2021年12月の本
Index
- 『海鰻荘奇談』 香山滋
- 『下北インディーズ社長』 古閑裕
- 『複数の時計』 アガサ・クリスティー
海鰻荘奇談
香山滋/講談社/Kindle
香山滋という作家がどれだけ有名なのか僕は知らない。少なくても僕と同世代以降ではその名前を知っている人のほうが少ないだろうと思う。
かくいう僕にしても、その名前をどこで知ったのかと問われても、とんと記憶にない。たぶんこの電子書籍の底本となった大衆文学館という文庫シリーズに入った山田風太郎の『妖説太閤記』(めちゃおもしろかった)を読んだときに、その並びにあったこの『
でもいずれ読んでみようと思ったその本は時すでに遅しで、気がついたときには絶版になっていた(そういうことが多くて後悔ばかりしている)。なので同じ本がいつの間にか電子書籍になって、なおかつディスカウントされているのを見つけたときには嬉び勇んで即購入した。まぁ、電子書籍の常で表紙が再現されていないのは残念なところだけれど。
さて、香山滋という名前は知らなくても、この人が『ゴジラ』の原作者だと聞けば、ほとんどの人がへーと思うはずだ。というか、そもそもゴジラに原作があったのかと驚く人が大半ではないかと思う。ご多分に漏れず僕もそのひとり。
まぁ、原作とはいっても、ウィキペディアによれば『ゴジラ』は原案とシナリオを依頼されて、映画のあとで本人がノベライズしたものらしい。だから原作と呼ぶのは微妙に正しくない気がする。
いずれにせよ香山滋という人は「水爆を象徴する大怪獣」を考えてくれという依頼を受けるような作家だったわけだ。なるほど。この本を読むとさもありなんと思う。
この本を読んでの香山滋の印象は、江戸川乱歩の『パノラマ島奇談』的なエログロで耽美的な世界観を、豊富な博物学・生物学的な知識でもって冒険小説に仕立て上げてみせた作家という感じ。大乱歩はミステリのなかに異形の世界への憧れを忍ばせていたけれど、香山氏は異形の存在そのものに焦点をあてて、ひたすら未知の生物や伝奇ばかりを描いている。
この本一冊だけでも、美しい古代人種に、人を食らう電撃怪魚、地下洞窟に巣くう怪奇教団、透明裸体美女、砂漠に埋もれた古代文明、南海の孤島の大蜥蜴、エル・ドラドオ、妖鶏の恋、魔改造美女などなど。まるで昭和大衆文学界のフリークショーとでもいった様相を呈している。僕の知らないところでカルトな人気を誇っていそう。
大半は荒唐無稽な空想譚だけれど、映画やインターネットが普及していない時代にこんなビジュアルが鮮明な小説ばかりを独力で書いていたのがすごい。単に文筆家としての力量ならば、江戸川乱歩より上なんじゃなかろうか。
昭和の文学界にこういう作家がいたことにいまさら驚いた。ウィキペディアには日本語のページしかないけれど、日本のマンガ文化の源流的な作家のひとりとして海外に紹介したら、ある程度の人気を博しそうな気がする。
(Dec. 11, 2021)
下北インディーズ社長 ~メジャーとは逆を行くインディー哲学
古閑裕/リットーミュージック
この本の著者・古賀さんは大学の音楽サークルの先輩。とくべつ親しかったわけではないけれど、セッションバンドで一緒に演奏させてもらったことがある。ラモーンズの『リメンバー・ロックンロール・レディオ』とか。「なぜお前がパンク?」って言われそうだけど。古閑さんがそういう人なので。
そんなかつての先輩がいまや下北沢を拠点におくインディーズ・レーベル K.O.G.A. RECORDS のオーナーにして、KEYTALKのマネージメント事務所の社長であり、KOGA MILK BARというバーまで経営しているという。この本を読んだら、音楽スタジオまで経営しているというんで驚いた。そうか、いまや自前のスタジオ持ってるんだ。すげー。それがいちばん羨ましいかも。
古閑さんは当時からサークルのなかでも威風を放っていて、音楽に対する情熱と癖のつよさは一二を争う印象だったから、そんな人が大学を卒業してふつうに某医療機器メーカーに就職したと聞いたときには意外に思った。絶対に音楽畑の仕事につく人だと思っていた。
だから結局その後に脱サラしてヴィーナス・ペーターでデビューしたと聞いたときにはやっぱりねと思ったし、バンド解散後も自らインディーズ・レーベルを立ち上げて音楽業界に留まりつづけ、いまや知る人ぞ知る存在となっているのは至極当然な気がする。やはりああいう人はちゃんと音楽の世界で生きてこそだ。
古閑さんにとって大学時代は黒歴史なのか、この本には僕が知りあった音楽サークルの話はまったく書かれていない。インディーズ・レーベル立ち上げの足掛かりになるアルファ・レコードのバイトを紹介してくれたのがサークルの同級生だったという話がかろうじて出てくるくらい。
でもまぁ、考えてみればいまや三十年以上昔の話だし、その後の古閑さんが経験した紆余曲折を思えば、いまさらあのころのことについて語るべきことは特にないのかもしれないなぁと思ったり……。
僕自身はそれこそ三十年以上お会いしていないので、いまさら知り合い面はできないけれど、でもかつて一緒に音楽を奏でた先輩がちゃんとこうして活躍していると知って嬉しいです。かげながら応援してます。
(Dec. 11, 2021)
複数の時計
アガサ・クリスティー/橋本福夫・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle
ポアロものもずいぶんとひさしぶりだと思ったら、ひとつ前の『鳩のなかの猫』を読んだのは前年の夏だった。つまりおよそ一年半ぶり。あまりに読書量が減ってしまって、今年はクリスティーをわずか五冊しか読めなかった。衰えが著しくて駄目だなぁ……なんて愚痴ってても始まらない。新年はもっと読めるよう努力しよう。
さて、この作品については、導入部はとてもいい。
ある美人タイピストが仕事を依頼されて出向いた先で、見知らぬ男性の死体を発見する。家の主人は盲目の女性で、被害者は知り合いではないし、タイプの仕事を頼んだ覚えもないという。殺人現場の部屋には時計が六つ。そのうち四つは一間違った時間を差していて、なおかつその家のものではないという。
さて、被害者は何者か? そして狂った時計はなぜ置かれていたのか?
――というこの謎に挑むのが、たまたま現場を通りがかったコリン・ラムという、わけありな青年。彼が事件の担当警部の友人であり、なおかつポアロの知り合いであるというご都合主義まるだしの設定はまあよし。僕はあまり気にならなかったから、そこにケチはつけない。
その後、彼がイギリスの諜報部員であり、殺人現場の近くに潜伏している敵方のスパイを探していたことがあきらかになり、どうやらこの作品が単なるミステリではなく、スパイ・スリラーの要素も入っているらしいことがわかる。でもって、この伏線の導入によりミステリとしての質が大きく変わってしまう。
被害者または犯人がスパイだったとすれば、殺人の動機が個人的な怨恨などではない可能性が高くなるわけで。果たしてこれより先は、殺人とスパイ活動との関係やいかに、というところが作品の鍵となる。でもってクリスティーが用意した結末は、まさにそこを突いたもので、ああなるほどと思う。複数要素の組み合わせに若干とってつけたような感じはあるけれど、おおむねは納得。ただ一点だけを除いて。
時計の謎はさすがになぁ……。
この作品では隠居老人然としたポアロがシャーロック・ホームズほかの名作ミステリを研究しているという「なにそれ?」な設定があって、それがクリスティーから同胞のミステリ作家たちに向けたエールなのかと思いきや、じつは事件解決の鍵となっているというのがこの作品のふたつめの肝。そこに時計が絡んでくるのだけれど、でもそれはミステリ作家にとってはある種の禁じ手なのではと思う。
そんないわくつきのトリックにスパイものの伏線を絡めたことで、地味ながらも良質で魅力的な導入部が、絵に描いた餅で終わってしまうのがこの作品の残念なところ。おかげで序盤のわくわく感がきちんと着地点を見つけられない。これでは酷評する人がいるのも致し方ないかなぁと思う。
やっぱクリスティーにとってスパイ・スリラーは鬼門なのではないでしょうかね。
(Dec. 29, 2021)