2020年2月の本
Index
- 『ある作家の夕刻』 F・スコット・フィッツジェラルド
- 『新版 放浪記』 林芙美子
- 『パディントン発4時50分』 アガサ・クリスティー
- 『京都魔界案内』小松和彦
ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集
F・スコット・フィッツジェラルド/村上春樹・編訳/中央公論新社
村上春樹氏のセレクションと翻訳によるフィッツジェラルドの五冊目の短編集。
今回の作品はタイトルの通りでフィッツジェラルド後期の短編とエッセイを集めたもので、注目すべきは春樹氏が翻訳家として最初に手がけたエッセイ『マイ・ロスト・シティー』が『私の失われた都市』というタイトルで訳し直されていること。
新しく翻訳するのはいいけれど、なぜにタイトルが変わっているのかはよくわからない。まぁ、おそらく過去の翻訳と区別するためなんだろうけれど、でも『ライ麦畑でつかまえて』を『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として訳した春樹氏が、今度は自分の翻訳に逆変換をかけて、カタカナから日本語のタイトルにするのって、なんとなく一貫性が欠けている気がしなくもない。
新訳となって内容的によくなった――かどうかはわかりません。読み比べていないので。
そもそも、その作品に限らず、そのあとに収録されている『壊れる』からの三部作なども一緒で、基本的にフィッツジェラルドのエッセイって美文すぎて、僕にはちょっとついてゆけないところがある。スタイリッシュかつ華美すぎて、心にすっと入ってこないというか。
ちなみに、この短編集に収録されたほとんどの作品は、過去に荒地出版社から出ていたフィッツジェラルド選集などで読んでいると思うのだけれど、内容的にまったく覚えていなかったので、初めて読むも同然だった。
唯一「これを読むのは初めてじゃないか?」と思ったのが『風の中の家族』で、そのスタインベック的な世界観がフィッツジェラルドにしては意表をついていて新鮮だった。
(Feb. 01, 2020)
新版 放浪記
林芙美子/青空文庫/Kindle
僕は二十代のころ林芙美子記念館のすぐ近くに住んでいた。
いまでも徒歩で行けるあたりに住んでいるけれど、そのころはもっと近くて、住んでいたワンルームを出て、道なりをまっすぐ南に下ってゆくと、急な階段坂の途中にその記念館があった。作家の住まいをそのまま保存した、昭和情緒あふれる趣のある日本家屋だった。
日本文学に疎い僕は林芙美子という人の存在さえ知らなかったから、なかへ入ってみようともしなかったけれど、それでも自宅の近くにそういう女流作家を記念した施設があるという事実は少なからず心の隅に引っかかっていた。
その後、結婚を機にそのワンルームを引き払ってから、かれこれ二十五年。
四半世紀がすぎたいまさらになってようやく読みました、林芙美子さんの代表作『放浪記』。
解説のない青空文庫で読んでしまったので、いまいち作品の出自がよくわからないのだけれど、これはおそらく昭和五年に刊行された『放浪記』と『続放浪記』に、戦後(昭和二十四年)に発表された『放浪記第三部』の三作品をひとつにまとめたものではないかと思われる。電子書籍だからいざ読むまでわからなかったけれど、要するにとてもボリュームがあるのだった。
内容はというと、小説――というよりは、これはある種の日記?
文学を志しながら貧乏暮らしを余儀なくされて職を点々とするひとりの女性の日々の暮らしが、「十二月x日」というような見出しのもと、時系列もさだかならぬままに断片的に語られてゆく。
そこにあるのは語り手の視点のみで、まわりの友人・知人ら登場人物についての説明はほぼなし。なんの説明もないまま、松田さんとか、君ちゃんとか、それは誰って人たちが次々と出てくる。
林さんには自らの本に出てくるそういう身の回りの人たちについて読者に説明しようって意識がまったくない。疎遠な人ばかりならばともかく、恋人や夫のこともほとんど語らない。そういう人たちがいることはわかるけれど、その素顔は最後までぼんやりとしたままだ。
人物のみならず、事件についてもそう。なかには関東大震災の直後の話などもあるのに、大地震そのものにはまったく触れず、後日の自分の行動を淡々と語るのみだったりするからびっくりだ。僕がふだん読んでいる小説には、こんなに不親切な作品はまたとないぞ。
まさにここにあるのは「私」のみ。要するにこれこそ私小説ってやつなのかもしれないけれど、少なくても西洋発の小説のスタイルに慣れた僕の目にはこの作品の自分本位な奔放さはとても風変わりに思えた。こういう作品に価値を見いだす日本文学の感性って、世界でも独特なんじゃないだろうか。
思うにこの小説の価値は物語それ自体ではなく、その語りのリズムにあるのだろう(物語なんてないも当然なので)。林さんの文章は自由気儘で、これといった型にはまっていない。昭和初期を生きたひとりの女性から溢れ出す自由奔放なる語りの魅力。それを味わうべき作品なんだろうなと思った。
決して好きなタイプの作品ではないのだけれど、でもまぁ、そこはかとなく感じるところがなくもないかなあって。そんな作品。
せっかく近くに住んでいるのだから、いずれ林芙美子記念館へも行ってみたいと思った。
(Feb. 01, 2020)
パディントン発4時55分
アガサ・クリスティー/松下祥子・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle
ミス・マープルのご友人のエルスペス・マギリカディという難しい名前の老婦人がパディントンから帰宅する列車に乗っている際に偶然、平行して走っている電車で女性が絞殺されるのを目撃する。
すわ一大事と駅員や警察へ届け出るものの、なぜか死体は発見されず、事件は老人の虚言か妄想だろうということで片付けられる。
しかし友人の性格を知っているマープルさんひとりはそうは思わない。彼女が見たというのならば殺人はあったはずと、自ら同じ時刻の電車に乗り込んで、もしも死体を隠すならばどうするべきか……と考えた末にひとつの答えにたどり着く。
さぁ、あとは実際に調査に乗り出して死体を発見するだけ――とはいっても、マープルさんはご老体。いくら目処がたったとはいえ、自ら足を棒にして死体を探し回ることはできない。さあ、どうすべきか……と悩んだ末に、マープルさんが調査を依頼したのは、知り合いの若きスーパー家政婦、ルーシー・アイルズバロウだった。
マープルさんからの奇妙な依頼に興味をおぼえたルーシーは、休暇を返上してマープルさんに指定されたクラッケンソープという富豪の屋敷へと乗り込んでゆく。さて、本当に死体は見つかるのか……。
というあたりで全体の五分の一。やたらと登場人物のカタカナ表記が難しいことをのぞけば、ここまででつかみばっちり。
でも、その後の死体の発見に至る顛末は非常にあっさりしていて、事件はそのあと、犯人は誰か――そもそも被害者は誰なのか――を追求する警察の捜査が中心となる。そして、その後も本業の家政婦としての敏腕ぶりを発揮してお屋敷のみんなからの信頼を得たルーシーは、一家の男性陣ほぼ全員からのプロポーズを受けるような立場になる。この辺のロマンティック・コメディ度の高さがクリスティーならでは。
終盤にきて被害者が増えることでクリスティーの仕掛けがあらわになってしまい、犯人の意外性はいまいちだったけれど、それでもなかなかの出来だと思った。
それにしても最後にルーシーが選ぶのは誰なんだか。マープルさんにとっては自明の理らしいけれど、僕にとってはそれがこのミステリのいちばんの謎だった。ちゃんと書いておいて欲しかった。
(Feb. 09, 2020)
京都魔界案内 ~出かけよう、「発見の旅」へ~
小松和彦/光文社知恵の森文庫/Kindle
京極夏彦ファンゆえに小松和彦先生――日本での妖怪研究の第一人者(ですよね?)――の本はたまに見かけると読んでみたくなる。これは京都の各地に伝わる妖怪関係の伝承・伝説を紹介した文庫本のKindleバージョン。
しかしまあ、「国際日本文化研究センター所長」なんて肩書きの人がこういう本を書いているのがすごい。扱っているのはすべて妖怪話なのに、まるで現実にあったことのような書きっぷり。日本に伝わる妖怪文化の豊かさと、それを立派な肩書きを持った学者の先生が堂々と悪びれずに語れてしまう大らかさが素晴らしい。日本っておもしろい国だよねぇって思いました。
この本で語られている伝承を念頭において京都を歩きまわったら、さぞや楽しい(もしくは怖い)だろうなとも思った。僕はまったく旅行にいかない出無精者だけれど、もしも金と時間に余裕ができたら、ゆっくりと京都――のみならず日本中を――旅して歩くのもいいかもしれない。
とりあえずこの本で紹介されている幽霊子育飴ってやつがまだ売っているうちに、一度その飴を買うためだけにでも京都に行ってみたいと思いました。まぁ、思うだけで終わりそうだけど。
ちなみにこの作品はその性格上、たくさんの写真が挿入されているのはいいんだけれど、どれも解像度が低いのが残念なところ。キャプションが写真と一緒にスキャンされていたりして、フォントがぼやけているし、電子書籍としてのやっつけ仕事感がはんぱなかった。いい加減な仕事をすると鬼に呪われそうだから、もうちょっとがんばりましょう。
(Feb. 25, 2020)