2012年7月の本

Index

  1. 『幻燈辻馬車(山田風太郎明治小説全集三、四)』 山田風太郎
  2. 『村上ソングズ』 村上春樹
  3. 『あの川のほとりで』 ジョン・アーヴィング
  4. 『ルー=ガルー 忌避すべき狼』 京極夏彦

幻燈辻馬車

山田風太郎/ちくま文庫(山田風太郎明治小説全集三、四)

幻燈辻馬車〈上〉―山田風太郎明治小説全集〈3〉 (ちくま文庫) 山田風太郎明治小説全集 (4) 幻燈辻馬車 下 (ちくま文庫)

 ちくま文庫から出ている山田風太郎明治小説全集の第三、四巻。
 このシリーズの一、二巻に収録されている『警視庁草紙』を読んだのは、調べてみたら、かれこれ十年近くも前のことだった。
 いつもだとそこで後続の作品を読むのをやめたりしないんだけれど、なぜかそのときは僕の風太郎熱がそれを機に冷めてしまったようで、つづきを読まないうちに、いつの間にかこのシリーズ自体が絶版となってしまっていた。しまったと思うもあとの祭り。
 で、めでたくもこれらが復刊したのが、この二、三年のこと。ツイッターでそのことを知ったときには、お~っと大喜びしたものだったけれど、結局読まずにいるうちに、またそれなりの時間が過ぎてしまった。どうにも年を取ると、なにごとも後手後手になってしまっていけない。
 まぁ、なんにしろ、またもや絶版になってしまうと困るので、いまだ手に入るこの時期に再度読み始めることに決めました。ということで、既読の一、二巻は飛ばして、今回は三巻から──なのだけれど。
 うーん、でもこれ、僕は残念ながらいまいち好きになりきれない。
 このシリーズは稀代のストーリーテラー山田風太郎ならではの奇抜な物語に、明治史を彩る歴史上の偉人たちを随所で絡めてみせたところが魅力だと思うのだけれど──この作品で言うと、三遊亭円朝、大山巌、坪内逍遥、田山花袋といった面々が出てくる──、どうも忍法帖にくらべると荒唐無稽さが低いせいか、話が殺伐としている。
 忍法帖の場合、基本的に殺し合いの話でありながら、もともと忍者という存在自体が限りなくフィクションに近い上に、繰り広げられる忍法合戦が荒唐無稽なため、なんだそりゃって感じで苦笑を禁じ得ない部分があると思うのだけれど、この明治シリーズにはそういう馬鹿らしさがない。
 まぁ、これとかは幽霊が出てくる話ではあるけれど、べつに幽霊が人を呪い殺したりするわけではなくて、人が殺されるのはもっと即物的な理由からだ。脇役の美女たちはむごい目にあってばかりだし、どうにも全体的に救われない感が強い。忍法帖を読み終えたあとに残る(その内容からすると不謹慎に思える)不思議なすがすがしさが、この作品からは感じられない。物語としてはおもしろいものの、そこが残念だったりする。
 僕が『警視庁草紙』でばったりと読むのをやめてしまったのは、もしかしたらその辺の救われなさを無意識的に感じたからだったのかなとか、これを読んでちょっと思った。でも今回はこれに懲りず、引きつづきほかの作品も読む予定。
(Jul 01, 2012)

村上ソングズ

村上春樹、和田誠/村上春樹翻訳ライブラリー(中央公論新社)

村上ソングズ (村上春樹翻訳ライブラリー)

 村上春樹氏がお気に入りの英語の歌をみずからの訳詞とともに紹介するエッセイ集。
 「訳詞とともに」というところがこの本の骨子なので、取り上げられているナンバーはすべて歌もの。だからジャズやクラシックばかりのエッセイと違って、より親しみやすい内容になっている……かと思いきや。
 そこは、やはり音楽ファン歴が長い村上春樹氏ご推薦の楽曲群。僕なんかが知っているのは全体の五分の一に満たなかった。
 おもしろかったのは、『ブルー・モンク』や『酒とバラの日々』のような、「え、この曲って歌詞があるんだ」という曲がたまに取り上げられているところ。『ブルー・モンク』なんかは、その歌詞がいまの僕にとってとても身に染みる内容だったので、思わずCDを買おうかと思ってしまった(歌っているのはアビー・リンカーンという人)。
 あと、個人的にちょっとすごいと思ったのは、紹介されている僕の知らない曲のいくつか──クラレンス・カーターの『パッチズ』や、エラ・フィッツジェラルドの『ミス・オーティスは残念ながら』など――が、僕の iPod に入っていたり、うちにCDがあったりしたこと。さすがに手当たり次第にCDを買いまくってきた過去は伊達じゃない。わが家の音楽ライブラリー、意外とあなどれない。──といいつつも、それをきちんと聞き込んでいないんじゃ、仕方ないけれど(しばし反省……)。
 あと、この本の中で僕が知っている曲のうちのひとつで、エルヴィス・コステロがバート・バカラックと共作した『この家は今は空っぽだ』が、アンネ・ソフィ・フォン・オッターという女性のバージョンで推薦されている。
 僕はその曲の入ったアルバム、コステロ・プロデュースだというのでひと昔前に買ったのだけれど、ぜんぜん趣味じゃなくて、一度聴いただけで放ったらかしてあった。今回、春樹氏がそのアルバムを褒めているのを読んで、「そんなによかったっけ?」と思って聴き返してみたところ、あぁ、と納得。なんか、ビーチ・ボーイズ+ジャズみたいなテイストで、春樹氏が気に入るのがすごくよくわかった。で、僕がまったく反応しなかった理由も。この音は当時の俺は聴かないや。
 でも、これがいま聞くと、なかなか悪くないんだ。やっぱ音楽の趣味って歳月を重ねるとともに変わるんだよなぁ……とあらためて思ったのでした。
(Jul 01, 2012)

あの川のほとりで

ジョン・アーヴィング/小竹由美子・訳/新潮社(全2巻)

あの川のほとりで〈上〉 あの川のほとりで〈下〉

 前作『また会う日まで』からおよそ四年ぶりに刊行されたジョン・アーヴィングの最新長編。アーヴィングは一時期翻訳が途絶えていたせいか、四年くらいのインターバルで新作が登場すると、あ、今回は早いなという感じがする。
 この作品については、昨今のアーヴィングにしては珍しく、序盤がややとっつきにくい。舞台はニューハンプシャーの人里離れた山間にある伐採地で、登場人物はがさつな人たちばかり。そして物語はひとりの家出少年が溺死したところから始まる。
 なんかアーヴィングらしくないな、いまいち盛りあがらないなと、ページをめくる手がなかなか進まなくて、最初の百ページくらいは読むのにずいぶんと時間がかかってしまった。ところが。
 そのあとにいきなり、これぞアーヴィング!って悲劇が待ちかまえている。そうそう、これぞアーヴィングの真骨頂と思わせる、セクシャルで滑稽な、それでいて悲しすぎる事件。あまりに意外なその展開から物語はいよいよ本編突入とあいなり、そこから先はいつもどおり、抜群におもしろくなった。
 あとで上巻の帯の宣伝文句を見たら、そこんところの展開が思いきりネタバレで書いてあったりしたけれど、さいわい僕は知っている作家の本を買うときには帯なんかちゃんと見ないし、読んでいる間は書店の紙カバーをつけたままなので、その展開に大いに驚いた。やっぱ小説はなにも知らないで読むのが一番だと思う。
 物語はそののち作家となる主人公のダニエル・バチャガルポ──どうにもこの名前が覚えられない──が十二歳のときに始まり、彼がコックである彼の父親ドミニクとともに北米大陸の各地を転々としながら暮らしてゆくその人生を、半世紀の長きに渡って描いてゆく。
 わけあって逃亡生活を余儀なくされたふたりは、過去に追いつかれるたびにそれまでの生活を捨てて、別の土地に移ってゆく。そうやって彼らの生活が変わるたびに章もかわり、章がかわるたびに十年前後の時間が過ぎている。
 この小説の特徴のひとつはその部分。読者は新しい章が始まるたびに、その土地でいま現在のバチャガルポ親子がどんな風に暮らしているのか、僕ら読者は興味津々ということになる。さすがストーリーテラーのジョン・アーヴィングだけあって、その語り口が上手い。
 あと、この小説でもっとも魅力的な登場人物のひとりが、主人公の親子の親友である{きこり}のケッチャム(ファースト・ネーム不明)。がさつで無学で口は悪いけれど、情に厚くて喧嘩が強いこの大男は、奇妙な縁でバチャガルポ親子と深く結びついている。この人がとても素晴らしい。ある意味、この小説は彼を描くための作品なんじゃないかってくらいの存在感がある。こういう人に友として愛されたら幸せだろうなって。そんな風に思わせる名脇役。
 もひとつ、この小説の読みどころは、主人公の作家としての人生が、アーヴィング自身のそれをなぞった自伝的内容になっていること。
 前作『また会う日まで』も自伝的作品と言われつつ、あちらはいったいどこが?って感じだったけれど、今回は反対に、そう言われる前から、これは自伝的なんだろうなと思わせる内容になっている。なんたって主人公は作家だし、彼の恩師や同僚として、カート・ヴォネガットやレイモンド・カーヴァーが実名で登場しているのだから(出番はワンシーンずつだけれど)。それだけでももう僕なんかにはたまらない。
 まぁ、エンディングがやや甘すぎる嫌いはあるけれど、基本、僕はハッピーエンドが好きなので、これはこれでよし。アーヴィング・ファンとしては大満足の一作だった。
(Jul 28, 2012)

ルー=ガルー 忌避すべき狼

京極夏彦/徳間書房

ルー=ガルー ― 忌避すべき狼

 京極夏彦、現時点で唯一の近未来小説(帯の言葉を借りれば、近未来少女武侠小説)。十年ぶりに続編が登場したので、それを読む前に第一作を再読した。
 読んだのはいっとう最初に徳間書店から刊行されたソフトカバーの単行本。京極作品を再読するにあたっては、文章に改訂の加わった文庫版で読むパターンが多いのだけれど、今回は講談社から刊行された文庫版が分冊のみだったので、買わなかった(分冊嫌い)。
 続編の『ルー=ガルー2』は単行本、新書版、文庫版、電子版の四バージョンが同時リリースされたこともあって、さすがに京極堂シリーズのように一冊ものの文庫版と分冊文庫版の二種類を出してはくれなかった。ちと残念。
 それにしてもこの作品、初めて読んだときには、京極堂シリーズとの意外なつながりに驚愕したり(知らない人は『百鬼夜行-陰』収録の『鬼一口』を読むべし)、クライマックスでの美緒の破天荒な大活躍に大盛りあがりした記憶しかないけれど(プラズマ砲最高!)、こうして再読してみたら、かなり重いテーマを含んでいてびっくりだった。
 考えてみれば、最終的に中学女子が殺人を犯してしまう話なわけだ。軽い話のはずがない。少なくても京極夏彦という人は、殺人を娯楽として扱ってのほほんとしているようなタイプの作家ではない。
 ──いや、ないんだけれど、それでもクライマックスに必殺仕事人×ハリウッド的な派手なアクション・シーンが用意されているだけに、初読のときにはそちらに盛りあがってしまって、重い部分は記憶に残らなかったらしい。人間としてなってねぇ。
 なんにしろ、僕はこの作品の続編が書かれたことを意外に思っていたのだけれど、今回再読してみて、あぁと納得した。なまじ話が重いものを含んでいるだけに、この小説をここで終わらせるってのは、それは京極夏彦らしくない。
 少女たちが犯した罪に対する落とし前は、それがどういう形であろうとも、必ずつけなくちゃいけない。京極夏彦という人はそういうことを当然のこととして引き受ける倫理性を持った作家だと僕は思っている。それゆえ、『ルー=ガルー2』の登場は当然の流れだったんだなと。今回、この作品を読み返して、そう思った。
(Jul 28, 2012)