2007年2月の本

Index

  1. 『異人館』 レジナルド・ヒル
  2. 『ミスター・ヴァーティゴ』 ポール・オースター
  3. 『最期の声』 ピーター・ラヴゼイ
  4. 『文学刑事サーズデイ・ネクスト1 ジェイン・エアを探せ!』 ジャスパー・フォード

異人館

レジナルド・ヒル/松下祥子・訳/ハヤカワ・ミステリ

異人館  (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 個人的に現在ミステリ作家としてはもっともすごいと思っているレジナルド・ヒルによるノン・シリーズの長編小説。帯の文句によると「幽霊譚、ゴシック小説、歴史小説、パズラーなど、あらゆる要素を詰め込んだ大作」とのことで、まあそうなのかもしれないけれど、期待していたほどには読みごたえがなかった。
 物語は見ず知らずのオーストラリア人の女子大学生と、若くて神がかりなイタリア人の歴史学者が、イングランドの片田舎の村で出会い、その土地と深くかかわるそれぞれの家系の過去の秘密と出くわすというもの。歴史的にまつわる過去の事件をあつかっている点で、ロバート・ゴダード風の作品だったりする。まあ、レジナルド・ヒルの作品だから、ゴダードの作品ほどあっさりと読めたりはしないけれど、とはいってもそれほど難解な話というわけでもなく、なんとなくどっちずかずな印象を受けてしまった。もっと重厚であってくれてもよかったかなと思う。
 主人公のサム(サマンサ)・フラッドは数学の天才。いまは亡き自分の祖母が幼い頃に移民としてイギリスからやってきたと知り、イギリス留学のついでに、祖母の出身地らしいとされるカンブリア州のイルスウェイトという村を訪れる。ところが彼女の問いに対する村人の答えは、祖母らしい女性など知らないというばかりで、なぜか隠しごとをしている雰囲気がある。あやしいと思って探りを入れた彼女は、その村の墓地の片隅に、自分と同姓同名の男性の墓石がひっそりと隠されるように立っているのを発見する。
 彼女が村の人々にその墓の主と自分との関係を問いただしている頃、彼女が滞在している小さな宿≪異人館≫にもうひとりの外国人、ミグ・マデロがやってくる。彼は子供の頃から聖痕ができたり、幽霊を見たりするという一種の超能力者。それらが理由で一時は聖職者を志していたのだけれど、わけあって方向転換して、いまは異端審問にあった聖職者について研究している。調査のためにその土地を訪れた彼もまた、偶然──というよりは祖先の霊のお導きにより──、その村で過去に起こった事件が、自らの祖先に深くかかわっていることを知ることになる。
 数学者ゆえに徹底した合理主義者のサムと、霊感あらたかな聖職者くずれのミグは、出会ったのちもしばらくは、まるでうまがあわない。それでも当然のごとく、二人はやがてベッドをともにすることになる。聖職者としての修行に明け暮れていたため、女性なれしていないミグが、それをきっかけに年下のサムにメロメロになってしまう展開がおかしい。
 舞台設定はダルジール警視シリーズとはずいぶん違ってはいるけれど、それでいて主人公二人がともに優秀な頭脳の持ち主で、性格的なずれを感じつつも惹かれあうようになるという点には、あちらのパスコーとエリーの関係を思い出させるものがあった。どんなに強く結びついていようとも男女の関係が完璧なものにならず、それどころか、常にかなりのずれを含んでいて、なおかつ女性の方が進歩的だとするあたり、シニカルなイギリス人作家ならではかもしれない。
(Feb 04, 2007)

ミスター・ヴァーティゴ

ポール・オースター/柴田元幸・訳/新潮文庫

ミスター・ヴァーティゴ (新潮文庫)

 主人公の孤児{みなしご}ウォルトが不思議な紳士に拾われて、擬似家族のもとで宙に浮かぶ能力を身につけ、波乱万丈の半生を送ることになるというこの小説のプロットには、やたらとディケンズの作品を思い出させるものがある。初期のニューヨーク三部作の頃のオースターには、ディケンズを連想させる要素なんて皆無だったから、この人もずいぶんと作風が変わったものだなと思う。
 ただ、この小説は物語の骨組みだけがディケンズ風なのであって、そこに描かれる風俗は見事にアメリカそのものだ。そもそも空を飛ぶ大道芸でショービズ界で一旗あげようという発想が実にアメリカ的。ウォルトの家族となるのも、得体の知れないイェフーディ師匠に、背中の曲がった黒人青年イソップとネイティブ・アメリカンのマザー・スーという、移民国家ならではの雑多ぶり。それにイェフーディ師匠の恋人で、奔放なる美女ミセス・ウィザースプーンが加わる。
 これらの人々との交流のなかで、ウォルトが成長していって、ショービズ界で大成功するまでを描くのかと思っていたらば、そういうわけではないところがおもしろい。途中で物語は脱線して、アメリカン・エンターテイメントの定番であるギャングものへと流れていってしまったりする。KKK団が跋扈したり、殺人事件が起こったり。この作品はニ十世紀のアメリカ社会を駆け足で横断してみせる、数奇な運命をたどったひとりの男の年代記という様相を呈している。
 物語としてはなかなかおもしろいと思うのだけれど、それでいてどことなく、でこぼことした納まりの悪い印象も受ける。そのどことない物語の{いびつ}さと、語り口の滑らかさとの対照に、オースターならではの個性があるような気もする。
(Feb 12, 2007)

最期の声

ピーター・ラヴゼイ/山本やよい・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫

最期の声 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 ピーター・ダイヤモンド警視シリーズの第七弾であるこの本は、被害者が主人公の奥さんであるという点において、探偵小説としてはきわめて特異な作品になっている。スペンサー・シリーズでスーザンが殺されたり、ダルジール警視シリーズでエリーが殺されたりしちゃうようなものだ。ハードボイルドならばともかく、本格推理のシリーズもので、そうしたプロットを用いた作品というのは、きわめて珍しいんじゃないかと思う。
 この作品の肝となるのは、殺されたのが捜査官の妻であるため、公平な捜査が難しいという理由で、ダイヤモンドが捜査から外されてしまう点にある。普通に考えると、妻を殺された探偵が復讐のために全力を注いで捜査に乗り出してゆくという展開になりそうなものだけれど、そうはならないのがミソだ。捜査から外されたダイヤモンドはなりゆきを見守るばかりで、事件はいっこうに解決の目処が立たず、それどころかダイヤモンド自身が容疑者の筆頭にあげられる始末となり、事件は迷宮入り一直線という様相を呈してゆく。たまらずダイヤモンドが上司の命令を無視して、単独捜査に乗り出してゆくという展開が、第一作あたりに戻ったような感じを起こさせる。
 ミステリとして見た場合、フーダニットとしての意外性はいまひとつだと思う。でも動機という面でのトリックはとても見事だ。ひさしぶりにミステリらしいミステリを堪能させてもらった。
(Feb 12, 2007)

文学刑事サーズデイ・ネクスト1 ジェイン・エアを探せ!

ジャスパー・フォード/田村源二・訳/ソニー・マガジンズ

文学刑事サーズデイ・ネクスト〈1〉ジェイン・エアを探せ! (ヴィレッジブックス)

 オモチャ箱をひっくり返したような、にぎやかな表紙のデザインが気に入って、いわゆる「ジャケット買い」した作品。
 本当はタイトルにも使われていることだし、『ジェイン・エア』を先に読もうと思っていたのだけれど、最近このシリーズの第三作が刊行になって、それがかなり高価だったために買うべきか決めかね、とりあえず第一作を読んでから考えようと、フライング気味に読むことにしてしまった(一冊も読んだことのない作家の本を、先に三作目まで買いそろえようと思うのがおかしいという意見はこの際おくとして)。
 そうしたら、これが大失敗。読むと『ジェイン・エア』のあらすじがすっかりわかってしまう。まだ『ジェイン・エア』を読んだことがなくて、これから読むつもりでいるネタばれNGな人は、ぜったい先に『ジェイン・エア』を読んでおいたほうがいいです。ああ、英米文学部出身のくせに、あれほど知名度の高い古典を未読だった不勉強な自分が情けない。
 作品自体はといえば、これがかなり風変わりな小説だった。舞台となるのは、現実とは異なるパラレルワールドのイングランドで、文学関係の事件を専門にあつかう女性刑事サーズデイ・ネクストが、ディケンズの肉筆原稿を盗み出した凶悪犯アシュロン・ヘイディーズを追うという話(この天才犯罪者はなぜか不死身で、防犯ビデオにも映らない)。
 この世界にはスペックオプスと称される特別捜査機関があって、サーズデイが所属するリテラテック(文学刑事局)はそのうちのひとつ。スペックオプスには全部で30局あって、それぞれの機関には番号がついている。リテラテックは SO-27(SOはスペックオプスの略──最近読んだラヴゼイの『最期の声』にもSOなんとかへの言及があったから、もしかしたら実際に類似する組織があるのかもしれない)。おもしろいところでは、SO-17 が吸血鬼・狼人間処分局なんてものだったりする(狼男もちょっとだけ登場する)。
 サーズデイの親族も傑物ぞろい。父親は現在・過去・未来を自由に行き来できる能力の持ち主で、かつてはSO-12 の特別時間安定局、通称クロノガード(時空警備隊)に所属していたけれど、現在は逆にそこから追われる身となっているという設定。彼女の伯父マイクロフトは発明家で、この人が本の中に入り込める機械を発明したことから、それを狙ったヘイディーズや政府機関を巻きこんで、話はどんどんと大きくなってゆく。
 作品は、才能ある文学オタクが、SFやミステリなどの垣根を取り払って、珍妙な虚構世界を作り上げ、好き勝手に遊びまくった一大娯楽小説といった感じ。あれこれと文学的装飾を凝らして見せているわりには、あまりペダンティックな感じがなく、スピーディーなエンターテイメントに仕上がっているところに好感が持てた。とても個性的で楽しい小説だと思う。
 ただし、じゃあ第三作にいきなり五千円以上払えるかと言われると、やはりちょっと躊躇{ためら}ってしまう。いきなりの価格高騰に対する反感が強いので、気分的には文庫待ちの公算が大。ま、とりあえず結論は第二作を読み終えるまで保留ということで。
 ちなみに僕は読み始めるまで、サーズデイ・ネクストという人が女性だとは思っていなかった。名詞に性別があるという話は聞くけれど、ウェンズデイ(『アダムス・ファミリー』の女の子)やサンデイという名前の女性もいるし、曜日をあらわす単語というのは、基本的に女性名詞なんでしょうか。よくわからない。
(Feb 25, 2007)