2023年12月の本

Index

  1. 『ゴースト・トレインは東の星へ』 ポール・セロー
  2. 『アクナーテン』 アガサ・クリスティー
  3. 『薬屋のひとりごと5』 日向夏
  4. 『最後の注文』 グレアム・スウィフト

ゴースト・トレインは東の星へ

ポール・セロー/西田英恵・訳/講談社

ゴースト・トレインは東の星へ

 ロンドンから出発して、できるだけ鉄道を使ってユーラシア大陸を横断し、極東・日本で折り返して、最後はシベリア鉄道でヨーロッパへ帰る。
 ポール・セローという人は三十代のころにそんなひとり旅の模様をつづった旅行記『鉄道大バザール』のヒットにより作家としての地位を確立したのだそうだ。
 いわば沢木耕太郎の『深夜特急』、あれの逆ルート版。
 どちらも七十年代前半の話で時期も一緒。ほぼ同時期に見ず知らずのアメリカ人と日本人が正反対のルートで同じような旅をしていたのがおもしろい。そういうのがブームの時代だったんでしょうかね。よくわからない。
 さて、話は『鉄道大バザール』の旅から三十年後。二十一世紀に入って{よわい}六十を過ぎたセロー氏がふたたび同じルートを辿って書きあげたのが本書。
 訪れる国の数が多いうえに、作者がこれまでに読んできた様々な文学作品からの引用が随所に盛り込まれているため、ボリュームはんぱなし。上下二段組・五百五十ページ越えで、どのページも活字がびっちりで黒々している。
 おかげで読み終わるのに一ヵ月以上かかってしまったけれど、作者が何か月もかけた旅の記録だけに、その時間がある種の臨場感を与えてくれて、ともに旅をしているみたいな気分になれた。
 いやしかし、平和な日本でのほほんと暮らしているせいで知らないことの多かったこと。トルクメニスタンの大統領ニヤゾフが独裁のあまり、十二ヶ月や曜日の呼び方を変えたとかいう話には心底びっくりだった。「これからは四月のことを私の母親の名前で呼びなさい」って。え、そんなの許される? でもって、それっていまからせいぜい十五年くらい前の話なの? マジ? いやはや、びっくりだ。
 日本人としては、旅の最後の最後に訪れるわが母国についてどんなことが書かれているか楽しみにしていたのだけれど、残念ながらセロー氏の描く日本のイメージはあまりよろしくない。
 セロー氏の『ワールズ・エンド』を翻訳した縁もあって、日本での案内役をわれらが村上春樹氏が買って出ているのだけれど、よりによってその春樹氏の案内で訪れるのが、秋葉原の大人のおもちゃのデパートやメイドカフェって……。
 なにもわざわざそんなところへゆかなくなっていいだろうに。
 俺は仕事で有楽町へ通っていたころ、山手線の車窓から毎朝のようにその大人のおもちゃのデパートを眺めていたけれど、一度も中に入ったことがないぞ。大半の日本人男性は僕と同じだと思うんだけれどなぁ……。
 セロー氏は日本のマンガ文化や突飛な性風俗に、日本男性の幼児性やロリータ趣味を見い出して揶揄しているけれど、読んでいるこちらからすると、どの国でも娼婦や風俗嬢に目を止めて詳しく書いているあなたもなかなかのエロ親父だろうよって言いたくなる。六十過ぎてなおセックスに拘泥しすぎでは。
 社会の暗部としての犯罪や性風俗の現実を暴くのも文学の仕事だという考え方はあるんだろう。でもそうでない文学だってあってしかるべきでしょう。明るい場所を歩いて、美しい文章を書いただけでは文学にならないというのは、ある種、文学の敗北宣言ではなかろうか。
 『奥の細道』みたいな紀行文学の古典がある日本人の感覚からすると、セロー氏の紀行文はいささか品を欠きすぎている気がした。
(Dec. 17, 2023)

アクナーテン

アガサ・クリスティー/中村妙子・訳/クリスティー文庫/早川書店/Kindle

アクナーテン (クリスティー文庫)

 クリスティーが発表した最後の戯曲。
 公開されたのは晩年だけれど、書かれたのは三十年代後半、『ナイルに死す』のころとのことで、考古学者と再婚したクリスティーの中東趣味が形になった作品なんだろう。
 内容は古代エジプトを舞台に、平和と芸術を愛する理想主義者のファラオ(王)アクナーテンが、理想と現実のギャップから身を亡ぼすまでを描いた悲劇で、ミステリ要素はゼロ。
 「歯には歯を」という弱肉強食の時代にあって、時代を先取りしすぎな平等と博愛を説く王様アクナーテンは、外圧を受けて属国が攻め込まれているにもかかわらず、「暴力はいけない」と迎撃を認めず、頼りとすべき臣下からの信頼を失ってゆく。そしてついには政敵によって担ぎ上げられた娘婿(のちのツタンカーメン)にその座を明け渡すことに……。
 なんのトリックもなしに、理想主義の敗北を描いたこの脚本は、クリスティー作品中でも随一の文学性の高さを誇るのでは思う。ここで描かれる悲劇は普遍的だ。それこそ現在進行中の中東やロシアで戦争にも通じるテーマを持っている。
 ただまぁ、文学性が高いからといって、おもしろいかというとそこは微妙。
 ミステリではないから、クリスティー作品としてはナニコレ感がいなめないけれど、僕はこれ、嫌いじゃない。
(Dec. 17, 2023)

薬屋のひとりごと5

日向夏/ヒーロー文庫/主婦の友社/Kindle

薬屋のひとりごと 5 (ヒーロー文庫)

 前巻からマンガではなく活字だけで物語を追うようになって、いささか疑問を感じることが多くなった。
 例えば前巻の最後で、猫猫(マオマオ)は大騒動のあと、後宮を離れて妓楼の近くの薬屋に戻って暮らし始めたけれど、それがまず疑問だ。
 あれほど猫猫に執着していた壬氏(ジンシ)がそんなことを認めるとは思えないんだけれど。一巻の最後で大枚はたいて引き取ったのはなんだったの?
 前回助けた子供のうちのひとり、趙迂(チョウウ)が猫猫と一緒に暮らし始める展開にも説得力がない。いくら猫猫がしっかりしているとはいえ、十代の少女がひとり暮らししているところへ年端もゆかない少年を預ける大人はいないでしょうよ。
 しかもその少年が記憶を失っているにもかかわらず、大人が金を払って似顔絵を描かせるほど絵が上手いという。そんな子供いる?
 そんなあれやこれやの設定も、マンガでビジュアルつきで見せられていれば気にならないのかもしれない。でもこれは小説だ。活字だけで追っていると、どうにもそういう粗さが気になってしまう。こういう舌足らずさがラノベのラノベたる所以なのかも。
 今回の話はバッタの大量発生による農作物被害が心配される中、猫猫が壬氏一向の視察旅行に同行して、西の国(玉葉妃の故郷?)を訪れるというもの。
 前回につづいて猫猫の行動範囲の広がりが著しい。なぜ壬氏の旅行に猫猫がついてゆくんだか、そこのところも説明不足に思えたけれど、最終的にはその理由が今回のエピソードの肝となる部分なので、あえてぼやかして書いているのかもしれない――と思わないでもない。でも、ややぼやかし過ぎの感あり。
 そういう意味では、本作のクライマックスともいうべき主人公ふたりの初のラブシーンも、湾曲表現がすぎてちっとも色っぽくないしなぁ……。
 そもそも「花街仕込みの匠の技」とはいったいなんぞや。
 まぁ、そのシーンはマンガになったら衝撃的かもしれない。
(Dec. 17, 2023)

最後の注文

グレアム・スウィフト/真野泰・訳/新潮クレスト・ブックス

最後の注文 (新潮クレスト・ブックス)

 この小説は四人の男が馴染みのパブに集まってくるところから始まる。
 男友達四人が集まってパブでビールを飲んでいるという、イギリスの小説や映画ではわりとよくあるシチュエーション。『トレインスポッティング』やアーヴィン・ウェルシュの小説、エドガー・ライトの映画などを思い出しながら、僕は最初のうちはその四人が同世代の若者だと思って読んでいた。
 でもそうではない――ということに気がついたのは、ずいぶんとページが進んでから。正直なところ、僕にはこれがどういう話なのか、後半になるまでまったくわからなかった。
 というのも、問題はキャラの名前のせい。
 レイ、ヴィック、レニー、ヴィンス。彼ら四人はジャックという肉屋の葬式のあとにそのパブに集まっている。ジャックが火葬にした自らの遺灰を、マーゲイトという場所の桟橋で撒いてくれと言い残して死んだから、その遺言をかなえるために。
 うん、そこまではわかった。
 でもレイ、ヴィック、レニー、ヴィンス、この四人の関係性がさっぱりわからない。
 さらにそこにエイミー、スージー、キャロル、ジェーン、マンディといった、彼らの妻子の名前が加わる。
 これらの女性陣は、最初のうちはキャラとして登場するわけではなく、男たちの会話の中で名前が出てくるだけだから、もう誰と誰がどういう関係なんだか。
 ようやくヴィンスがジャックの養子で、あとの三人がジャックと同世代の友人らだということが理解できたのは、すでに物語が半分を過ぎたあたりだった。
 いやー、最初のうち毎日ちょこちょこ一章くらいずつ読んでいたのが間違い。この作品はキャラクターの関係性を理解するため、序盤は集中して一気に読まないといけない作品だったらしい。
 ということで、これについては語れることはほとんどなし。最終的な読後感は悪くなかったけれど、前半の無理解がひどすぎて、とても感想を書けるレベルにない。
 面目なし。
(Dec. 24, 2023)