2018年8月の本

Index

  1. 『魔法の夜』 スティーヴン・ミルハウザー
  2. 『バグダッドの秘密』 アガサ・クリスティー

魔法の夜

スティーヴン・ミルハウザー/柴田元幸・訳/白水社

魔法の夜

 緻密な文章で現実とも幻ともつかぬ世界を描くのがスティーヴン・ミルハウザーという作家の特徴だとするならば、これはまさにそういう作品。
 ある暑い夏の夜に、月の光に誘われるように家を出てきたさまざまな人々の姿を描く断片的な章をいくつも積み上げて、一夜の夢ともうつつともつかぬ世界を浮かび上がらせてみせる。
 仮面をつけた少女たちのグループが他人の家に無断で忍び込むエピソードがあったりするので、もしかしたら以前この人が書いた短編『夜の姉妹団』(内容はまったく覚えていない)を長編──もとい、柴田氏のいうところだと中篇──に膨らませたような作品なのかもしれない。でも柴田氏はそんなことひとことも書いてないから、やっぱ違うのかな。
 これまでに翻訳されたミルハウザーの長編三作はどれもストーリー自体はしっかりしていたけれど、そんなわけで今回はストーリーはそっちのけで、イメージがすべてって仕上がりになっている。小説というより詩に近い印象の作品。それゆえ、その雰囲気に浸れる人にはいいだろうけど、普通の小説のようにストーリーありきで読むとおそらくまったく楽しめないじゃないかと思う。
 かくいう僕自身はどうだったかって? うーん……。
 ところどころに惹かれるものはあったけれど、小説としておもしろかったかと問われると正直なところ困る。
(Aug 05. 2018)

バグダッドの秘密

アガサ・クリスティー/中村妙子・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

バグダッドの秘密 (クリスティー文庫)

 クリスティーによるひさびさのサスペンス・スリラー。一目惚れした青年のあとを追ってバグダッドへ飛んだタイピストのお嬢さんが国際的なスパイ事件に巻き込まれるという話。
 要するにデビュー当時に書いた『秘密機関』や『茶色い服の男』などの系統のスリラーの最新版なのだけれど、内容的にはあのころと五十歩百歩で、びっくりするくらいの成長のあとがない。ミステリ作家として円熟期を向かえて、すばらしい傑作を連発していたこの時期のクリスティーが、なにゆえスパイ・スリラーを書くとこんなんなっちゃうんだろうと不思議になるくらいの内容。
 印象的には、クリスティー自身が考古学者の夫とともにバグダッドで過ごした日々の思い出を、若き女性主人公に託して描いてみたいというのがこの作品を書いた動機だったのかなと思う。スリラーとしての本編よりも、ひょんなことから遺跡発掘隊に加わることになった都会っ子の主人公ヴィクトリアがその仕事に喜びを見いだし、一見さえない考古学者たちに好意的な目を向けるようになってゆく過程を描いた部分がもっともハッピーで楽しげだった。
 まぁ、ひとりの女の子のゆきあたりばったりでトラブル満載の中東旅行記として読むならば、そこそこ楽しい小説かもしれない。でも、それにしては翻訳が古い。とくに女の子のせりふがオールド・ファッション。内容がいまいちだから、せめて翻訳だけは新しくして欲しかった。
 とはいえ、お世辞にもクリスティーの代表作とはいえない作品だけに、わざわざ新訳するコストは出せないのもわかる。
(Aug 05. 2018)