あらしのよるに
杉井ギサブロー監督/2005年/日本/ユナイテッドシネマとしまえん
2006年の新春一発目は、連作絵本を原作とした児童向け長編アニメ映画。正月のイベントとして、子供と一緒に劇場に見に行った。
映画館で映画を見るのはいつ以来だろう。普段は子供向けアニメなんて只でも観たいと思わないのだけれど、この作品に関してはその絵のタッチがこれまでのアニメと随分と違っていたので、どんな風に仕上がっているのか、とても興味を引かれた。また原作が絵本ということで、マンガが原作のアニメよりも映画としてのオリジナリティが強く感じられそうな点も期待が持てそうだと思った。なのでひさしぶりに(前売り券もなしに!)劇場に足を運んだわけなのだけれど……。
残念ながら僕はこの映画をあまり肯定できないでいる。
関心を抱いた理由の一点目であるアニメーションとしての技術の面では、かなり完成度が高いと思う。アニメに詳しいわけではないけれど、まるで水彩画かマットペインティングのようなキャラクターが、そのままの絵でちゃんと動いていることには、とても感心した。少なくても宮崎作品を頂点とする日本のセル画アニメに対して、アニメであるがゆえの宿命とも言うべき、その陰影の少ない単一的な色使いにもの足りなさを感じ続けている者としては、この作品の表現力にはとても感銘を受けた。
作画へのこだわりはキャラクターだけではなく、風景、背景などの描写にも見られる。雨が降り始める部分での雨粒の描写など、今までに僕が見たセルアニメの中では一番リアルだった。全体的に風景描写もとても丁寧で美しい。唯一残念だったのは、主人公二人が濁流に飲まれる部分。あの川の表現だけは、旧来のセルアニメの手法そのままという感じの平凡さで、それがかえって目立ってしまっていた。やはり水を描くのは難しいということなのだろう。
そのほかにもキャラクター・デザインの上で、ヤギがまるでヤギに見えないというのにも若干ひっかかりを覚えたりもしたけれど──まあリアルに山羊を描いたんじゃ、どう考えたって可愛くできそうにないし、その点はコマーシャリズム的な側面からの必然なのだろう──、そういう細部でのニ、三の不満点を除けば、視覚的な面では非常に感心させられた作品だった。
その反面気になったのは、とにかく絵本がベースの児童向け映画でありながら、幼い子供への配慮を欠いた演出だ。
大体にして1時間47分という時間がまず長過ぎる。子供向けならば1時間半にまとめないといけないと僕は思う。少なくても大人の僕にとっても、この映画は不必要に冗長に感じられた。削るところを削れば、もっとコンパクトでわかり易い話にできたはずだ。
その一番最たる部分が、冒頭のメイの母親が狼に殺されるシーン。監督と原作の人が、狼の残虐性を表現するために、どうしても入れたかったと語るシーンだけれど、僕はその理由を理解した上で──実際にこれがあることにより、ガブとメイの関係がとてもスリリングになっていることは認める──、やはりこのシーンの描き方には不満を覚えてしまう。
不満は二点ある。まずはそれが物語のメインとなる時間軸からはずれた回顧シーンであること。僕にはそのシーンのあと、物語の流れがどうなっているのか、よくわからなかった。デザイン的にメイが大人になったあとも成獣に見えないせいで、最初のうち、それに続くシーケンスが、すでにメイの母親が死んでから何年か経過した場面だということが飲み込めなかった。幼い子供ならばなおさらだろう。普通の映画ではあたり前に使われている演出だろうけれど、それを子供相手の映画で同じように使うのは、思慮不足じゃないだろうか。大人が説明してあげないとわからないようなシナリオでは仕方ない。
これはラスト近くでガブが記憶喪失になるという展開もそうだ。この部分は絵本のままなのかもしれないけれど、子供相手の話で記憶喪失はないと思う。普通の映画ならば子供だましだと笑われるような展開を、子供向けだからって使って欲しくない。子供向けだからこそ、子供だましはご法度だ、くらいに思って欲しい。僕は「子供なんだからこの程度の話でもいいだろう」という発想には大いに反感をおぼえる。無知な子供だからこそ、できる限り良質な物語を与えてあげたい。クリエーターにはそういう姿勢であって欲しい。とにかくカブが記憶喪失になるシーンには失望した。
話は冒頭のシーンに戻るけれど、その部分でもうひとつ気に入らなかったのが、メイの母親が狼の耳を引きちぎるシーン。母親が殺されるのは演出の必要上、仕方ないとしよう。しかしそれにしても見せ方というものがある。なにも耳を引きちぎらなくなっていいだろう。あれはちょっと残酷すぎる。絵本と同じテイストを期待してきた子供が、いきなり冒頭でそんな残虐なシーンを見せつけられることを、製作者側は一体どう思っているんだろうと不思議になった。
いや、それが物語の上で必要不可欠だというならば仕方ない。それがないと物語が転がっていかないのだからというならば。でもこの場合は決してそんなことはない。そこで耳を引きちぎられた狼はその後ガブの群れのボスとなり、その体験ゆえにヤギを人一倍(狼一倍)憎むことになるという伏線なのだけれど、この物語において、わざわざボス狼にそんなキャラクター設定をする必要がどこにあるんだろう? 群れを離れたガブとメイを執拗に追いかける理由は、単に自分たちを裏切ったからというだけで十分だ。少なくても僕はそれで納得する。なにもボス狼にヤギに対する過剰な憎悪を抱かせる必要なんてない。結果、そういう余計な演出を入れることで、この作品は冗長になり、メインとなる物語の純度が落ちてしまっている。伏線として、いいところなんてひとつもないと僕は思う。そんな演出を加えなくてはならないと思った作者の意図がさっぱりわからない。
作者の意図がはまっていないと思った点がもうひとつある。メイをオスのヤギとして描いてしまったことだ。これはとても大きなミステイクだと思う。
この作品、原作の絵本ではメイの性別は明示されていないのだそうだ。だから絵本を読んだうちの妻子は、メイのことを女の子だと思っていたという。パンフレットに収録された監督へのインタビューでも、インタビュアーがそのことについて質問している。それに答えて監督の杉井さんは、原作者のきむらゆういち氏と「男同士の友情の物語とも捉えられるし、男女の恋愛ドラマにも捉えられる。そんなどちらでもないものとして作りましょうって言っていたんです」と語っている。だからメイを女の子にはしなかったんだと。
けれど絵本では恋愛物語とも友情物語ともとれた話が、この映画では声優に男性を起用したことによって、逆に友情の物語に限定されてしまっている。明示的に恋愛物語であることを否定されてしまっている。ここに恋愛の物語を見るのは、かなり成熟した──というか恋愛に対する、性別を超えた──視点が必要だ。
困ったことに、同じインタビューで杉井さんは、ガブが食欲という本能を抑え、群れを捨ててまでメイと行動をともにする、それほどまでのメイの魅力がわからないと語っている。だとするならば、余計この演出は失敗だったろうと思う。この映画はメイが可愛いメスだったとした方が絶対にしっくりくる。だとすればガブが食欲をそそられながら、相手の愛らしさに魅せられたがゆえ、食欲よりも友情をとるというのがすんなりとはまる。少なくても僕にはその方が納得がゆく。
別に恋愛感情なんてなくてもいい。男女の友情の話でもよかったはずだ。もしも友情の話として描くのならば、それこそ声優には男性を起用するのではなく、性別不明な女性声優を起用すべきじゃなかったんだろうか。なまじ起用された若手男優の吹き替えが、特別上手いとも思えなかったから、この点は非常に残念でならなかった。
というようなわけで、僕は総合的にこの映画は失敗作だと思う。失敗の一番の原因は、絵本という原作のもつ特性、描写や言葉が少ないがゆえに物語が曖昧であること、その曖昧であるがゆえの魅力といったものを表現し切れなかったことなんじゃないだろうか。そしてもしかしたら、そうした曖昧さこそは、一コマ一コマを丹念に仕上げてゆくことを宿命づけられているアニメーターにとって、もっとも苦手なものなのかもしれないなと。そんなことを思った。
(Jan 06, 2006)