高校時代に夢中で読みふけった角川文庫の『幻魔大戦』全二十巻を一冊にまとめたKindle版。
 もとの本庫本が薄めだとはいえ、一冊平均二百五十ページとすると、およそ五千ページ相当。さすがにこれを一冊にまとめるってのは、デジタルだからこそ可能な荒技でしょう。生頼正義氏が手がけた表紙のイラストも全巻カラーで収録されているし、まさにディス・イズ・電子書籍な一冊。
 でもこれ、文庫二十冊分ってことで価格も高額で、ふつうに買うと一万円近い。ほかに読むべき本はいくらでもあるし、通常だったらそんな高いもの絶対に買わないのだけれど、たまたま千円以下(つまり九割引?)で売っているのを見つけて、ノスタルジーにもつられて、ついつい買ってしまった。
 さすがにそんなボリュームだから、半年以上かけないと読み切れないだろうと思ってたのだけれど(実際にそのつもりで読み始めた)、いざ読みだしてみたら勢いがついてしまい、途中からは併読なしでこれ一冊にかかりきりになって、結局ちょうど二ヶ月で読み終えた。つまり文庫にしたら月に十冊のペースで読んだことになる。最近の僕にしてはかなりのハイペースだった。
 読んでみて意外に思ったのは、平井和正という人がとても端正な文章を書くこと。端正というか、文学臭が強いというか。文体にいまどきのエンタメ作家の作品にはないだろうって品格がある。高校生のときにはほとんど気に留めていなかったその文体が今回再読していちばん印象的に残った。
 小松左京にしろ、半村良にしろ、もしかしたら高校生のころに読んでいた日本のSF作家って、僕が気がついていなかっただけで、みんなこんな感じだったのかもしれない(といいつつ筒井康隆だけは違う気がするけど)。
 ある意味古めかしいその文体に加えて、一九六六年から六七年という時代設定(まさか自分が生まれたころが舞台の話だとは思っていなかった)のせいもあって、この作品からは昭和の時代性が色濃く滲んでいる。途中から加速度をあげて宗教がかってゆくその内容も手伝って、読んでいてものすごく時代錯誤な感覚があった。
 僕はこの作品とデビュー当時の村上春樹の作品をほぼ同時期に呼んでいたはずなのだけれど、春樹氏の作品を再読しても、絶対にこんな時代錯誤感は感じないだろう。そういう意味では、平井和正はすでに過去の人なんだろうなぁと思ってしまった。
 まぁ、とはいえ予想外のハイペースは楽しんで読んだ証拠。石ノ森章太郎による同名漫画の原作としてスタートした序盤こそ、金髪王女にサイボーグ戦士にと非常にSF色が強いけれど、四巻目以降はその方向から大きく外れ、救世主とはなんぞやを追求する宗教小説になってゆく。やはりそこからがこの作品の真骨頂。内容をすっかり忘れていたこともあって、ページをめくる手が止まらなくなった。
 ただし、その宗教色があまりにも濃くなり、説教的な饒舌さが過剰になりすぎる後半(特に十四巻以降)はさすがにあまり楽しいとはいい切れなくなる。正直なところ、ひとつのエピソードのなかで同じような発言が二度、三度と繰り返されるのにげんなりしてしまった。もうちょっと文章を刈り込んで、物語を進めて欲しかった。
 それもこれも平井氏がこの小説の内容よろしく、自動書記的な姿勢で筆のすすむがままに書きつらねていった結果なんだろう。その顛末がこれってのは、やはり残念。あまりに中途半端で宙ぶらりんな終わり方には、終盤に謎の失踪を遂げる主人公・東丈ともども、作者の無責任さを責めたくなる。
 この続編もあるようだけれど、結局たいして話は進まずに中断してしまうみたいだし、幻魔大戦はこれだけ読んでおけばもういいかなという気分になっている。
(Apr 30, 2017)