2023年2月の本
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惑う星
リチャード・パワーズ/木原善彦・訳/新潮社
リチャード・パワーズのこの最新作、この人の作品としてはこれまでになくミニマムな印象だった。
まずは始まりが静か。父親と幼い息子がふたりきり、人里離れた山の中でキャンプをしている。
父親は大学教授で、お子さんにはなんらかの精神的な問題――アスペルガー症候群?――をかかえているらしい。でもってお母さんはすでに他界している。
その冒頭のキャンプのシーンが予想外に長い。でもって、その間の登場人物は父子ふたりきり。あるのは川のせせらぎと親子の会話だけ。息子さんのセリフが鉤括弧で囲われていなくて、フォントを変えただけで地の分に埋もれているのも静かな印象をいやましている。
ふたりがキャンプから帰って日常生活に復帰してからは登場人物も増えて、彼らをとりかこむ世界も広がり、話にもめりはりが出てくるけれど、語り手が父親なこともあって、その後も物語は徹頭徹尾、この親子にフォーカスしつづける。まるで世界にいるのはその親子ふたりだけであるかのように。そしてそんな印象がまったく変わらないままに物語は進み、ついにはそのまま終わってしまうのだった。
ほんとここまで父と子の世界を強く印象づける小説も珍しいのではと思った。
宇宙生物学者である父親のシーオが息子のロビンに語り聞かせる未知の惑星の住人たちの話が終始インサートされるところはいかにもパワーズらしいけれど、もしそれがなかったら、この人の作品だと気がつかないかもしれない。
物語のなかばでロビンはある種の実験的精神療法の被験者となることにより、特異な才能を発揮するようになるのだけれど――その辺の展開は作者の『幸福の遺伝子』を思い出させた――本書の帯にアルジャーノンの名前があるように、彼ら親子の幸せな時間は決して長くはつづかない。
この作品で残念なことがあるとすれば、「二十一世紀のアルジャーノン」というその帯の謳い文句が、否応なく悲劇的な結末を予告してしまっていることだ。
善良なるロビンに幸あれ。
(Feb. 16, 2023)
親指のうずき
アガサ・クリスティー/深町眞理子・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle
寝る前に電子書籍で本を読む生活もそろそろ限界っぽい。
この本も正月の三が日に読み始めたのに、毎晩開いては二、三ページで寝落ちしてしまうので、一ヶ月たってもまるで読み終わらない。文庫版だと475ページだそうだから、一日三ページだと百五十日(つまり五ヵ月)以上かかる計算になってしまう。こりゃ駄目だと最後は休日の午後に一気読みした。
これからは紙の本と電子版と、両方をバランスよく読めるような方法を考えないといけない。そういやクリスティー完全読破計画も今年でもう十一年目に突入しちゃったしなぁ……。
とりあえず、年内に『スリーピー・マーダー』までは読み終える所存です。
さて、ということで2023年最初のクリスティーはトミーとタペンス・シリーズの第三弾。前作『NかMか』が1941年の作品で、これが1968年刊行だから、なんと二十七年ぶりの続編という。クリスティーってほんとすげー。
それだけ長いことあいだがあいているのだから、トミーとタペンスもそれ相応に年を取っているはずなんだけれど、そこは活字の世界。見た目の描写とかはそれほどないので、印象はそれほど変わらず。いまや老人の域に達しているはずのふたりはいまだに若々しかった。
物語はトミーの叔母が入居している介護施設を訪れたタペンスが、そこで知り合った老婦人の失踪事件を解決すべく、イングランドの郊外へひとり旅に出る、というもの。
老婦人のゆくえを突き止める鍵となるのは、その人がトミーの叔母に譲った絵画で、その絵に描かれた屋敷が、タペンスがかつてどこかで見たことのある風景だったことから、彼女はみずからのおぼろな記憶を頼りに、トミーが家を空けた数日を利用して、ひとりハンドルを握ってその絵画の舞台である土地へと出かけてゆく。
でもって、当然のようにトラブルに巻き込まれることに……。
ということで、タペンスのそんな単独行を描いた前半は比較的のんびりした印象なのだけれど、後半になってトミーが彼女に合流して事件の輪郭がはっきりしてからは、予想外に大がかりな事件が裏で進行していたことがわかって、話がスピーティーになる。
そういやこのふたりの絡む事件って、いつも単なる殺人事件じゃないんだった。そんなことを思いながら先へと読み進み、でもってようやく探し人が思わぬ形で見つかってみると、そこにはさらなる意外な真相が……。
思ってもみないサイコなどんでん返しが待っていてびっくりだった。
(Feb. 19, 2023)
書楼弔堂 待宵
京極夏彦/中央公論新社
日本の明治期を彩った偉人たちが異形の古書店につどい、そこの店主から人生の転機につながる一冊を受け取るという連作短編集のシリーズ第三弾。
このシリーズは毎回語り手が変わって、それによって作風が変化するのがポイントだ。
今回、語り手となって弔堂へとお客さんを導く役目をつとめるのは、弔堂の近所で甘酒屋を営んでいる独居老人。その語りはべめらんめぇ調で、ですます調のお嬢さんが語り手だった前作とは打って変わって乱暴だ。僕は京極堂シリーズの木場修を思い出した。
どの話もこの人――弥蔵さん――が近所に住まう酒蔵の次男坊と日常的な無駄話をしているところへ誰それがやってきて知りあいとなり、なりゆきで弔堂へと同行する、という流れになっている。
弥蔵さんは生活のためだけに片手間仕事で甘酒屋を営んでいるけれど、かつては侍で、なにかしら暗い過去を隠し持っているというのが回を重ねるごとに徐々に明らかになってゆく。でもってその真実があきらかになる最終話で本作はクライマックスを迎える。
過去二作の語り手はとくに本編に影響を与えていなかったので(でしたよね?)、今回は語り手がある意味では主役の一端を担っているという点で、もっとも連作としてのまとまりが強い気がした。
いやぁ、それにしてもひさびさの京極夏彦の新刊はやはり楽しかった。楽しいっていっていい話ではないけれど、読むのは間違いなく楽しかった。
(Feb. 26, 2023)