2016年6月の本

Index

  1. 『ブルックリン・フォリーズ』 ポール・オースター
  2. 『幽霊塔』 江戸川乱歩
  3. 『コールド・スナップ』 トム・ジョーンズ
  4. 『Novel 11, Book 18』 ダーグ・ソールスター
  5. 『杉の柩』 アガサ・クリスティー

ブルックリン・フォリーズ

ポール・オースター/柴田元幸・訳/新潮社

ブルックリン・フォリーズ

 この小説、オースターのこれまでの作品のなかでも、もっともオーソドックスな作品だと思う。オーソドックスというか、古典的というか、ディケンズ的というか。設定にはあまり奇をてらわず、人と人とが出会うところに生まれいずる物語の本質的な力、それ自体で話がドライブしてゆくようなおもしろさがある。
 物語は癌をわずらった初老の語り手が、余生を過ごそうと生まれ故郷のブルックリンで暮らし始めた顛末を語るところから始まる。彼は近所の古書店で働く甥のトムとぐうぜん再会して、旧交を温めなおすことになるのだけれど、文学の道を失って落ちぶれたこの甥との出会いがきっかけとなって、さまざまな人々との関係が広がってゆく。
 詐欺罪での前科があるバイセクシャルの古書店主とか、ポルノ女優に落ちぶれて撮影現場でレイプされたトムの妹とか、そんな母親のもとを離れてひとり叔父のもとへ身を寄せてきた少女とか。まわりとは一風異なった生き方をしてきた(せざるを得なかった)そういう人々との交友をへて、トムが──そして語り手のネイサンが──人生を立て直すまでが、おもしろおかしく語られてゆく。
 タイトルにある「フォリーズ」とは「愚行」「愚かさ」という意味の英語で、語り手が聞き集めたさまざまな人々の愚行に関する本を書いているという設定に由来している。とはいえ、その本に関する説明はあまりない。せいぜい「こういう話を載せた」とかいって、ひとつふたつエピソードが紹介されるくらい。
 あれ、それとも、もしかしてこの作品自体がその本編だという扱いなのかな? 語られているのは、落ちぶれたトムが人生の再出発を果たすまでの話だけれど。彼がおかした愚かな行いの結果として、意外なハッピーエンドに至ったという話を「愚行の書」というタイトルとして書いたという設定?
 そのへんのことがよくわかっていない時点で、僕がどれだけ駄目な読者がよくわかる。
 でもまぁ、とてもおもしろい小説でした。
(Jun 19, 2016)

幽霊塔

江戸川乱歩/東京創元社/Kindle版

幽霊塔

 Kindle版が99円で売っていたので、つい買ってしまった江戸川乱歩の長編小説。
 じつは僕は十年ほど前に光文社で刊行された文庫全集で、江戸川乱歩のすべての作品を読んでいる。でもって、そのときに思ったんだ、この人の本はこの先もう二度と読まないほうがいいのではないかと。
 だってひどいんだもの、乱歩先生の小説。
 初期の短編や中編には出来のいいものがそれなりにあるけれど、その全キャリアを通じてみると、決して褒められたものではない質の作品がそりゃもうたくさんある。
 日本文学史に名前を残す江戸川乱歩たる人が、なんでこんなにレベルの低い小説たくさん書いているの?って。
 僕はその全作品を読んで、本当にびっくりした。そして素敵な装丁と少年時代の記憶に誘われ、その全集を読み始めてしまったことを少なからず後悔した(それでもめげずに最後まで読んだわけだが)。
 それはなにも僕がおごっているからということではないと思う。乱歩先生自身が──まぁ、ある程度は謙遜もまじっているのだろうけれど──年がら年じゅう、みずからを眼高手低{がんこうしゅてい}だと嘆いているので。
 その猟奇性たっぷりのエログロな作風に魅力を見いだす人にとっては(小説としての完成度はともかくとして)魅力的な作品がたくさんあるのかもしれないけれど、少なくても僕はそういう読者ではないので、乱歩の小説(とくに長編)の不出来さには少なからずがっかりさせられた。
 江戸川乱歩の名声は、当時日本ではまだ未開だったミステリというジャンルをいち早く切り開いたことと、みずから舵を取ってその後の発展に寄与したこと、さらには自身の非道徳性を隠すことなく作品に昇華することができたところにあるのであって、小説家としては決して一流とは言えなかったんだと今の僕は思っている。

幽霊塔

 そんな僕が懲りずにこの小説を読んでみる気になったのは、前述の通り電子版がとても安く売っていたのに加えて、しばらく前にジブリの宮崎駿監督がこの作品の解説口絵を描いた素敵な単行本が刊行されたがためだった。世界の宮崎が好きでわざわざ絵を描いてみせるほどの作品がどんな話なのか(すっかり忘れていた)読みなおしてみたくなったのだった。
 で、読んでみたのですが。
 やっぱり駄目だわ、乱歩先生。僕にはまったく楽しめない。
 もともとこの小説は、黒岩涙香が翻訳した海外作品を乱歩が涙香訳をもとにリメイクした作品なので、ストーリー自体は借りものだ。つまり乱歩の力の見せどころは、それをいかに魅力的に語ってみせるかにある。
 でもここでの乱歩の語りは僕の目にはとくに魅力的には映らない。主人公は自己中心的だし、ヒロインも生気に乏しい。少なくても僕にとっては共感できる登場人物がひとりもいなくて、読んでいて楽しくない。
 幽霊話のある時計塔に財宝が隠されているという設定ゆえ展開は派手だけれど、ディテールはいい加減きわまりない。作った人が迷子になって死んでしまうような複雑な地下の迷路の謎が、なにゆえ平凡な一般人に解けるのかわからない。逃げ出した虎が銃器室にいたシーンなんてギャグとしか思えない。
 まぁ、ディテールの粗をうまく埋め合わせれば、ジブリの長編映画にはちょうどいい話になるもかもしれないけれど、それにしたってこの乱歩の小説自体は、二十一世紀の読者にわざわざ読み継がれるほどの出来ではないと思う。
 あぁ、こういうのばっかり読まされたから俺は乱歩にうんざりしちゃったんだよなって。ひさびさにそのことを思い出した一冊でした。暴言大変失礼。
(Jun 19, 2016)

コールド・スナップ

トム・ジョーンズ/舞城王太郎・訳/河出書房新社

コールド・スナップ

 人気作家の舞城王太郎(僕は名前しか知らない)が翻訳を手がけたトム・ジョーンズの第二短編集。
 この短編集に繰り返して出てくるキーワードは医師、ドラッグ、アフリカ、戦争、心身症、糖尿病など。アフリカ赴任中にストレスやドラッグで身を持ちくずした医師が、帰国後にさまざまな問題に直面しながらなんとか生きている、みたいな話が多かった。堕落したエリートたちの苦難の一瞬を切り取ってあつめたような短編集。
 そのなかにあってもっとも気に入ったのが、『ロケット・ファイア・レッド』という作品。これは一編だけまったく作風が違っていて、アボリジニの血を引く美女が改造車レースで成功を収めるという話。短編にしてはドラマ性がとても高くて、ふくらませれば素晴らしい長編映画のシナリオになりそうな話だった。
 もうひとつ、最後に収録されているボクシングの話『ダイナマイトハンズ』も好きだ。アメリカ人作家が書くボクサーの短編ってあたりが多い気がする。
 まぁただ、どちらもこの短編集のなかでは他の作品とは作風が異なるので、それがいちばん好きっていっちゃう俺って、要するにこの人の魅力がわかっていないってことかもしれない。翻訳についても、くだけた口語調で訳された表題作のようなものについては、いまいちなじめなかったし、もともと医者やドラッグが苦手なこともあって、もしかしてトム・ジョーンズって俺には向かない?──とか思った一冊。
(Jun 19, 2016)

NOVEL 11, BOOK 18 -ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン

ダーグ・ソールスター/村上春樹・訳/中央公論新社

NOVEL 11, BOOK 18 - ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン

 本邦初登場のノルウェイ人作家の小説。
 英語訳を読んだ村上春樹氏が気に入って、いつまで待っても日本語訳が出ないからと、あえて英訳版から翻訳したという作品だけあって、これがとてもおもしろかった。
 訳者あとがきによると、オリジナル(の英語訳)はなかなか癖のある文体らしいけれど、春樹氏の日本語訳はとても読みやすく、文体的な面では特別な個性は(少なくても僕には)感じられなかった。主人公とその妻の名前が、ビョーン・ハンセン、ツーリー・ラッメルスと、終始フルネームで語られる点がちょっと珍しいかなと思ったくらい。あとは特別どこがどう変わっているということもない。
 ただ、小説としての構成はけっこう珍しいと思う。
 「この物語が始まる時点で」という語り出しでこの小説は始まり、まずは主人公が五十歳になったばかりのエリート公務員で、十四年連れ添った奥さんと別れて四年になることが明かされる。そしてその別れた奥さんとのなれそめ──というか、不倫相手との再婚話──が過去にさかのぼって語られていくのだけれど、主人公が五十歳になるまでを語り終えた時点で、そのページ数の半分を費やしてしまう。
 つまり冒頭の「この物語が始まる時点で」という言葉を信じるならば、そこまで読んでなお、この物語は本編に入っていないということになる。
 さらにはそのあと、いよいよ主人公がなんらかの謎の行動を計画していることがほのめかされたと思ったら、今度はその真相があきらかになる前に、前々妻とのあいだに生まれた大学生の息子が登場してきて、彼とのつかの間の新生活の話だけで、残りのページのさらに半分以上が進んでしまう。要するにいつまでたっても本題に入らない。
 なんだこの小説とあっけにとられていると、ようやく最後の最後になって主人公が思ってもみないような奇行に及び、おいおい、このあとどうなるんだよと読者をやきもきさせたところで、この小説はあっけなく幕となってしまうのだった。
 うーん、得体がしれない。主人公は(ひとつの奇行を除けば)基本的にふつうの人だと思うし、彼の人生を彩る個々のエピソードもそれほど突飛なものではないのだけれど、その組み合わせに奇妙なバランスの悪さがあって、そこがなんともいえず個性的だ。
 平凡なんだけれど平凡でない。ありそうでないタイプの、とてもおもしろい長編小説だった。
(Jun 19, 2016)

杉の柩

アガサ・クリスティー/恩地三保子・訳/クリスティー文庫(Kindle版)

杉の柩 (クリスティー文庫)

 なんだかポアロの長編もずいぶんひさしぶりだなと思ったら、前作『ポアロのクリスマス』を読んだのは去年の十一月だった。
 それからかれこれ半年ちょいで、僕はクリスティーの作品を三冊しか読んでいない。調べたら去年、おととしも九~十冊しか読めていなかった(気がつけば、なんともう三年)。知らないうちにすっかりペースが落ちてしまっている。この調子だと全巻読み終わるのに、少なくてもあと五年はかかる計算になる。
 まぁ、とはいえ、誰かとスピードを競っているわけではないし、その分の金もかかるんで、これからも月一くらいが精一杯かなぁという気がする。
 さて、ということでひさしぶりのポアロの長編。
 今回僕はクリスティーの作品を発表された順で時系列に読んでいるわけだけれど、こうして読んでいると、クリスティーがミステリの多様性を求めて、作品ごとに毎回違った趣向を凝らしていることがわかって、とてもおもしろい。
 この作品ではプロローグでいきなり殺人容疑を受けた美女の裁判シーンが描かれる。そしてそれを傍聴席でポアロが見守っているという構図。
 その後、本編に入って殺人事件が起こるまでの顛末が第一部として描かれ、第二部ではポアロが事件を調査するさまが描かれてゆく。そして第三部でふたたび裁判シーンに戻って、その判決に絡めて事件の真相があきらかになるという仕組み。そういうミステリとしての構造があきらかに新趣向だ。
 さらには容疑者があらかじめ決まっていて、その人の容疑を晴らすのがポアロの役割だというのが、これまでにないパターンでしょう。また、そういう構造ゆえに登場人物が少なくて、渦中の美女以外にあやしそうな人物がほとんどいないという設定がうまい。
 まぁ、事件が起こるまでを描いた第一部がやや退屈な感は否めなかったものの、第二部以降はおもしろくなって途中でやめられなくなった。
 最終的にあきらかになる真犯人の動機や犯行の手口はかなりの力技だけれど、決して納得がいかないってわけではないし、なにより、つねに前とは違うことをして読者を楽しませようとするクリスティーのサービス精神には大いに感銘を受けた。
(Jun 19, 2016)