2022年8月の本
Index
- 『ネバーホーム』 レアード・ハント
- 『サンセット・パーク』 ポール・オースター
- 『第三の女』 アガサ・クリスティー
ネバーホーム
レアード・ハント/柴田元幸・訳/朝日新聞出版
柴田元幸氏のお気に入り、レアード・ハントの邦訳三冊目となる長編小説は、夫のかわりに性別をいつわって南北戦争に参加した女性の話。
翻訳されたレアード・ハントのこれまでの二作品と同様、ここでも作品の特徴を強く印象づけているのは、そのたどたどしい一人称の文体だ。
原文がどうなのか知らないけれど、主人公が農場で生まれ育って教育が不十分だという設定ゆえに、柴田先生はこの小説の全編をあえて漢字を開いてひらがなを多用した、句読点も少ない
そのたどたどしい文体が物語の印象を決定づけて、この作品独自の世界観を生み出しているのは間違いないところ――なのだけれど、正直なところ、僕にはやや読みにくかった。
たとえば「かの女」と書いて「かのじょ」と読ませるところ。僕は最初「かのおんな」って読んで違和感をおぼえていた(馬鹿なだけ?)。ひらがなばかりが句読点なくつづくせいで意味を取り違えたことも何度かあったし、この翻訳は僕にはいささか読みにくかった。
まぁ、その読みにくさを作品の一部だとして受け入れて、その世界観にどっぷりと浸れれるならば勝ち。主人公アッシュ(は偽名でじつはコンスタンス)の戦場での日々を描く前半、苦境に陥ってそこから脱出するまでを描く中盤、そして念願の帰郷の意外過ぎる結末を描く終盤と、それぞれのパートにこの人のこれまでの作品にはないドラマチックさがある。そしてそれぞれに深い感銘を残す苦さがある。
なかなかシビアな作品だし、戦争ものが苦手な身としてはいささかきつかったけれど、内容的にはこれぞ文学って呼べる秀作だと思う。
(Aug. 07, 2022)
サンセット・パーク
ポール・オースター/柴田元幸・訳/新潮社
はからずも柴田元幸先生の翻訳作品がつづいてしまった。
――というか、気がつけば積読のうち、英米文学の単行本は大半が柴田さんが翻訳した作品だという状況になっていた。
で、読むんならば文庫本より、高い金を出して買った単行本だろうと思って、このところ単行本の英米文学作品を優先して読むようにしているので、結果として柴田先生の翻訳作ばかりを次から次へと読むことになっている(かく言ういま現在も次の作品を読んでいる)。
ということでこれは、柴田元幸氏が手がけたよるポール・オースターの邦訳最新作。
いちおうこれでオースターの小説で、翻訳が出ている作品はすべて読んだことになる――はずだ。まだエッセイやノンフィクションで、何冊か読んでいない作品はあるけれど、小説はこれでコンプリートのはず。
内容については――うーん、いまいちうまく説明できない。
タイトルになっているサンセット・パークはマンハッタンのつけ根くらいにある街の名前で、そこにある空き家に不法居住して一緒に暮らすようになった男女四人の物語――ひとことでいうとそういうことになるんだろうけれど、なんだか違う気がする。
五十ページちょいの序章と最終章が「マイルズ・ヘラー」というタイトルなので、その人が主人公で間違いなし――とだとは思うんだけれど、なんかそう言い切ってしまうには違和感がある。
マイルズは十代のころに義理の兄が事故死する原因を作ってしまったことをトラウマとして抱えた男性で、罪悪感から家出して、はんば仕事で食いつなぎながら各地を転々とし、やがてたどり着いたフロリダで十歳年下の女子高生ピラールと出逢って、深く愛しあうようになる。――というか、すでに深い仲になったあとで物語は始まる。
でもって、そんな恋人との年齢差が原因で、マイルズがしばらくフロリダを離れなくてはいけなくなり、故郷であるマンハッタンの空き家に住みついていたかつての知人のもとへと転がり込む、というようなのが序盤のストーリー。
でも、中盤になるとマイルズの出番はなくなり、これから彼が同居することになる三人――ビング、アリス、エレン――の人となりが語られ、さらには離婚したマイルスの両親や、義理の母親らについても描かれる。
後半に入るとふたたびマイルズが中心になって話は進むけれど、それでいて彼が主人公って感じがしないのは、要するにこの作品がマイルズ・ヘラーというひとりの男性を介した群像劇なのだからだと思う。
そもそも『サンセット・パーク』という題名なのに、その街も屋敷もたいして重要な気がしないし、主人公らしき人物も主人公っぽくないしで、いまいち焦点が定まらないというか、物語的には難解なところはまったくないにもかかわらず、なんだか全体的に印象があいまいな感じ。僕にはこの小説でオースターがなにを伝えたかったのかがいまいちよくわからない。
――まぁ、とはいえ、読み終わったあとになんともやるせない喪失感が残るので、僕がきちんと言葉にできないだけで、そこにはわかる人にはわかる、ある種の文学的達成があるに違いない。
(Aug. 30, 2022)
第三の女
アガサ・クリスティー/小尾芙佐・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle
この作品は第一章が最高だった。
朝食にチョコレートを飲みつつブリオッシュを楽しんでいたポアロのもとへ若い女性が押しかけてきて、召使いのジョージに取り次ぎを頼む。
「自分が犯したらしい殺人についてご相談がしたいと」
興味を惹かれたポアロはその女の子を招き入れ、話を聞こうとするのだけれど、ポアロを見た彼女はしばしためらったのち、考え直したといって話もせずに帰ってしまう。
その理由はポアロが思っていたよりも「お年寄り過ぎるから」。
それを聞いたポアロの第一章の最後のセリフ――
「ちくしょう、ちくしょう……」
わはは。このオープニング、僕は最高に好きだった。
プライドを傷つけられたのみならず好奇心をかきたてられたポアロは、その後すぐにその子を探して本当に殺人があったのか確かめようと、あれこれ調査を始める。
娘の身元はオリヴァ夫人のつてで簡単に突き止めることができたものの、ノーマというその女性の家族や友人関係を調べても、どんな事件が背後に潜んでいるのかは、いっこうに見えてこない……。
ということで、ひとつ前の『バートラムホテルにて』もそうだったけれど、クリスティー晩年の作品は殺人事件がなかなか起こらないのが特徴なような気がする。
いや、この作品の場合、なかなか起こらないのではなく、すでに殺人は起こっているらしいのだけれど、誰が殺されたのかもわからないという状況が延々とつづく。でもってその間、年寄りのポアロはオリヴァ夫人とともに、若い女の子やその恋人のヒッピーたちを相手に、あれやこれやと聞き込みをしてまわるという展開になる。
どういう事件が起こったのかが終盤になってようやくわかるという趣向はなかなか斬新ではあるけれど、でもおかげでミステリとしては全体的にテンションが低いというか、あまりインパクトがない仕上がりになってしまっている気がする。
でもまぁ、第一章のインパクトが素晴らしいので、これはこれで一読の価値のある作品だと思います。僕はけっこう好きです。
惜しむらくは、ビートルズ世代の若者たちについての話だけに、『Third Girl』という原題を『第三の女』と訳したのでは、どうにもふさわしくない気がする点。
――かといって、ではどう訳すべきなのかと問われると困る。そのまま『サード・ガール』とすると、なんとなくクリスティーっぽくない気がしてしまうし。あぁ、翻訳って難しい。
(Aug. 30, 2022)