2024年2月の本

Index

  1. 『フィッツジェラルド10』 スコット・フィッツジェラルド
  2. 『運命の裏木戸』 アガサ・クリスティー

フィッツジェラルド10

スコット・フィッツジェラルド/村上春樹・訳選/中公文庫

フィッツジェラルド10-傑作選 (中公文庫 む 4-14)

 タイトルのとおり、村上春樹がみずからが訳したフィッツジェラルドの短編のうちから、選りすぐりの十編を収録した文庫オリジナル企画のアンソロジー。
 ベストテンといいつつ、最後の一編は後期のエッセイ三部作『壊れる』『貼り合わせる』『取り扱い注意』をひとつとカウントしているので、正確には計十二編が収録されている。
 全編わざわざこのために手を加えたのかと思ったけれど、そうではないらしい。少なくてもあとがきにはそういう言及はなかった。
 出自はすべて過去のアンソロジーからということで、要するにベスト・アルバム的な本。春樹氏訳のフィッツジェラルドの短編集をすべて読んでいる読者はわざわざ読まなくてもよし――ってわけにはいかないのが、ファンというもの。
 全曲音源を持っていても、好きなアーティストのベスト盤は買わずにいられないのと同じで、これもやっぱファンとしては読まないではいられない。収録順の違いによるニュアンスの変化を楽しむべしって一冊。
 まぁ、代表作ばかりということで、質の高さは折り紙つき。最高品質のフィッツジェラルドの短編だけあって、全部読むと悲しくてやりきれない。
 こんなにがっつりと悲しい話ばかりまとめて読んだのはひさしぶりだ。
(Feb. 08, 2024)

運命の裏木戸

アガサ・クリスティー/中村能三・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

運命の裏木戸 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 去年のうちに『スリーピング・マーダー』まで読み終えて、クリスティー完読計画を終わらせるつもりだったのに失敗。
 まぁ、無理をすれば年内に詰め込めないこともなかったんだけれど、ここまできて最後の作品を駆け足で読むのももったいなかったので、あえて今年に持ち越した。
 ということで、残ったクリスティーの長編小説は、これを含めてあと三編。そのほか自伝や落穂拾い的な短編集や企画本などを含めても残りは一桁台。さすがに今年で終わるだろう。
 いやぁ、長かった。まさか干支が二周目に入るほどかかるとは思わなかった。
 さて、このあとの『カーテン』と『スリーピング・マーダー』はクリスティーが自分の死後に発表するよう指示して金庫にしまっておいた作品なので、つまりクリスティーが生前最後に書いた小説は、この『運命の裏木戸』ということになる。
 ――いやしかし。残念ながらこれは出来がいまいち。
 トミーとタペンス・シリーズの第四弾であるにもかかわらず、前作『親指のうずき』との関連性はほぼゼロだし(僕がわからなかっただけ?)、主役ふたりは七十を過ぎているはずなのに、妙に若々しい。加えて『NかMか』への言及があちこちにあることもあって、もしかして『親指のうずき』より前の時代設定なのかと思ってしまったくらいだった。
 物語はトミーとタペンスが老後を過ごすために引っ越してきた屋敷で、以前の住民が残していった本棚を整理していたところ、タペンスがその中の一冊に「メアリ・ジョーダンの死は自然死ではない」というメッセージが暗号で隠されていたのを見つけて、その真相究明に乗り出すというもの。
 要するにミス・マープルの『復讐の女神』やポアロの『象は忘れない』と同様、過去に起こった事件の探求という晩年のクリスティーのメインテーマを、トミーとタペンスを主役に描いてみせた作品なのだけれど、たぶん失敗の原因はそこにある。
 基本この二人が出てくる話はスパイものだから、今回もやはり過去のスパイ事件にまつわる秘密があきらかになるのだけれど、その展開がどうにも無理筋すぎた。
 半分くらい読んでも話がたいして進まないし、クリスティーを読んでいてこんなに焦れったく思ったのは初めてかもしれない(十三年も読んでいるので忘れている可能性もある)。犬の気持ちを擬人化したジュブナイルみたいな文章もあるし、後半になって起こる殺人もまるでとってつけたようだし。場面の説明をしたあと、地の文なしで会話だけが延々とつづく章も多くて、文体的にもまるで戯曲みたいだ。クリスティーって前からこんなだったっけ? と思ってしまった。
 これをクリスティーの遺作と呼ぶのはあんまりなので、このあとに『カーテン』のような名作を残しておいてくれて本当によかったと思う。
 飛ぶ鳥跡を濁さずとは、まさにこのことでは。
(Feb. 11, 2024)