2008年11月の本
Index
- 『イングランド・イングランド』 ジュリアン・バーンズ
- 『トライ・ザ・ガール』 レイモンド・チャンドラー
- 『還らざる日々』 ロバート・ゴダード
- 『漂う殺人鬼』 ピーター・ラヴゼイ
- 『時計じかけのオレンジ』 アントニィ・バージェス
- 『天使と悪魔』 ダン・ブラウン
イングランド・イングランド
ジュリアン・バーンズ/古草秀子・訳/東京創元社(海外文学セレクション)
ジミ・ヘンドリックスが最後のライブ音源を残した場所として、ロック・ファンのあいだでは有名なワイト島。
ここにイギリス中の観光名所──バッキンガム宮殿とかストーンヘンジとか──のレプリカを作り、ロビン・フッドなどの歴史上の有名人物のそっくりさんを集めて──さらには国王一家まで移住させて――、イングランドの縮図ともいうべきテーマ・パークを作ろうという一大プロジェクトが持ちあがる。イングランドの粋をあつめたこの施設は《イングランド・イングランド》と名付けられ、世界中の旅行客の人気スポットとして繁栄をきわめることになるのだけれど、その一方でイギリス本国は凋落の一途を辿り……。
というような話を、プロジェクトの中心人物であるひとりの女性の生涯に絡めて描いた、きわめて現代的な風刺小説がこれ。
それにしても、イングランドについて語るとなると、僕にとっては絶対ロックとサッカーが欠かせないのだけれど、作者のジュリアン・バーンズは若いころにオックスフォード英語辞典の編纂にたずさわったという才人だけあって、そうした大衆的な趣味を持ちあわせていないようで、この小説にはビートルズもストーンズもマンチェスター・ユナイテッドも出てこない。僕が見落としていなければだけれど、たとえ出ているにしたところで、見落とすのも当然なくらい、ささやかな記述しかないはずだ。
でもって、アミューズメント・パークの話だといいつつ、そうした大衆文化的な視点を欠いている点が、やや残念なところ。一番の人気アトラクションがロビン・フッドに関するものだと云われても、僕なんかにはまるでぴんとこない。どうせならば、キャバーン・クラブやアビー・ロード・スタジオのレプリカがあって、そこではビートルズのそっくりさんが四六時中ライブを聴かせている、くらいの描写があると、もっとわくわくできたんじゃないかと思う。アビー・ロード・スタジオの屋上で、『レット・イット・ビー』 セッションを行っているビートルズを生で観られるとかいったらば、たとえそれが偽者だとわかっていたとしても、ちょっと見てみたい気がしません?
ということで、ジュリアン・バーンズの作品としては、おそらくもっともボリュームのあるこの小説。ブッカー賞候補になったというくらいで、出来栄えはかなりのものだと思うけれど、残念ながら僕にはやや頭でっかちすぎるような気がした。
(Nov 06, 2008)
トライ・ザ・ガール《レイモンド・チャンドラー短篇全集2》
レイモンド・チャンドラー/木村二郎・他訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
オールスター・キャスト的な翻訳家陣による新訳を年代順に収録した新編チャンドラー短篇全集の第二弾。本巻で初登場の翻訳家は、小林宏明、田村義進、木村二郎、加賀山卓朗の四氏で、これまたいずれもハードボイルドやクライム・ノヴェルの邦訳においては、おなじみの方々ばかり。
それにしても、この本を読んで驚いたのが、そのうちの過半数の短編が、チャンドラーがのちに長編を書くにあたって、リサイクルされていること。表題作の 『トライ・ザ・ガール』 に 『犬が好きだった男』 と 『翡翠』 の二編を加えて再編集したものが、かの 『さらば愛しき女よ』 という感じだし、 『カーテン』 は第一巻の 『キラー・イン・ザ・レイン』 と混ぜあわされて、 『大いなる眠り』 に生まれ変わっている。なおかつ、この 『カーテン』 は冒頭の部分だけが分岐して再利用され、 『長いお別れ』 のテリー・レノックスにまつわるエピソードへと変容してゆく。
第三巻のタイトルは 『レイディ・イン・ザ・レイク』 で、そのものずばり 『湖中の女』 だから、これもまず間違いなく長編のプロトタイプだろうし、この調子だと、もしかしてチャンドラーには純然たる書下ろしの長編って、一作もないんじゃないだろうか。
処女長編の刊行は四十九歳のときの作品だという話だし、チャンドラーという人は、とても苦労して小説を書いてきた人なのかもしれない。
(Nov 09, 2008)
還らざる日々
ロバート・ゴダード/越前敏弥・訳/講談社文庫(全2巻)
基本的にロバート・ゴダードという人はシリーズもののミステリを書かない。どれも一般人がなんらかの陰謀に巻き込まれて右往左往するという話ばかりで、名探偵が出てきて事件を解決するという一般的なスタイルのミステリがひとつもないので、キャラクターを流用する必要がない──もしくは流用できない──からだ。
唯一の例外がこの小説の主人公、ハリー・バーネット。 『蒼穹のかなたへ』 で落ちぶれた中年男性として初登場して、 『日輪の果て』 で再登板を果たしたこの人が、この 『還らざる日々』 では十年ぶりに、三度目の主役をつとめている──のだけれども。
はっはっは~、情けなくも僕は読んでいる大半のあいだ、そのことに気がついていませんでした。途中で Wikipedia をみて、ハリー・バーネットについての記述があるのを発見、おおっと思ったのだった。そのページを見ていなければ、おそらく巻末の解説を読むまで気がつかないままだったろうと思う。
でもまあ、自己弁護をさせてもらえば、それも致し方ないところがある。だって前述の二作を読んだのはもう十年前のことだし、しかもこれらは、ストーリー的にまるで連続性がなく、どうして主人公が同じなのか、かえって不思議になってしまうような話だった。その主人公というのも名探偵とはほど遠い、さえない中年男性だし。
でもって連続性がない点は今回のこの作品も同じ。おそらく主役がハリー・バーネットでなくたって、物語自体にはほとんど影響がない。おまけに翻訳家が代わったせいなんだろうけれど、その主人公の雰囲気がずいぶん違う(うろ覚えだけれど、前はもっと無骨な親父だった気がする)。これだけ条件が重なると、僕のようなうろんな読者が、主人公の同一性に気がつかなくても、まったく不思議じゃないと思う。
ということで、悪友バリーの存在など、前作からの引き継いだ設定がいくらかあるにもかかわらず、そんなことにはまったく気がつかないまま読んでしまった今回のこの作品。物語は空軍時代の同窓会に出向いた主人公が、あいつぐ不審死のせいで警察から殺人の嫌疑を受けて、身の潔白を証明すべく奔走するという、いつもながらのゴダード節。たいした話じゃないけれど、今回もやはりページをめくる手が止まらなくなった。
(Nov 19, 2008)
漂う殺人鬼
ピーター・ラヴゼイ/山本やよい・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
毎回作品ごとに手を変え品を変え、さまざまなスタイルの本格推理を楽しませてくれるピーター・ラヴゼイのダイヤモンド警視シリーズ第八弾。
今回は海水浴客でにぎわう砂浜でひとりの女性が絞殺され、その女性が名うてのプロファイラーだったことから、彼女が手がけていた連続予告殺人事件に焦点がうつるという話。
最初の殺人事件の犯人はほのめかしが露骨なので簡単に犯人の見当がついてしまうし、もうひとつの方は設定が少なからず強引に思える。だから単なる謎解きミステリとして見ると平均的な出来かなという気がする。
ただそれは謎解きにこだわればという話で、小説としてはとてもおもしろい。手がかりがすべて波にさらわれてしまって証拠ゼロという浜辺の殺人事件と、有名人ばかりを狙う連続予告殺人を二本立てにしてみせた筋立ては、さすが熟練の技だと思う。今回も十分に楽しませてもらった。
前回の 『最期の声』 で奥さんを失い、前々回には腹心の部下を手放して、なんだか身の回りがさびしくなったダイヤモンド氏だったけれども、この作品ではほかの署の女性警部ヘンリエッタ・マリンという人となかなかいいムードで合同捜査を繰りひろげている。今後の含みがありそうなのが気になるところ。
(Nov 30, 2008)
時計じかけのオレンジ
アントニィ・バージェス/乾信一郎・訳/ハヤカワepi文庫
『タイム』紙が英文学のベスト100のうちの一冊に選んでいるというので、それならば読んでみようと手にとったスタンリー・キューブリック監督の同名映画の原作小説(映画のほうは未見)。
いやー、しかしこれ、僕は苦手だった。とくに序盤、十五歳の主人公が暴行、強盗、レイプ、殺人と、悪逆のかぎりを尽くす展開は、読んでいてたまらなかった。あまりに居たたまれないので、さっさと読み終えたくて、途中から読むスピードを上がるという珍しい展開になってしまった。
ロシア語だかなんだかのスラングを多用した口語体も、翻訳で読んでいるせいか、それほど魅力的だとは思えないし、主人公が警察に捕まって罪を問われ、特別な処置を受けるあたりからは、なるほどこれは……と思うようになったものの、それでもやはり全体としての印象はいまひとつ。個性的な小説なのはよくわかったけれど、どうにも僕の趣味じゃなかった。残念。
こういう小説を読むと、おれってかなり保守的なのかもしれないと思う。
(Nov 30, 2008)
天使と悪魔
ダン・ブラウン/越前敏弥・訳/角川文庫(全3巻)
『ダ・ヴィンチ・コード』 の主人公、ロバート・ラングドン教授のデビュー作にして、来年公開予定の同名映画の原作。
スイスの科学研究機関から核爆弾の何十倍もの破壊力を持つという“反物質”が盗み出され、ヴァチカン市国のどこかに隠されるという事件が起きる。でもって、犯人がその開発にたずさわった科学者を殺害して、その胸に、キリスト教に敵対する
折りしもヴァチカンは新教皇選定のための一大イベント、コンクラーベの開催直前。そんな
いやあ、なんとも強引で派手な話だった。最新科学技術──架空の、だろうか?──とキリスト教の大本山の歴史的謎をかけあわせて、わずか半日たらずのタイムリミット・サスペンスに仕立て上げるという荒技は、『ダ・ヴィンチ・コード』 よりもいっそう映画向きだ。あまりに大風呂敷を広げすぎている感があって、僕はやや引いてしまったけれど、それでも映画にしたらけっこうおもしろくなりそうな気がする。ということで映画版に期待したい。
(Nov 30, 2008)