2017年8月の本

Index

  1. 『小澤征爾さんと、音楽について話をする』 小澤征爾・村上春樹
  2. 『変身』 フランツ・カフカ
  3. 『天使の卵』 村上由佳

小澤征爾さんと、音楽について話をする

小澤征爾・村上春樹/新潮社

小澤征爾さんと、音楽について話をする 小澤征爾さんと、音楽について話をする (新潮文庫)

 世界でもっとも人気がある日本人作家・村上春樹氏による、世界でもっとも評価が高いだろうと思われる日本人音楽家・小澤征爾氏に対するインタビュー集。
 この本が出た当時(2011年)の僕にとって、クラシックはまったく興味のない音楽ジャンルだったので、なんとなく気が進まずに読まないままスルーしてしまった。
 でも、そろそろ未読の村上春樹の作品もずいぶん少なくなってきたし、数年前からうちの子が学生オーケストラで演奏するようになって、個人的にはクラシックと接する機会も増えたので、いまならけっこう楽しく読めそうな気がして、いまさらながら単行本で読んだ。エンボス加工された装丁が気に入ったので、すでに文庫化されているのに、あえて単行本で(プチ贅沢)。
 この本は春樹氏が小澤氏と酒を飲みながらかわした会話があまりにおもしろかったので、こういう話を自分だけのものにとどめておくにはもったいないと思って、さらなる会話を重ねて一冊にまとめたものということ。
 そういう性格の本だけに、いたってくだけた雑談の延長線上という感じの内容で、体系だって小澤氏のキャリアを俯瞰{ふかん}するような伝記的な内容にはなっていない。
 それでも両者の対談のなかから浮かび上がってくる小澤征爾という人の音楽家としての歩みにはなんともドラマチックなものがあって、小澤氏のことをまったくといっていいほど知らない僕のような読者でも、とても楽しく読むことができた。小澤氏という人は、ほんと音楽にも人にも愛されてきた人なんだなぁと感心してしまった。
 あと、もうひとつこの本を読んで感心したのが、いっかいのリスナーでありながら世界的なマエストロを相手に対等に音楽を語れてしまう春樹氏のリスナーとしての経験値と能力の高さ。僕もそれなりにたくさん音楽を聴いているほうだとは思うけれど、決してこんな風にロバート・スミスやエルヴィス・コステロと音楽談義をかわすことはできない。
 軽みが信条な感のある春樹氏だけれども、人間としての厚みが俺なんかとは根本的に違うなぁと思わされました。
(Aug 21, 2017)

変身

フランツ・カフカ/中井正文・訳/角川書店/Kindle

変身 (角川文庫)

 いまさら初めて読みました。ある朝、主人公が目を覚ますと虫に変身していたという二十世紀不条理小説を代表する一編。
 いまの僕にとっては、好き嫌いに関係なく、読み始めた本はかならず最後まで読みきるのが普通のことだけれど、若いころにはそうでもなく、途中で投げ出してしまった本が何冊かあった。ぱっと思いつくところでは、フロイトの『精神分析入門』がそうだし、これもそのうちのひとつ。
 でもいまになって思うと、フロイトのぶ厚い文庫本はともかく、これに関してはどうしてこんなに短い小説が読み切れなかったのか、われながら不思議。主人公が得体の知れない虫──足がたくさんあるみたいだから、ゴキブリというよりもゲジゲジ系?――になってしまうという設定によほど馴染めなかったんだろうか。ほんの一、二ページだけ読んで、あっというまに放り出した記憶がある。
 まぁ、今回読んでもそれほど好きとはいえないので、当時はよほどその設定に魅力を感じなかったんだろうなぁと思うしかない。『審判』もいまひとつ楽しめなかったし、この本に同時収録されている『ある戦いの描写』という短編もまるっきり駄目だったし。基本的に僕はカフカって性にあわないみたいだ。
 でも若いころに読んだカミュの『異邦人』とか、安部公房の諸作とかは好きだったりするので、べつに不条理小説というもの自体が嫌いなわけではない──と思うんだけれど。なんでそのジャンルを代表するようなカフカだけ駄目なのか、それもちょっとした謎。
 とりあえず『変身』という作品に関しては、虫になってすぐ殺されて……みたいな話を想像していたら、実際にはけっこう長いスパンの話なのには意外性があった。そして短期間の話ではないからこそ、なんともいえない無情感が読後に残る。そこにいたる人の内面への切れ込み具合がこの作品の読みどころなのかなと思う。
(Aug 21, 2017)

天使の卵

村上由佳/集英社文庫/Kindle

天使の卵 エンジェルス・エッグ 天使の卵シリーズ (集英社文庫)

 ここ数年お気に入りのマンガ家、池谷理香子がコミカライズしていると知って読んでみました。美大をめざす浪人生と年のはなれた女性との運命的な恋を描く村上由佳のデビュー作。
 じつは日本の小説をほとんど読まない僕にしては珍しく、村上由佳という小説家には以前からちょっと興味があった。というのも、この人と佐藤賢一が小説すばる新人賞を同時受賞したときに、一緒にすばる文学賞をとった引間徹という人を僕は個人的に知っていたから(新入社員として就職した会社で同期だったのです)。まぁ、もう四半世紀以上もむかしの話だけれど。しかもその後も活躍をつづける村山・佐藤の両氏に対して、引間さんは残念ながら数冊の本だけ残して姿を消してしまったのだけれど。
 引間氏の作品はどれもなかなかおもしろかったので──デビュー作の『19分25秒』はなんと選考委員だった石原慎太郎に称賛されていた──、そんな彼が鳴かず飛ばずでフェードアウトしてしまったのを見て、小説家として生きてゆくのも大変なんだなぁと思ったものでした。以上、やや脱線。
 さて、今回この作品を読んで意外だったのは、この内容から女性的な視点がすっぽりと抜け落ちている点。『天使の卵』なんてフェミニンなタイトルのわりには、中身は男性が主人公の一人称の恋愛小説なので、もしも知らずに読んでいたら、僕はこの作者が女性だとは気がつかなかったのではないかという気がする。
 女性作家というと、なぜかつねにその性別からは逃れられない印象があるので、この作品の性別を感じさせないさっぱりとしたニュートラルな感覚はなかなか新鮮だった。突出してどこがいいという感じではないけれど、極端にどろどろしたところがない分、小説としてのまとまりがよくて気持ちよく読めた。
 せっかくだから、つづけて池谷理香子のマンガ版も読んだ。そちらはそちらで池谷さんならではのテイストで楽しめたものの、僕はどちらかというとこの原作のほうが好きだった。
(Aug 21, 2017)