2018年10月の音楽

Index

  1. カタルシスト / RADWIMPS
  2. 負け犬にアンコールはいらない / ヨルシカ
  3. 月を歩いている / n-buna

カタルシスト

RADWIMPS / 2018 / CD

カタルシスト(通常盤)

 フジテレビのFIFAワールドカップ・ロシア大会のテーマソングとして書き下ろされたRADWIMPSの最新シングル。W杯フィーバーとそのあとの夏フェスのどたばたで感想を書くのを忘れているうちに四ヶ月も過ぎてしまった。
 スポーツ番組のタイアップということだから、以前に同じように使われた『君と羊と青』のようなキャッチーでアッパーな曲でくるかと思ったら、冒頭から『DADA』や『洗脳』の流れを汲むラップ調のミクスチャー・ロック路線で始まるので、おやっと思う。タイアップでこういう方向性を打ち出してくるとは思わなかった。
 でも、この曲はそのまま一筋縄ではいない。途中から英語の歌詞のドラムンベースなBメロに突入。さらに切なげなミドルテンポのCメロへとつながり、最後に『君と羊と青』タイプのキャッチーで疾走感のあるサビが待っているという。
 要するにラッドがこれまでのキャリアでやってきた多様な音楽性を一曲のなかにこれでもかと詰め込んだような複雑な構成の曲。でもって歌詞はサッカー代表とサポーターへのストレートなエールとなっているという(それゆえちょっとこそばゆい)。『カタルシスト』はそういう曲。
 カップリングの『HINOMARU』は軍歌みたいだってんでネットで炎上して、悪い意味で話題となった曲。和風のメロディーに文語調の歌詞という、野田くんがソロでやっていた作曲法をラッドにも持ち込んで、「日の丸」ってタイトルでここまで紋切り型の表現で愛国心を歌ってみせるとは正直なところ思わなかった。
 ただ、野田洋次郎という人は、最初から「そんなこといったら恥ずかしいでしょう?」とか「それはちょっとやばいんじゃん?」といいたくなるようなことを真正面から赤裸々に歌ってきた人だ。だからこそ『ふたりごと』や『37458』や『五月の蝿』みたいな曲が生まれてくるわけで。
 そういう意味では、この曲があまりに紋切り型なのも、きっと確信犯なのだろうと思う。自分が美しいと思う昔ながらの旋律や言葉を使って生まれ故郷に対する愛を歌ってなにが悪いんだって。だから遠慮なく歌ってやる──そう思ったんじゃないかと愚考する。建前ぬきでみずからの未熟さをさらけ出す姿勢は過去から一貫している。
 この曲を非難している人たちは、大きく二種類に分かれると思う。日本の歴史を踏まえれば、こんな軍歌みたいな曲を書くこと自体が許されないという人と、その文語の使い方が間違っているとか、曲自体があまりに陳腐だから嫌いという人。
 後者に関しては、まぁ、それは好みの問題だから仕方ない。僕もこの曲が傑作だとは思わないし。でも前者についてはどうしても違和感が否めない。
 そういう人たちはまるで戦前の軍歌があったから戦争になったような論調で野田くんを責めているけれど、違うでしょう? 音楽が戦争を起こしたのではなく、戦争が起こったあとで──もしくは戦争を正当化するために──音楽が悪用されたんじゃないの? 音楽自体に罪はなくない?
 少なくても僕はどんな音楽にもそれ自体には罪はないと思う。ましてやこの曲のどこにも戦争を肯定するような歌詞はひとつもない。それなのに「戦争を思い出させるような音楽はそれ自体が悪だから存在することさえ許せない」──そんな論調でこの曲を非難する人がいるのが僕にはどうにも納得がゆかなかった。
 ちまたに溢れる戦争や殺人やレイプを描いた映画や小説はよくて、戦争を思い出させる音楽はそれだけで駄目なんて理屈はないでしょう? 音楽なんてしょせんは嗜好品だ。いやならば聴かなければいい。 そもそもシングルのカップリング曲なんて、ふつうは聴きたくたって聴けやしないんだから。
 金を払ってCDを買っちゃったファンの人が文句をいうのは仕方ないけれど、ふだんはRADWIMPSなんて聴きもしない人たちがわざわざネットで視聴してニュースになるほど騒ぎ立てる状況は、絶対に間違っていると思う。
(Oct. 11, 2018)

負け犬にアンコールはいらない

ヨルシカ / 2018 / CD

負け犬にアンコールはいらない(初回生産限定盤)

 この夏はこの人の音楽ばかり聴いていました。ボカロP(ボーカロイドで音楽を作る人)のn-buna(ナブナ)がsuis(スイ)という女性ボーカリストと結成したユニット、ヨルシカのセカンド・ミニ・アルバム。
 酸欠少女さユりがカバーした『ルラ』という曲がめちゃくちゃ素晴らしかったことで、唐突に僕個人の注目の的となったナブナくん。調べたら Apple Music でこのバンドの音源の配信されていたので、ためしにと聴いてみたらこれがよくて。
 いや、正直にいうと、最初のうちは「いい年をしてこれにはまっちゃいけないんじゃないか?」と思ってためらっていたんだけれど、どうにも繰り返し聴かずにいられなかったもんで、途中で余計なことは考えずに好きなだけ聴こうとリミッターをはずしたら、それ以来、はまりっぱなし。あまりに好きすぎて、ミニ・アルバム二枚ではものたりなくなり、ついには配信で公開されていないボーカロイド作品まで、手に入る作品はすべて買うことになった。よもや自分がBUMP以外で初音ミク絡みのCDに金を払うとは思わなかった。
 ナブナのなにがそこまで僕の琴線に触れたかというと、まずはその歌の世界観。
 『ルラ』では「そもそも人が嫌いだ」なんてフレーズを筆頭に、全編に厭世的な言葉があふれていたけれど、その点はバンドを組んだここでも衰えず。「こんな人生なんかは捨てたい」「さよならだ人類、みんな吹き飛んじまえ」「青春の全部を爆破したい」etc……。そんな思春期のルサンチマンたっぷりの言葉が並ぶ。その辺が最初に僕に彼の世界に浸るのをためらわせた要因でもある。
 そこで終わっちゃうと救われないのだけれど、彼の歌は基本どれもラヴソングだ(──って初めてRADWIMPSを聴いたときと同じことを書いている気がする)。つまり人が嫌いだと歌いながらも、一方で人を恋せずにはいられない──そういうジレンマがみごとな言語感覚で歌われている。厭世家の恋というのは漱石の昔から文学のメイン・テーマなわけです。これにぐっとこないでいられようかって話。
 あと、この人は風景描写に秀でているのも特徴。歌の背景になる季節はほとんどが夏。セミが鳴き夏草がしげるバス停の風景が繰り返し歌われる。その切なさにはある意味、海のないサザンかってくらいの個性がある。
 かつて初めてBUMPを聴いたときには藤原くんがその歌に起承転結のある物語を閉じ込める才能に大きな感銘を受けたものだけれど、ナブナの風景描写のセンスにもそれに負けないフレッシュさを感じた。
 で、単にそんなふうに作詞能力に秀でているだけではなく、彼の音楽はそのサウンド面でも僕にはツボ。
 ボカロというと打ち込みなイメージが強いけれど、ナブナは軸足がギタリストらしく、そのサウンドはソロ名義のボカロのころから基本的にロックだ。それも速いやつ。ヨルシカでは普通にスタジオ・ミュージシャンのサポートを受けて、バンド編成でのロック・サウンドを聴かせてくれている。
 あと、ヨルシカにしても、ボカロにしても、男性目線の歌を女性の声で歌うことで、思春期の青臭さがいい感じで緩和されているところがいい。独特の世界観をもったネガティヴなラヴソングが性急なギターサウンドに乗った女性の声で描き出されるところになんともいえない味がある。
 もうひとつ。この作品の場合、三十分たらずのミニ・アルバムであるところも聴きやすくてリピートに拍車をかける要因。これと前作の『夏草が邪魔をする』をあわせても一時間に満たないので、僕はこの夏の通勤時には毎日のようにこの二枚をつづけて聴いていた。最近はカニエ・ウエストの作品もみんなこのくらいのボリュームだし、時代のトレンドはミニ・アルバムなんじゃないだろうか。
 ということで、僕にとっての今年を代表するアルバムを選べっていわれたら、迷わずこれで決まりって一枚。ナブナを紹介してくれた酸欠少女には感謝しかない。
(Oct. 11, 2018)

月を歩いている

n-buna / 2016 / CD

月を歩いている<初回生産限定盤>

 もう一枚、n-bunaの作品を。こちらは2年前にリリースされたボーカロイドのセカンド・アルバム(インディー盤も入れれば三枚目)。さユりのカバーした『ルラ』はこのアルバムに収録されている。
 シンデレラをモチーフにした『ルラ』を初めとして、この作品はすべての曲が童話や昔話をモチーフにしたコンセプト・アルバムとなっている。まずこの発想がキャッチーでいい。
 とりあげられているお話は、シンデレラ、狼少年、人魚姫、赤い靴、白雪姫、ラプンツェル、セロ弾きのゴーシュ、ヘンゼルとグレーテル、かぐや姫。あと、童話作家の歌が一曲と、初回限定盤の特典としてついてくるオリジナル童話のミニ絵本『カエルのはなし』のテーマ曲がボーナス・トラックとして収録されている。
 それとピアノ中心のインスト・ナンバーも五曲ある。ナブナのアルバムにはどれも必ずインスト・ナンバーが入っていて、それらがとてもいいアクセントになっている。
 素晴らしい詩を書く人だけれど、歌詞なしのインストでも十分聴かせるのだから、そのメロディー・メイカーとしての才能にも疑いなし。もちろん、打ち込みで音楽を作っているのだから、アレンジはすべてナブナ本人の手によるものだ。
 要するにナブナという人は、作詞・作曲・アレンジのすべてに秀でた、三拍子そろった恐ろしい才能の持ち主なわけです。
 なぜナブナがボカロで音楽活動を始めたのかは知らないけれど、これほどの才能の持ち主が、もしも歌が下手で自分では歌えないとか、人づきあいが嫌いでバンド活動ができないとかの理由でひきこもったまま、その才能をこの世に知らしめることができなかったとしたら、それはもったいないにもほどがある。
 僕は基本的に打ち込みよりも生演奏のほうが好きだから、人の声までが人工的に作られたボーカロイドにはこれまでまったく興味がなかったけれど、それでもボカロという表現手段があったからこそ、ナブナの才能が日の目を見ることができたとするのならば、ボカロの存在を肯定しないではいられいない。ナブナの音楽を聴いて、僕はいまの時代にボカロがあってよかったと思った。
 まぁ、正直なところ、ボカロだと歌詞がはっきりと聴き取れなくて、その歌の世界に浸りきれないので、どうせならこのアルバムをヨルシカでまるごとセルフ・カバーしてくれないかなと思ったりもするのだけれども。
 そうそう、公式サイトで公開されているナブナ本人による楽曲解説では、『白ゆき』について、「歌詞の「Snow White」は白雪姫の英題で、世に出した曲では初めて英単語を詩に使った気がする」なんて書いている。
 いわれてみれば、彼の歌詞はほぼ全編日本語だった。このご時勢にここまで英語を使わないアーティストって珍しいと思う(芸名はアルファベットだけど)。そこんところも僕がナブナを大いに気に入っている要因だったりする。
(Oct. 19, 2018)