2003年12月のサッカー

Index

  1. 12/04 ○ 日本2-0中国 (東アジア選手権)
  2. 12/07 ○ 日本1-0香港 (東アジア選手権)
  3. 12/10 △ 日本0-0韓国 (東アジア選手権)
  4. 12/23 ○ 横浜M1-4鹿島 (天皇杯・準々決勝)
  5. 12/27 ● C大阪2-1鹿島 (天皇杯・準決勝)

日本2-0中国

東アジア選手権/2003年12月4日(木)/国立競技場/フジテレビ

 日本代表にとって今年最後となる公式戦三連戦、東アジア選手権が開幕。日本は中国、香港、韓国と順番に対戦する。まず最初の対戦相手はオランダ人監督に率いられた中国だ。
 この大会、開催日が国際Aマッチ・デーではないため、海外チーム所属選手は基本的に参加していない(韓国戦のみ藤田がスポット参戦の予定)。そのため必然的に、この大会における日本代表はJリーグ代表とでも言うべき形をとることになった。お気に入りの海外組MF四人組が使えない状況に対してジーコが下した意外な決断は、今までは避けてきた3バックの導入だった。
 初めにシステムありきではないというのがジーコが初めから言っている方針だ。だけれど今まで{かたく}なに貫いてきた4バックをいきなり改めての3バック導入には意表を突かれた。それは多分ジーコが理想とする4バックで戦えるのは、世界に誇れる中盤の人材があってこそという判断なのだろう。それらの選手が出払っている状態で、代わりに小笠原、奥、本山あたりを使って急造の攻撃陣と共に4バックで戦うとすると攻撃力ダウンが否めないという……。なんだかちょっと複雑な心境。
 もうひとつ想像するに、3バックの採用には中澤の台頭という要素が大きかったに違いない。今の中澤の充実ぶりからして、彼をサブに置いておくには惜しい。かといって中田の代わりにキャプテンマークを任した宮本を外すはずはない。すると4バックを維持するには坪井を引っ込める必要がある。でも今まで宮本とのコンビで経験を積んできた伸び盛りの坪井を外したくもない。結果、この三人を一緒に使って、両サイドを中盤に上げる3-5-2のフォーメーションが今のチームならば一番いいと判断したのだろう。それはつまり、サブの攻撃陣に対する期待感よりも、中澤に対する信頼感の方が高かったということに他ならない。奥や石川あたりはジーコに「こいつらが見たいから4バックに戻そう」と思わせるような、より一層の発奮が必要だろう。
 結果からいえば、この日の試合では相手が弱かったとはいえ、ディフェンス・ラインは嬉しいくらい安定していた(まあニ、三回は、いつもどおり危なっかしい場面もあったけれど)。今後の問題は4バックに戻した時に坪井と中澤のどちらを残すかだろう。今のパフォーマンスからすると中澤だと思うのだけれど。あと今は故障がちで低迷しているけれど、本来の実力からすれば松田もここに顔を出してしかるべきだし。DFのセレクションも意外と難しい問題だったりする。僕らは単なるサポーターだから好き嫌いでいいけれど、監督はそういうわけにはいかない。ジーコも大変だ。
 なにはともあれジーコが日本代表の指揮をとるようになって初の3バックでの試合だった。フォーメーションはGK楢崎、DFが左から中澤、宮本、坪井、中盤は遠藤、福西の2ボランチに、両サイドがアレックスと山田、トップ下に小笠原。そして2トップが久保と大久保という、3-5-2、もしくは3-4-1-2という布陣だ。2トップのうち、大きな方が久保で、小さな方が大久保ってのがちょっとおかしい。
 試合は開始からわずか5分くらいで、高い位置で相手のボールを奪い取った小笠原から久保へのラストパスがとおり、GKと1対1のチャンスを得た久保が、最初のシュートでは決め切れなかったものの、こぼれ球を落ち着いて押し込んで先制。
 この得点で日本が引き気味になってしまったのか、それ以降は中国の速くて強いプレッシャーに押されるような形で、試合は膠着状態に陥ったまま前半終了。後半はなにがどう変わったのか、終始日本がゲームを圧倒していた。前半はほとんどなくて不満だったアレックスと山田の攻撃参加もようやく見られるようになったし、時には中澤が上がってクロスなんて場面もあった。攻撃に勢いがあって見ていて楽しかった。
 2点目は大久保に代わってピッチに立った本山からのスルーパスに反応してフリーのチャンスを得た久保が、GKの動きを見てゴールへとパスのようなシュートを流し込んだもの。眠れる竜と仇名された男が、ようやくその才能に見合った活躍を見せてくれた一戦だった。アントラーズのMFコンビが(まあ本山はFWとしての出場だけれど)どちらもアシストを決めてくれたのもファンとしては嬉しい。
 3バックを採用したことによる一番のポイントは、両サイドウィングの攻撃参加の度合いだと思うのだけれど、その点ではこの試合はやはり不十分だった。アレックスはボールを持つと中へと向かうばかりで、自分からサイドを駆け上がる動きが皆無。山田もアレックスとバランスを取るために下がってばかりで、ほとんど攻撃参加できていなかった。この二人が攻撃において効果を発揮できないのならば、3バックは無意味だろう。どうせならば4バックで戦って、どこまでできるかを見せて欲しかった気がする。
 中国は中盤のプレッシャーがきつい間はかなり手ごわい印象だったけれど、それ以外だと特別見るところのないチームだった。これくらいの相手だったらば、日本代表のディフェンスラインなら急造の3バックでも完封できて当然だろう。このフォーメーションの可否については韓国との対戦を見るまでは判断は保留ということになりそうだ。
 なにはともあれ、この日の試合は久保の代表初ブレイク、小笠原の司令塔としての存在感、守備的2ボランチ&3バック・システムの成功といいことづくめの試合だった。この大会は海外組不在ながら、なかなか見所の多い大会だと思うのに、国立に空席が目立ったのが意外だった。なんだかなあ。
(Dec 06, 2003)

日本1-0香港

東アジア選手権/2003年12月7日(日)/埼玉スタジアム2002/フジテレビ

 このところの中澤の充実ぶりを買っての3バックだろうという僕の読みはまるではずれていたらしく。引き続き3バックでのぞんだこの日の香港戦のスタメンには彼の名前はなかった。代わりに左センターバックに入ったのはU-22の茂庭。結局3バックの採用はディフェンスにおけるオプションを増やすことと、サブのDFに経験を積ませることにあったみたいだ。そんなわけで前の試合からDF一人を入れ替えたのみで臨んだ香港戦。
 これがかなりひどい内容だった。開始3分でおおっ、このチームは弱いぞとわかってしまうような相手に、得点はアレックスがシミュレーションぎりぎりで得たPKの一点のみでは、なにを言われても仕方ないだろう。おかげで韓国に総得点で遅れて2位だ(勝ち点、得失点差は並んでいる)。最終戦の韓国に勝たない限り優勝はなくなった。
 確かにやたらとバーに嫌われるシーンが多かったし、今日はつきがなかった部分もある。それでも後半の戦いぶりを見たら、こんな調子でW杯予選を勝ち抜けるのかと不安を感じてしまうのも致し方ない。今日の試合に関しては僕はジーコの監督としての手腕に非難が集まっても仕方ないと思う。
 はっきり言って今日の試合は勝って当然。だからできれば次の韓国戦に向けて戦力を温存すべきだと思っていた。具体的に言えば、故障を抱えながらプレーしている小笠原と久保の二人は前半で交替させていいと思った。というか、積極的に交替させるべきだと思った。そして控えの奥や黒部に経験を積ませた方が、彼らに万が一のことがあって韓国戦に使えなくなることを考えれば余程いい。
 ところがジーコはまったく彼らを替える素振りさえ見せない。後半十分くらいだったろうか、小笠原が足を踏みつけられて治療のためにピッチを離れる場面があった。久保は相手選手と喧嘩をしてイエローをもらってしまった。チームのムードもなんだかギクシャクしていた。これはどう考えても替え時だろうと思った。でもジーコは動かない。ようやく選手交替のカードを切ったのはそれから十分近くあとだった。それも交替は遠藤から山田卓也だ。ジーコが小笠原をさげたのはその3分後(交替は奥)。最後の選手交替は山田暢久をさげての石川直宏の投入。結局、久保は出ずっぱりだった。
 まあ、ジーコは久保にエースとしての仕事を期待していたんだろう。大久保にしても、あいかわらず呪われたようにゴールに嫌われているけれど、プレーは悪くなかった。2トップを替えなかった理由はわからなくない。小笠原も存在感のあるプレーをしているから、替えたくないのはわかる。それでも本気でオガサや久保に期待するのならば、この試合に無理をさせるよりも、ここは休ませて次の試合に賭けるくらいの度量を見せて欲しかった。それにあそこまで小笠原や久保を引っ張ってしまうと、サブに甘んじている奥や黒部のモチベーションが下がってしまうんじゃないかという心配もある。
 戦術的な疑問もあった。今日は前の試合に比べるとアレックスの攻撃参加が目立っていた。ただし彼が左サイドを上がってボールをもらうという場面はやはりほんの一、二度。どちらかというと左サイドから攻撃の基点となるというプレーが多かった。
 一方、右サイドの山田暢は今回もほとんど上がる場面はなし。アレックスがかなりノっていたせいもあるのかもしれないけれど、チーム全体が彼の側しか見ていない印象で、右サイドへの意識がやたらと低い感じがした。たまにそちらからの攻撃があったとしても、上がっているのは山田ではなく小笠原や大久保だ。なんだかもうすごく攻撃のバランスが悪かった。これはやはりジーコの自由主義の弊害だろう。きちんとサイド攻撃のルールづけがされていないせいだと言えるんじゃないだろうか。チームとしてはっきりとしたサイド攻撃の形を意識づけしていかないとまずいと思う。
 そうそう、あと見ていて腹が立ったのが、ボールの出し所を見つけられずにディフェンス・ラインでボールを回すシーンがやたらと多かったこと。それもやはり宮本と茂庭の側、つまり左サイドばかりに偏っていた。確かに最終ラインからのボールをパスカットされると決定的なピンチに陥るから、セーフティを第一とすると、なかなか安直なパスは出しにくいのかもしれない。それにしても、ああいうプレーは見ていて気分が悪い。もっと積極的に自分から攻撃を仕掛けるようなプレーを見せてもらいたかった。
 ということで勝ちはしたものの、不満ばかりが残る一戦だった。埼玉スタジアムががらがらだったのも当然に思える。それにしても次の韓国戦は藤田をいったいどう使うのか、3バックのままだとさっぱり見えてこなくて不安一杯……。4バックに戻すんだろうなあ。
(Dec 07, 2003)

日本0-0韓国

東アジア選手権/2003年12月10日(水)/横浜国際競技場/フジテレビ

 第一回東アジア選手権の優勝杯がかかった韓国戦。ジーコはオランダから戻って来た藤田を先発では使わず、3バックの一角を茂庭から中澤に戻し、中国戦と同じスタメンでこの試合に臨んだ。中澤は前の試合ではドクターストップがかかっていたらしい。
 日本代表にとっては必勝が要求される試合だった。ところが開始からわずか17分で大久保が二枚目のイエローカードをもらって退場してしまう。一枚目をもらった時にまずいなあと思っていたんだ。やる気が空回りしないといいけれどと思って。案の定という感じではあったけれど、それにしてもあまりに早い時間帯だった。
 ただ、この日の二枚のカードはどちらもちょっと可哀相だった。最初は相手のボールをカットしようとした結果だったし、シミュレーションとされた二枚目だって主審によってはとらないレベルのものだったし。この試合の焦点のひとつは大久保が代表初ゴールをあげられるかにあった。そういう試合で、わずか20分たらずで退場する羽目になってしまうなんて、彼はつくづく代表運がないのかもしれない。どこかでこの悪い流れを断ち切るきっかけをつかめるといいと思う。彼のためにも、そしてなにより日本代表のために。
 ということで試合の残り四分の三以上を十人で戦わなくなってしまった日本代表だった。大久保が退場してからしばらくは、ある種の脱力感が漂っていたように思えた。ああ、今日もやっぱり駄目かという。それでもその後しばらくすると段々一人ビハインドの状態にも慣れてきた感じで、それなりに落ち着いたプレーが見られるようになった。でもなんたって一人少ない状態だから、攻撃が形にならない。小笠原もほとんど仕事らしい仕事ができていない印象だった。久保にもほとんどボールが入らなかった。
 後半の初めからジーコが動いた。福西、中澤を下げて、藤田と本山を投入する。フォーメーションは4-4-1となった。中澤を下げて4バックとするという作戦はもっともだ。なんたって勝たないとならない試合だし、本来は4バックのチームだ。DFを下げてその分、攻撃的な選手を入れるという交替は大いにうなずける。
 ただし本山の投入に関してはマイナスなんじゃないかと思った。本来MFの本山をFWとして登録しているジーコにしてみれば、一人足りない状況でその両方の役割を果たせる本山の投入は最善の策だったのかもしれない。けれども本山の場合、守備力にはかなり疑問のある選手だ。一人ビハインドで全員守備が必要な状況では、相手につけ込む隙を与えてしまうんじゃないかと思えて仕方なかった。
 後半の立ち上がりは、おそらくその杞憂が当たってしまった形になった。本山は前線に張っていて、ほとんど守備に下がってこない。結果、日本は終始押し込まれてしまう結果になった。この時間帯の僕は、とにかく本山の動きにいらいらしてばかりだった。
 ところが途中から状況は突然好転し始める。韓国のプレスがほとんど効かなくなり、日本がボールを自由に回せるようになる。ここからは日本の一方的な試合になった。久保が、本山が、小笠原が惜しいシュートを放つ。宮本の攻め上がりもあるし、とても一人足りないとは思えない勢いのある攻撃を見せてくれた。
 結果的には最後まで日本の繰り出すシュートがゴールネットを揺らすことはなかった。最後の5分は山田を下げて黒部を投入、ディフェンスラインを崩してまでパワープレーで1点を奪おうとしたのだけれど、やはりこの日もゴールは遠かった。
 それでも後半途中からの日本の攻撃はなんとも気持ちがよかった。結局総得点で一点少なかった日本は優勝を韓国に譲ることになってしまったから、ジーコに対する世間の風もますます冷たくなりそうだ。それでも僕はこの大会はとてもよかったと思っている。久保や小笠原がようやく代表においてその才能を発揮してくれたし、3バックでもある程度戦えることがわかった。韓国はW杯の時と比べると随分と後退してしまった印象があったけれど、日本はちゃんとパワーアップしていると僕は思った。ジーコには勝負運がないし、正直なところここまでは指揮官としてもいまひとつだろう。それでも僕は今の日本代表の方が、トルシエの時の代表よりも好きだ。是が非でもワールドカップへの出場権を獲得して、より高いレベルの大会でのサッカーを見せて欲しいと心から思う。
 来年2月から予選が始まる。初戦の対戦相手はオマーンだ。
(Dec 11, 2003)

横浜F・マリノス1-4鹿島アントラーズ

天皇杯・準々決勝/2003年12月23日(火)/国立競技場/BS1

 来期の戦力外通告を受けた秋田にとっては、負ければアントラーズで最後の試合となってしまう天皇杯。福岡、柏を相手にした前の二試合は、ともに前半に2点を奪われながら辛くも逆転勝ちで準々決勝まで勝ち上がってきた。これも秋田との別れを惜しむチームメイトの奮起の賜物{たまもの}なのか。でも、決して強くもない相手に前半だけで2失点しちゃうってのは、そもそもディフェンス力が落ちている証拠だろう。そういう意味では秋田の移籍というのは、やはり致し方のないことだろうと思ってしまう。
 準々決勝の相手はJ年間王者の横浜F・マリノス。当然手に汗握る接戦が期待されたのだけれど、思わぬワンサイドゲームになってしまった。まったくマリノスのディフェンスラインの脆いこと。これじゃあ高校生相手に苦戦するのも当然だろう。この程度のチームが完全優勝してしまうなんて、やはりJリーグもまだまだだと思わされてしまった。
 アントラーズのフォーメーションは曽ヶ端、内田、秋田、大岩、石川、青木、フェルナンド、小笠原、本山、平瀬、深井というメンバーだった。
 それにしても、本当にこの日のアントラーズの攻撃は小気味よく決まった。左サイドに流れた小笠原からのクロスを本山が頭で決めた一点目。本山と小笠原のパス交換から、最後は左サイドへ上がってきた青木が、もたつきつつも、きれいに決めた二点目(あれは最初のタッチでシュートしないといけない)。内田のクロスを反対サイドから小笠原が頭で決めた三点目。前半で勝負あり。後半の小笠原のFK、久保の頭でコースが変わってゴールネットを揺らしたあれはラッキーの一言だった。なまじ横浜が一点を返した直後だったから、とても大きなゴールではあったけれど。
 ということで、前半で勝負ありという試合だった。そんな中、秋田が気迫を感じさせるプレーを見せてくれていたのが印象的だった。この日みたいなプレーが終始できていたら、きっと来年もアントラーズのユニフォームを着ていたんじゃないかという気がして残念だ。
(Dec 27, 2003)

セレッソ大阪2-1鹿島アントラーズ(延長後半Vゴール)

天皇杯準決勝/2003年12月27日(土)/長居スタジアム/NHK

 なんとなくぼんやりと見始めたテレビ放送の開始早々。ピンクのユニフォームが白のユニフォームを相手にきれいにボールを回して惜しいシュートまで持っていく。ああ、惜しいと思った直後に、攻められていたのがアントラーズであることに気づく。おいおい、危ないところじゃないか。アウェイのユニフォームのせいでどっちがアントラーズか勘違いしてしまった。おれはなにをボケているんだろうか。やれやれ。
 なにはともあれ、いきなりのピンチで試合は始まる。アントラーズのスタメンは前の横浜戦と同じ。なにがどう悪くなったんだかわからない。それでも序盤は圧倒的に押し込まれ続け、十分とたたないうちに大久保にヘッドで決められて先制を許してしまう。
 これで目が覚めて猛攻が始まり、あとは難なく逆転して決勝進出、となってくれればよかったのだけれど、今日の試合ではどうにも攻めの形がきちんとできない。本山、小笠原ともに出来がいまひとつという印象。この二人がどれだけできるかが今の鹿島の生命線という感じがする。フェルナンドがさかんに攻め上がっていたり、内田が左サイドで奮戦してくれてはいたけれど、いかんせんゴールが遠い。
 この局面におけるトニーニョ・セレーゾの采配がおもしろかった。まずは青木をさげて野沢を投入。小笠原をボランチに下げて、それまでよりも若干攻撃的な布陣にシフトする。結局はこれが功を奏した形となって、残り5分という時間帯にフェルナンドがこの野沢にあわせてあげたクロスを、相手DFが止めようとして手に当ててオウンゴールにしてしまった。記録は野沢のゴールとなっているようだけれど、画面で見ている限りは完璧にオウンゴールだった。でもまあオウンゴールじゃなかったとしたら、ペナルティエリアの中でボールを手で止めているわけだし、カードが出てPKというケースだろう。手で止めていなければ、完璧に野沢に渡っていたはずだし。とりあえずアントラーズがしぶとさを発揮して、この試合も土壇場で同点に追いついた。試合は結局延長戦へ。
 延長でセレーゾは最後の選手交替のカードを切り(二枚目は平瀬→中島)、深井を下げて本田を投入する。本田を入れることで守備力を高めておき、再び小笠原を前に上げて、本山、中島のツートップで攻めようというフォーメーションに替えてきた。要するに1点ビハインドだった時よりも攻守のバランスの取れた形に戻してきたわけだ。おもしろい采配だなあと思った。トニーニョ・セレーゾという人はややディフェンシブ過ぎる嫌いがあるけれど、時々こういうバランス感覚に優れた采配をふるって、サッカーのおもしろさを感じさせてくれる点では、やっぱり優れた手腕を持った人だと思う。
 ともかくこの采配の妙もあり、延長突入までの流れからしても、この試合はもらったという気分だった。延長も始めから押せ押せで、幾度もシュートまでいく。ところがこれが決められない。シュートはゴールキーパーの正面をつくようなものばかり。そうこうするうちにセレッソに攻め込まれる時間帯を作られたりもしてしまう。敵ながら、この時間帯でもまだ攻守ともに走り回っていた森島のスタミナには脱帽だった。
 そして延長戦もあと6分を残すばかりという頃。足をつってヘロヘロだったはずの大久保にボールがわたる。いまさらなにができるんだと思っていたこいつが、最後の力を振り絞るかのごとく鋭いフェイントで秋田をかわし、思いっきり右足を振りぬいたと思ったらば。次の瞬間、ボールはゴールネットを揺らしていた。まさかのVゴールにしばし呆然。そういうのは日本代表の時に取っておいて欲しかったぜぇ。
 ということで鹿島アントラーズにおける秋田豊のプレーは、残念ながら元旦の国立を前にして幕となってしまったのだった。ジュビロが初めて決勝まで駒を進めていただけに、最後にゴールデンカードが実現するかと思って楽しみにしていただけにとても残念だ。
 なにはともあれ、この一戦をもって僕の2003年のサッカー(テレビ)観戦もおしまいとなった。アントラーズは怪我人続出の中、Jリーグ、ナビスコカップ、天皇杯と、どれも最後までよく戦ってくれた。無冠には終わったけれども、決してその名に恥じることのない一年だったと思う。来季、ディフェンスラインの柱だった秋田が抜けたチームがどんな戦い方を見せてくれるのか、それはそれで今から楽しみだ。秋田選手、十一年間ご苦労さまでした。
(Dec 27, 2003)