2020年9月の本

Index

  1. 『一人称単数』 村上春樹
  2. 『今昔百鬼拾遺 月』 京極夏彦
  3. 『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治
  4. 『忍法封印いま破る』 山田風太郎

一人称単数

村上春樹/文藝春秋

一人称単数

 怠けていたら読み終わってから一ヵ月もたってしまった村上春樹の最新短編集。
 今回の作品は表紙のデザインやそっけないタイトルに「らしからぬ」雰囲気があるけれど、こと内容に関しては、これぞまさに村上春樹のスタンダードといいたくなる短編集だった。
 イタリア料理店でバイトをしている大学生がなりゆきで職場の女性の先輩と一夜をともにする『石のまくらに』や、とくに仲がいいわけでもない女の子の演奏会に招待された青年の奇妙な体験を描く『クリーム』、ガールフレンドのお兄さんに芥川龍之介の短編を朗読して聴かせる『ウィズ・ザ・ビートルズ』などの作品は、まるで『ノルウェーの森』のサイド・ストーリーみたいだ。
 チャーリー・パーカーの架空のアルバムに関する不思議な話『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』、「これまで僕が知り合った中でもっとも醜い女性」(原文まま)についての『謝肉祭』、スーツを着てバーで本を読んでいた語り手が知らない女性にこっぴどく罵られる表題作などには、語り手は春樹氏その人なのではと思わせる雰囲気がある。
 『「ヤクルト・スワローズ詩集」』の語り手にいたっては、そのものずばり春樹氏自身だし――これが小説なのかエッセイなのか、いかんとも判断できないけれど――おまけに『東京奇譚集』に収録されていた『品川猿』が再登場する『品川猿の告白』というサプライズも収録されているという。
 ということで、もしも村上春樹という人が好きならば、これは絶対はずれなしって短編集なのではと思います。
 でもファンでない人にとっては……どうなんだろう? よくわからない。
(Sep. 07, 2020)

今昔百鬼拾遺 月

京極夏彦/講談社ノベルス

今昔百鬼拾遺 月 (講談社ノベルス)

 予測的中――。
 去年刊行された『今昔百鬼拾遺』の三作品が一冊にまとまって再発売されました。それも、かの懐かしき講談社ノベルスから(わずか一ヵ月遅れで今週になって講談社文庫版も出た)。
 大幅な加筆・修正が施されているからといって――そういわれても、どこがどう変わったか、まるでわからなったりするんだが――去年読んだばかりの作品を再読している暇があったらほかの本を読めよって思う。でも読みたくなっちゃったんだからしかたない。やはり京極夏彦といえば講談社ノベルス。講談社ノベルスといえば京極夏彦。この組み合わせで新刊が出たら、そりゃ読まずにはいられますまい。
 ということで一年たたずして再読しました。中善寺敦子と呉美由紀というシリーズの名脇役である若き女性ふたりが探偵役を務める百鬼夜行シリーズの最新スピンオフ。
 去年文庫版で一遍ずつ読んだときには、若干のものたりなさを覚えた部分もなきにしもあらずだったけれど、やはり三作をつづけて一気に読むと満足度が違う。こうしてまとめて読むと、あの時にはうっとうしいと思った多々良先生でさえも愛おしい。京極夏彦はこのボリューム感あってこそなのだと再認識した。やっぱ薄い京極夏彦なんか京極夏彦じゃねー。
 ――とか、そんな失礼なことをいいつつも、今回これを読んでつくづく思いました。
 ぶあつい新書版って、なんて読みづらいんだ……。
 厚くて重いからページが開きにくくて手が疲れる。初めて『姑獲鳥の夏』を読んだ二十五年前と違って、こちらも老眼が進んでいるから、上下二段組の小さな活字もきつい。なるほど、分冊版の文庫が売れるのももっともかも……と思ってしまいました。
 京極夏彦を読んでみずからの老化を思い知った五十三歳の夏。新型コロナの夏。
(Sep. 15, 2020)

銀河鉄道の夜

宮沢賢治/角川文庫

銀河鉄道の夜 (角川文庫)

 五十を過ぎて、生まれて初めて宮沢賢治を読んだ。
 前にも書いたけれど、僕は童話や児童文学とはとんと縁のない幼少期を過ごし、いざ読書が好きになってからもミステリやSFしか読まず、その後は英米文学のほうへ進んでしまったので、日本文学をほとんど読んでいない。
 そんな僕がいまさらこの『銀河鉄道の夜』を読んでみようと思ったのは、ひとつには米津玄師の新譜の一曲目が『カンパネルラ』というタイトルだったから。そしてもうひとつ、さらに大きな理由が、少年ジャンプで少し前まで連載していた『アクタージュ act-age』という演劇マンガの中に『銀河鉄道の夜』をテーマにした素晴らしいエピソードがあったからだった。
 残念ながら『アクタージュ』は原作者がゲスを極めたせいで打ち切りになってしまったけれど、『アクタージュ』という作品自体はとても優れた作品だったと思うし、なかでも『銀河鉄道の夜』を舞台化したパートは作品中でもっとも印象に残るエピソードだった。個人的には宮沢賢治のこの原作より『アクタージュ』のほうが感動的だったくらい。
 この文庫本にはその『銀河鉄道の夜』の原作を含む八編の短編小説が含まれている。
 児童文学とはいっても子供向けのわかりやすい話などではなく、どれも宗教的な感触のある詩的で幻想的な作品ばかりで、けっこう苦味もある。その独自の世界観が好きな人にはたまらないのかもしれないけれど、俗なる僕にはやや詩的すぎるというか、曖昧すぎる嫌いがあった。言葉遣いも現代人の感覚だとすっと入ってこない部分がところどころにあって、決して読みやすくはない。
 ということで、これを読んでいきなり日本文学に目覚めたとか、いままで知らなかったことを後悔したとか、そういう大きな感銘は受けなかったけれど、そのタッチには明らかな個性があって、下手に私に終始する私小説なものよりは世界的な広がりがあるのではと思った。この人の作品には普遍的な価値がある気がする。
 それにしても、原作を読んでみて、あらためて『アクタージュ』での『銀河鉄道の夜』のアレンジがどれほど見事だったかを知った。なんであんな素晴らしい作品を生み出せる才能を持った男が劣情に流されて人生を棒に振っちゃうかなぁ……。
 心から残念です。
(Sep. 27, 2020)

忍法封印いま破る

山田風太郎/KADOKAWA/Kindle

忍法封印いま破る 忍法帖 (角川文庫)

 ゲスの極み大久保石見守長安{おおくぼいしみのかみちょうあん}ふたたび――。
 『銀河忍法帖』で吐き気を誘うほどの淫蕩っぷりを見せた大久保長安がふたたび登場。余命いくばくもないこの人が、大御所・家康さえ一目置くというその権力にものをいわせて、服部半蔵に命じて甲賀組の美女三人を自らの愛妾として差し出すよう命じたことから物語は始まる。
 主人公のおげ丸は長安の実の子にして、甲賀でも実力ナンバーワンの忍者(おげ丸という変わった名前は、母親が山の民サンカの出身だったからという設定)。長安の魔の手に落ちた美女三人はみんなおげ丸に好意を寄せていて、そのうちのひとりは許嫁でさえあったりするのに、おくてな彼が手を出しかねているうちに、実の父親に全員の貞操を奪われてしまう。
 でも最初から死にぞこないのエロ親父が若き美女を手ごめにするなんて悪趣味な展開でありながら、そうしたシーンがそれほど扇情的に感じられないのは、彼女たちとのコトのあいだ、長安がずっと激動の世界情勢における非科学的な日本の現状を嘆いていたりするから。この先の日本には自分の優れた遺伝子を受け継いだ新たな跡継ぎが必要だと。だから我が子を産めと彼は美女たちに迫る。
 やっていることは言語道断だけれど、動機が単に私的な性欲ばかりではなく、この人にはこの人なりの正義があることがわかる分、『銀河忍法帖』のときよりもいくらかこの人物がまともに見える(あくまでいくらか)。まあ、だからって老いぼれた権力者が若い子に手を出すのは受け入れがたいんだけれど。
 物語はそのあと一月ばかりで三人を妊娠させた長安がこの世を去り、彼の勢力が死後にまで影響することを恐れた家康が長安の子孫全員の処刑を命じたことから、おげ丸が妊婦三人をつれて逃避行の旅に出ることになる。ここからがようやく本編。
 『忍法封印いま破る』というタイトルは、律儀なおげ丸が自らを育ててくれた甲賀に恩義を感じて、自分たちの命を狙う甲賀忍者たちに対して、得意の忍法を封じて応対すると宣言したことによる。
 要するに最終的におげ丸がその封印を破ることがタイトルですでに宣言されているわけで、クライマックスに悲劇的な展開が待っていることは必定。果たして血みどろの忍法戦の末路には救われない結末が待っているのだった……。
 大久保長安が出てくるこの二作品はあと味の悪さでは忍法帖で頭ひとつずつ抜きんでているように思う。
(Sep. 27, 2020)