿たちが英語を話していること自体が不自然なのだった。
 地球人どうしだって、となりの国の言葉さえわからないのが普通なのに、ましては何百光年も離れた星で、猿たちが話している言葉がわかるほうがどうかしている。そんなのがおかしいってことは、中学生だって気がつく(まあ僕は途中まで気がつかなかったわけだけれど)。作っている側だって気がつかないはずがない。
 そう思って Wikipedia で調べてみたところ、実はこの作品はフランス語の小説が原作で、そのなかではちゃんと、猿たちは未知の言語を話しているのだそうだ。つまりこの映画を作った人たちは、それをわざわざ英語に変えてみせたことになる。知らない星に住む猿が英語を話すはずないじゃんと馬鹿にする人がいるだろうことを承知で、あえて変えてみせたことになる。つまり確信犯なわけだ。
 なぜ猿の言語を英語にしたかといえば──存在しない言語を話させるのは無理という現実的な問題はおくとして──、そうすることで、言葉を話せる猿と話せない人間という逆転した関係がよりはっきりして、ストーリーのリズムが格段によくなると踏んだからだろう。実際にそのおかげで、この映画は見事なエンターテイメント作品に仕上がったのだと思うし、その変更は大正解だった。あとから考えれば、猿に英語を話させたことが、その後のシリーズ化への大きな布石にもなったわけで──まあ、シリーズとしての是非はともかくとして──、その点でも大きな修正だったと言える。
 なにはともあれ、そういうリアリティを無視したご都合主義的(もしくはハリウッド主義的)な姿勢があだとなって、いまとなると若干のB級感が否めない気もするけれど、それでもやはりこの映画は傑作。地球とは思えないような壮大な風景のなかで繰り広げられる物語はとてもスリリングで、いまでも十分に楽しめる。猿のメイクも40年前の映画だと思えば驚異的だし、それになんたって、あのエンディングが素晴らしい。見せ方からして非常にうまい。あれを子供の頃に観たときには、本当に感動したものだった。
 その点、現在流通している通常盤のDVDパッケージはかなり罪作りだ。デザインとしては恰好いいと思うのだけれど、あまりにネタばれし過ぎで、これから初めてこの映画をDVDで観る人は、かつての僕のような興奮は味わえないんじゃないかという気がする。
(Jan 18, 2008)

続・猿の惑星

テッド・ポスト監督/ジェームズ・フランシスカス、リンダ・ハリソン/1970年/アメリカ/BS録画

続・猿の惑星 [DVD]

 この第二弾はみごとにB級。前作が評判だったので二匹目のドジョウをねらってみたけれど、いいアイディアが浮かばなかったので安直な設定に逃げたあげく、せっかくの世界観をだいなしにしてしまいました、みたいな作品になっている。
 そもそも主人公を変えてしまったのが失敗。もしかしたらチャールトン・ヘストンに主演を断られた結果として、苦肉の策でこういうシナリオになったのかもしれないけれど(一応ヘストンの出番もある)、それにしてもなあと思う。いきなり第二の宇宙船が不時着するという設定からしてすでに茶番だし、なにより主人公が変わってしまったことにより、サルが支配している世界に人間が驚愕するという、前作と同じシチュエーションがふたたび繰り返えされることになり、二番煎じの感がなおさら強くなってしまった。
 さらに、文明を維持した未来人が地下に潜伏していましたという安直なシナリオが、B級感を駄目押ししている。そんな人たちが生き残っていたら、ほとんどの人類が言葉を失っている理由の説明がつかないじゃん。同じプロットを繰り返したあげく、ありきたりなSF的設定を加えるなんて安直な姿勢で、いい作品が作れるわけがない。どうせならば前作の世界観をきちんと踏襲して、サルと人間の立場が逆転した世界において、孤立したテイラーがどのようにその現実に立ち向かってゆくかを、より深く描いて欲しかった。
 まあ、舞台となるサルの社会が未開化なため、前作がSFでありながら、あまりSFっぽくない作品だったのに比べると、今回は出来は凡庸ながらも、SFならではの道具仕立てが多いので、B級SF映画が大好きという人にはたまらなかったりするのかもしれない(そういう見方をするならば、ある意味シリーズいちの作品かも)。それに、続編があると知っているものにとっては、この映画のエンディングはなかなか衝撃的だ。いったいこのあと、どうすんだよと思ってしまった──そしたら、その続編がすごいことに。
(Jan 19, 2008)

新・猿の惑星

ドン・テイラー監督/キム・ハンター、ロディ・マクドウォール/1971年/アメリカ/BS録画

新・猿の惑星 [DVD]

 この第三弾はなんと、前二作でサルの代表的存在だったコーネリアス(ロディ・マクドウォール)とジーラ(キム・ハンター)のチンパンジー夫婦が、70年代のアメリカにタイムスリップしてくるという、むちゃくちゃな設定の話になっている。
 ただし意外なことに、これがけっこう出来がいい。むちゃな設定さえすんなり受け入れられれば、かなり楽しめる作品だと思う。僕はかつて二作目を観て、このシリーズはもう駄目だろうと思って、それ以降の作品を観たことがなかったので、この三作目の出来のよさにはけっこう驚かされた。
 とにかくこの作品はサルたちを無理やり現代社会につれてきてしまったシナリオの勝ち。そんなむちゃな話を実現するために、前二作から逸脱したいい加減な設定がたっぷりと放り込まれているけれど──電気も発明していないサルが、壊れた宇宙船を修理したり、操縦したりできるとは思えないし、サルが地球を支配するにいたるまでの歴史をいつのまにかコーネリアスが知っていたりするし──、それでもまあいいやと思わせるのは、そうしたいい加減さがゆえに物語が成り立っていて、それが有機的に機能しているからだ。ご都合主義もきちんと作用すれば、決して悪いものではないということの見本だと思う。
 なんにせよこの作品の製作者は、強引な力業{ちからわざ}でもって、第一作目の設定を百八十度ひっくり返してみせた。あちらはサルの世界にほうりこまれた人間の話だったけれど、こちらは人間の世界にやってきたサルの話。そんな裏返しの関係は作風にも及んでいて、笑いの少ない第一作目とは対照的に、この映画の前半は完全にコメディと化している。全体的にユーモアの少ないシリーズだけに(苦笑を誘われるシーンは多々あるけれど)、その点ではシリーズ五作中で、もっとも異色の作品だといえる。
 ただ、笑えるのは前半だけで、後半になるとこの映画は、がぜんシリアスになる。序盤のくだけたムードとは一点して、物語は文学的苦悩をはらむようになる。コーネリアスとジーラのふたりが苦境に追い込まれるきっかけとなる事件などは、アメリカ黒人文学の傑作 『アメリカの息子』 を思い出させる(差別意識はこの作品のモチーフのひとつから、実際にシナリオライターの頭の片隅には、あの小説のことがあったんじゃないかと思ったりした)。
 まあ、もとより初期設定がふざけているので、そうした悲劇性がすんなりと入ってこない部分もあるけれど、それでも序盤の楽観的なムードを考えると、とても見事に方向転換していると思う。ほんと、この作品は意外とあなどれない。
(Jan 19, 2008)

猿の惑星・征服

J・リー・トンプソン監督/ロディ・マクドウォール/1972年/アメリカ/BS録画

猿の惑星・征服 [DVD]

 前作で物語の時間軸を過去に引き戻したのを利用して、そこから猿の惑星が誕生するまでの過程を描いてみせようという趣向の第四作。
 アイディアは悪くないと思うのだけれど、いかんせん時代設定がまず過ぎた。主人公をコーネリアスとジーラの息子シーザーにしたのが失敗。彼らが現代にタイムスリップしてきてからわずか二十年──時代設定は1991年で、なんといまから十七年前!──で、全米に知能のあるサルがあふれているという設定には、あまりに説得力がない。ラストシーンで独立を高らかに叫ぶシーザーに、サルたちが歓声をあげるところなんて、冗談もいいところだ(なんで言葉がわかるんだか)。サルのメイクも、人間化したサルだからこそ納得できるんであって、進化する前のサルとしては不自然だし、こういう話を作るのならば、舞台設定はせめて数百年後にしないと。いや実際、前作でコーネリアスたちがサルの進化について語った伝承では、数百年のタイムスパンの話だったものが──おそらくシーザーを主役に据えたかったからだろう──、ここではわずか二十年に短縮されてしまっている。それはちょっと無理がある。
 とにかくこの作品については、着想は悪くなかったのに、惜しくもそれをきちんと作品化することができなかったという印象だった。
 ちなみに主役のシーザーを演じるのは、コーネリアス役と同じロディ・マクドウォール。コーネリアスは二作目だけは別の人が演じていて、そのためその作品だけ雰囲気がちがった。サルのメイクをしているのだから、誰が演じても同じになりそうなものだけれど、ちゃんと違いが出るんだから、演技というのもおもしろい。そういえば、前作で動物学者を演じていたナタリー・トゥルーマンという女性が、この映画ではシーザーの恋人役のサルを演じているのも、おもしろかった。
 それにしても親からマイロと名付けられた彼が、なんでこの映画ではシーザーという名前になってしまったんですかね。身代わりになったサーカス団のチンパンジーの名前だったんだろうか。そのへんの事情はよくわからない。
 映画とは直接関係ないけれど、元フリッパーズ・ギターの小山田圭吾が自身のソロ・プロジェクトにコーネリアスという名前をつけたのは、この映画にちなんでだというのは有名な話。彼は本当に 『猿の惑星』 が大好きで、自分の子供にもマイロという名前をつけたのだそうだ。それって、ちょっとすごい。
(Jan 19, 2008)

最後の猿の惑星

J・リー・トンプソン監督/ロディ・マクドウォール/1973年/アメリカ/BS録画

最後の猿の惑星 [DVD]

 前作の失敗に輪をかけたようなシリーズ最終作。
 前作は見事に企画倒れだったけれど、それはこれも同じ。発想は理解できるし、それ自体は悪くないと思うのだけれど、いかんせん、出来がひどい。
 このシリーズをずっと手がけてきた製作者のアーサー・B・ジェイコブスという人は、この映画でもって、これまでの作品で描いた世界の破滅から、人類とサルの両方を救おうと試みている。
 第二作のラストで地球を滅ぼすのはゴリラとミュータント。ならば、その両方をここであらかじめ対決させて滅ぼし、人とサルが共存できる新しい世界を生み出して、シリーズを終わらせようと。そういう意図があったんだろうというのはわかる。
 第三作でコーネリアスが「伝承では、初めて言葉を話したのはアルドという名前のサルだった」と語っていたけれど、この作品ではそのアルドを百パーセント悪役のゴリラとして描いている。猿の惑星を生み出すきっかけとなるはずだったサルを悪役におとしめ失脚させ、かわりにシーザーをあらたな英雄に仕立て上げることで、第二作へとつながる伏線を絶ち、地球が破滅しないパラレル・ワールドへと物語を導いて、シリーズをハッピーに完結させる。なるほど、なかなか悪くないアイディアだと思う。
 ただし、じゃあそうした意図がきちんと観客に伝わったかというと、はなはだ心もとない。アルドが伝説のサルだってことに気がつかない人だっているだろうし(うちの奥さんは気がついていなかった)、気がついたところで、あんなに情けないキャラでは、とても伝説の存在になりえるとは思えない。
 そもそもそれ以前に、サルのリーダーであるシーザーが、とてもカリスマ性やリーダーシップがあるようには見えない。親のコーネリアスは学者で、群れを率いるタイプにはほど遠かったわけだし、同じロディ・マクドウォールの演じるシーザーが伝説のカリスマ猿になるという設定には、どだい無理がある。
 無理があるのは、そうしたキャラクター設定だけではなく、ストーリー自体も同じ。群れの{おさ}たるシーザーが、いまさら両親の顔を見たさに、録画テープを求めて放射能汚染のひどい禁断の地へとおもむくという冒頭の展開からして不自然だ。彼の息子が逃げ出した飼いリスを追っかけていって、焚火{たきび}を囲んで陰謀をたくらんでいたゴリラたちに見つかり、致命傷を負わされるという重要なエピソードにもやたらと無理がある。どんだけボス宅の近くで密談してるんだ、ゴリラ。
 とにかくキャラは魅力不足、ストーリーはいい加減と、この映画にはまるでいいところがない。残念ながら 『猿の惑星』 の最終作は、出来の上でもシリーズ最後尾だった。
(Jan 20, 2008)

PLANET OF THE APES 猿の惑星

ティム・バートン監督/マーク・ウォルバーグ、ティム・ロス/2001年/DVD

PLANET OF THE APES/猿の惑星 (ベストヒット・セレクション) [DVD]

 『猿の惑星』 のオリジナル・シリーズ全5作を観たことだし、ここまできたらせっかくだからということで、ティム・バートン版の 『猿の惑星』 も観なおした。リ・イマジネーション(再創造)なんて大げざなことをいっているけれど、何度みてもこのリメイクは、出来がいまひとつだ。
 ことばを話す猿が世界を支配し、人がそれに隷属する──ティム・バートンは第一作の核となるその設定だけを踏襲して、あとはまったく新しいストーリーと独自の演出でもってリメイクを試みている。
 『猿の惑星』 である以上、主役はサル。そう思ったのかどうかは知らないけれど、この映画でのティム・バートンは、ただひたすらサルをどう見せるかに力を注いでいるように見える。
 なによりもまず、登場するサルがじつにバラエティに富んでいる。オリジナルにはチンパンジーとゴリラとオラウータンしかいなかったけれど、今回は最新の特殊メイクアップ技術を生かして、名前もわからないような、さまざまな種類のサルを登場させてみせている。ヘレナ・ボナム=カーター演じるアリなんて、いったいなんてサルだかよくわからない。いや、おそらくチンパンジーだとは思うけれど、顔はのっぺりしているし、髪はストレートだし、サルというよりは、舞台でサルを演じるミュージカル俳優のよう。サルを少しでもキュートに見せようとしたのが、かえって妙なことになってしまったみたいな感じがした。オラウータンやゴリラは旧作よりも確実にリアルになっているので、このタイプの雌ザルのメイクだけが、かえって浮いてしまっているように思えた。
 サルの表現については、メイクだけではなくて、動作の面でも、かなり凝ったものになっている。オリジナル版の猿たちは、ひょこひょことした歩き方以外はとくに人間と変わらなかったけれど、ティム・バートンのサルは、類人猿らしさがデフォルメされ、さらに珍妙な存在になっている。走るときは両手をついて四足になり、ジャンプをすれば超常的な飛躍をみせる。くんくんと匂いを嗅ぎまくってみたり、足でペンを使って文字を書いたり、天井から逆さにぶらさがって身づくろいしたり──類人猿の習性を強調した、そうした滑稽味のある演出には、それなりにおもしろみがある。
 ただ、あくまでもこの作品は人間がサルに支配されるという屈辱的な世界を舞台にしているわけで、そうしたコミカルな演出がどうにもすんなりと気分になじまない。観ていてあまり気持ちよくない。意表をつこうとして悪ふざけが過ぎてしまったような印象のエンディングといい、この作品でのバートンのユーモアは終始、空回りしている気がする。
 コミカルな演出で唯一、僕が気に入っているのが、ひょうきんでずる賢い人売り商人のオラウータン、リンボーの存在。このサルだけは終始いい味を出しているなあと思っていたら、演じているのは 『アメリカン・スプレンダー』 や 『サイドウェイ』 のポール・ジアマッティだった。この人、僕はとても好きかもしれない。
 あと、サルを演じている俳優さんで驚きなのが、ティム・ロス演じるセードの父親役が、元祖 『猿の惑星』 のチャールトン・ヘストンだということ。よくもこんな映画に出たもんだ。あとで後悔したんじゃないかと、いらぬ心配をしてしまった。
(Jan 29, 2008)