2016年5月の本
Index
- 『妖怪の宴 妖怪の匣』 京極夏彦
- 『マルドゥック・スクランブル』 冲方丁
- 『優しい鬼』 レアード・ハント
- 『高い窓』 レイモンド・チャンドラー
- 『黄色いアイリス』 アガサ・クリスティー
- 『オレたち花のバブル組』 池井戸潤
妖怪の宴 妖怪の匣
京極夏彦/KADOKAWA
京極夏彦が日本独自の妖怪文化を言葉の面からつらつらと考えてみせる長編論文の第二弾。
前作は「妖怪」という言葉をとりあげて、それが柳田國男により学問的に使われるようになり、さらには水木しげるのマンガによって一般人にまで普及した、というような話をまる一冊かけて語ってみせたのだったと思う。
それに対して今回は「化け物」と「幽霊」の二部構成。とはいっても化け物や幽霊とはどんなものかについて具体的に説明しているわけではなく、化け物については「化ける」というのはどういう意味か、幽霊については「霊」とはなにかを、あれこれと辞書を引きながらつらつらと考えてみせる。
前作には子供向けの妖怪絵本にまつわるマニアックな薀蓄を語るコーナーもあったけれど、今回はそういうものもなく、ただひたすら辞書を引いては言葉の由来を考える、という行為に徹底している。
作者自身のあとがきの言葉を借りれば、「例によって驚くような結論はありません。本書は、「考える」試みというだけなのであり、論文や評論ではないからです。
かといって、つまらなくもない。辞書の定義をもとに理詰めで言葉を解体して、その意味を探ってゆく過程には、なかなかの知的おもしろみがあると思う。まぁ、そう思うのも惚れた弱みかもしれませんが。
前述の通り、作者はこれを「論文や評論ではない」といっているけれど、エッセイと呼ぶにはいささか違和感があるし、たとえばもし学生がこれを卒論として提出したとしても、決して突っ返されることはないと思うので、論文と呼んでさしつかえはないと思う。そんな一冊。
(May 02, 2016)
マルドゥック・スクランブル
冲方丁/早川書房(Kindle版・全三巻)
『天地明察』の
僕はこの作品についてなにも知らず、第一巻の『1st Compression-圧縮』から始まる三部作だと思って、その本がKindleで安くなっていたので、試しに一冊と読んでみることにしたんだけれども。
いざ読んでみたら、これが三部作ではなく単一作品の三分冊の一冊目だったという。でも素晴らしくおもしろくて、いやおうなく三冊つづけて読まずにはいられなかった。
『天地明察』を読んだときには、時代小説にしては軽い印象を受けたけれど、この小説は反対にとても重厚。かつ意外とエログロ。とても同じ作家の作品とは思えない。僕はこの冲方丁という人の実力をあなどっていた。
いろいろとすごいこの小説だけれど、ファースト・インパクトは主人公のルーン・バロットがパトロンに殺されかけた未成年の娼婦だという設定。
彼女は彼女を殺そうとした男を別件で逮捕すべく追っている政府筋のドクターに命を救われ、全身に特殊な人工皮膚移植を受けたサイボーグとなる。その結果どんな電子機器をも自由に操れる特殊能力を身につけた彼女が、同様の実験で生み出された、あらゆる兵器に自由自在に変身できるネズミ──その名はウフコック──とともに、自らを殺そうとした男を追いつめてゆく──で、その前にターミネーターみたいな強敵が立ちふさがる──というのが主なあらすじ。
主人公は父親にレイプされた過去をもつ可憐な娼婦だわ、彼女をねらって体じゅうに他人の臓器を埋め込んだフリーキーな殺し屋集団は出てくるわと、第一巻からめちゃくちゃ設定が過激。アクションの描写も迫力満点で、読みごたえたっぷりだった。
でもこの小説がさらにすごいのは、序盤はそんなハードなアクションで惹きつけておきながら、中盤からはカジノを舞台にした濃厚な頭脳戦を描いてみせること。
スロットマシンにルーレット、ポーカー、そしてブラックジャック。冲方丁はSFだからこそ可能な裏技をもちいて、それらの勝負をこの上なく魅力的に描いてみせる。そこにはSFに興味がない人でもじゅうぶんに楽しめる、極上のエンターテイメントが用意されている。このパートのおもしろさは圧巻。
クライマックスではふたたびアクションに立ち返るけれど、それでもこの中盤のカジノ・シーンのおもしろさこそがこの小説の魅力を倍増していると思う。
あと、この小説で感心したのが、エロティシズムとの距離のとりかた。
主人公が娼婦という設定なので、当然セックスに関する言及なしでは済まないわけだけれど、そういうエロの部分はあくまで遠巻きな記述にとどめていて、直接描写はまったくなし。そのかわり主人公の少女は、戦闘服に着替える──というか、ボディスーツに変身したウフコックに全身を包まれる──シーンなどで、何度もヌードになる。
彼女は全身に特殊な人工皮膚の移植を受けることで命を救われ、なおかつその皮膚を通じてあらゆる電子機器を操れるという設定なので、全裸になるシーンにも、わざわざ裸になるだけの説得力がある。そんな少女のヌード・シーンには、手塚治虫の諸作やキューティー・ハニー等に通じる、とても懐かしいエロティシズムがあった。
考えてみれば、そもそも主人公が科学者に改造されてサイボーグになるっていう設定自体が仮面ライダーと同じなわけで。この小説には、そんな風に日本のマンガやアニメの伝統にのっとった、古典的なプロットがたくさん盛り込まれている。
まぁ、影響うんぬんを語るならば、日本に限った話ではなくて、作風自体がサイバーパンクの始祖、ウィリアム・ギブソンの影響を受けているらしいのだけれど、その辺の知識がとぼしい僕にはなんともいえない。少なくても僕はこの作品から、自分が幼少のころより親しんだ日本のSFマンガの伝統を継承している印象を受けた。
いやぁ、なんにしろ素晴らしい作品でした。SFというジャンルに対する愛着が薄いせいか、不思議と続編には興味が湧かないのだけれど、この作品にかぎっていえば、この先ふたたび読み返したくなりそうな気がする。
(May 02, 2016)
優しい鬼
レアード・ハント/柴田元幸・訳/朝日新聞出版
僕とほぼ同世代にして、いまだデビュー六年目だという──つまりかなり遅咲きな──アメリカ人作家、レアード・ハントの邦訳第二弾。
前作もかなり癖のある小説だったけれど、今回も構成が意外と複雑で、僕にはきちんとその全体像を理解し切れたとはいえない(冒頭の井戸のエピソードが本編にどう絡んでいるのかとかわかっていない)。でもこれがまたとても素晴らしい作品だった。
舞台はいまだ奴隷制度下にあるアメリカ南部。十四にして下劣な嘘つき男の再婚相手となった女性と、その家の使用人である姉妹のあいだで繰り広げられる愛憎劇を、登場人物の語りにより描いてゆく。
主人公が貧しい農家の出の学のない女性なので、その語りはとてもたどたどしい。文体的には決してうつくしいとはいえない小説だし、語られる事件もとても悲惨なものなのだけれど、それでいて読後感がとてもいいのは、救いようのない出来事が過去の悲劇として昇華されているからなのだろう。
時代設定といい、テーマといい、時間軸を行き来する構成といい、やはりこの人の小説にはトニ・モリスンに近いものがあると思う。で、出来映えもモリスン女史のそれに劣らない。いわばトニ・モリソンの世界をもっと柔らかく、優しくしたような。短いながらも深みのある見事な小説。
(May 08, 2016)
高い窓
レイモンド・チャンドラー/村上春樹・訳/早川書房
村上春樹によるチャンドラー新訳シリーズの第五弾。
僕がこの作品を清水俊二氏の旧訳版で読んだのは、もう九年も前のことらしい。いや、それにしても覚えてないこと
前回の感想を読み返してみたら、僕はマール・デイヴィスのことを「ヒロイン」と呼んでいるけれど、今回再読してみたところでは、彼女にはその言葉にふさわしいほどの存在感はなかった。マーロウは彼女に対して好意的な態度を取っているけれど、そこにあるのは恋愛感情よりも同情のようだし、彼女は
今回読んでみて印象に残ったのは、そんな彼女を含めた、さまざまな登場キャラクターの多様性。事件の依頼人であるワイン浸りの老婦人とその息子、貴重コインの紛失事件にからんで出てくる古物商や素人探偵、美女にギャングに警察官。はたまたバーテンダーやエレベーター係の老人。さらには依頼人の屋敷の玄関先に寂しそうにたたずむ黒人少年の像まで(人間じゃないけれど)。
そうした多様なキャラクターとマーロウとの絡みが終始ヴィヴィッドに描かれていて、それぞれのシーンに味わいがある。単なる謎解き趣味に終わらない、そういう小説ならではの含みがたっぷりあるところがチャンドラーの魅力だと思う。
(May 15, 2016)
黄色いアイリス
アガサ・クリスティー/中村妙子・訳/クリスティー文庫(Kindle版)
この本のいちばん最初に収録されている『レガッタ・デーの事件』を中心にアメリカで編集された短編集をベースに、日本での出版事情で一部作品を入れ替えた作品とのこと。
でもこの本を読んでも、その辺のことはわからない(解説がないので。僕はウィキペディアで知った)。全集をうたいながら、そういうことがわからないって点で、このクリスティー文庫の電子版は大いに難ありだ。
ま、でも短編集としての内容には文句なし。収録作品はポアロものが五本に、ミス・マープルものが一本、そしてなんとパーカー・パイン氏が登場する作品が二本(あとノンシリーズの怪奇小説が一本)。ポアロ、マープル、パーカー・パインと一度に再会できるという点で、オールスター・キャスト的な楽しい短編集だった。
オリジナルと日本版とで短編集のタイトルが変えてあるのは、おそらく原題の『リガッタ・デーの事件』はパーカー・パインものだから、日本では受けが悪いと思ったんでしょうか。対する『黄色いアイリス』はポアロだし、たしかに短編としてはこちらのほうが出来はいい。そもそも僕ら日本人にはリガッタ・デーがなんなのかもわからない(説明もない)。なのでまぁ、妥当な改変なのかなと。
とはいえ、個人的にいちばん好きだったのは、パインものの『ポリェンサ海岸の事件』。これはパイン氏が海外旅行中に巻き込まれた些細な恋愛事件を描いたもので、それほどたいした話ではないけれど、そのたわいのなさがとてもよかった。『パーカー・パインの事件簿』の前半の作品に近い内容で、犯罪抜きでミステリを成り立たせているところがなんともいい。
あと、最後の『二番目のゴング』は、なんだか読んだことのある話だなと思ったら、『死者の鏡』と同じトリックを使ったリメイク作品だった(こちらがオリジナルらしい)。読み比べると、トリックはまったく同じなのに、話の進め方はずいぶんと違っているのが一興だった。
(May 29, 2016)
オレたち花のバブル組
池井戸潤/文春文庫(Kindle版)
タイトルをぱっと見ただけだと、僕には前作(『オレたちバブル入行組』)とどっちがどっちか、いまいちよくわからない半沢直樹シリーズの第二作目。
ドラマの『半沢直樹』では前作とこれをあわせて一シーズン分を描いていたので、話としてはある程度知っていた。ただ、僕自身はそのドラマをきちんと観ていたわけではないので(うちの奥さんが観ているのを横目で眺めていた)、細かいところで意外なことがいくつかあった。
いちばんは半沢直樹の同期である近藤の出番の多さ。ドラマで誰が演じていたのか知らないくらいの役なのに──うちの奥さんに確認したら、じゅうぶん目立っていたらしいけど──、この小説では彼と半沢直樹とのダブル・キャストかってくらいに出番が多い(その分、半沢直樹の出番が心なしか少ない)。
一度は人生に挫折しかけた彼の銀行員としての復活が、この物語のひとつの柱になっているといっていい。なるほど、タイトルが「オレたち」となっているのは伊達じゃないのね、と思いました。
いやしかし、池井戸潤の小説は読みやすい。最近はどんな本でも最低一週間はかかってしまう駄目な僕でも、平日三日で読み終わる。
最初はこの読みやすさがいいとか思っていたけれど、あまりにさらっと読めてしまって、満足感が低すぎる気がしてきた。なまじこの作品はクライマックスを知っていただけに、なおさらだった。あまりに描写があっさりしすぎていて、ドラマより小説のほうがおもしろいと言いきれる部分がほとんどない。あえて言えば、ドラマを十何話を観るよりは、小説を読んだほうが時間の短縮になるってくらい。
ならば時間はちょっとかかっても、ドラマをきちんと観たほうが楽しいのでは……とか思ってしまいました。本好き失格。
(May 29, 2016)