2014年12月の本

Index

  1. 『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』 アガサ・クリスティー
  2. 『陽気なギャングが地球を回す』 伊坂幸太郎

なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?

アガサ・クリスティー/田村隆一・訳/早川書房/Kindle版

なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? ハヤカワ文庫―クリスティー文庫

 クリスティーの作品のなかでも、もっともタイトルがキャッチーだと思う作品のひとつ。なぜだかよくわからないけれど、『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』というタイトルには、ぜひ読んでみたいと思わせるものがある。
 ──といいつつ、内容についてはすっかり忘れていて、再読してみたら『秘密機関』から連綿とつらなる男女カップルによる冒険スリラーだったので、あぁ、これもこの手の作品だったのかと、いまさらながら思ったりした。
 物語は、見知らぬ男性の死亡事故を殺人事件ではないかと疑った貴族令嬢フランキーが、その事件の第一発見者であり、彼女の幼馴染である好男子ボビーをたきつけて事件の背後を探ってゆくうちに、事件に巻き込まれてゆくというもの。まさに同工異曲なクリスティー恋愛ミステリ劇場のうちの一編。
 魅惑のタイトルは、崖から転落して死亡した男性が死に際に言い残したダイイング・メッセージで、真相が明かされてみると、崖から落ちて死にかけているときにそんなこと言い残すやつがいるかぁ? と思ってしまうような話なんだけれど、それでもその謎解き部分での会話の流れの持ってゆき方がとても上手いので、おぉ、そうかと、それなりにぐっときた。そこんところがミステリ作家クリスティーの手腕の冴えだと思う。
(Dec 27, 2014)

陽気なギャングが地球を回す

伊坂幸太郎/祥伝社/Kindle版

陽気なギャングが地球を回す

 伊坂幸太郎は『重力ピエロ』で懲りたはずだったのに……。
 ドナルド・E・ウエストレイクのドートマンダー・シリーズのファンとしては、銀行強盗を主役にしたユーモア・ミステリとなると、好奇心を持たずにはいられないわけで。あと、少年時代に『俺たちは天使だ!』が大好きだった世代としては、チームで仕事にあたるというプロットにも惹かれ、最後は Kindle 版がバーゲン価格だったのが決定打となって、ついつい読んでしまった伊坂作品なわけですが──。
 それで確認できたこと。僕はやっぱり伊坂幸太郎は駄目だった。
 まずは文体的に受けつけない。全編にわたって繰り広げられる気どった会話と安っぽい知識のひけらかしにげんなりしてしまう。
 たとえば、あるキャラが、会話の途中で九という数字に反応して、なんの脈絡もなく「ビートルズの九枚目のアルバムはホワイトアルバムだったな」なんて言い出す場面。俺のまわりにも熱烈なビートルズ・ファンはいるけれど、そんなこと言うやつはいないよ? いたらいたで、そうとう鬱陶{うっとう}しいと思うし。
 その発言をしたキャラに対して、その鬱陶しさが持ち味となるだけのビートルズ・オタクとしてのキャラクター付けがなされているならば、それはそれでまた話が別なのだけれど、この本でビートルズに関する言及があるのは、たぶんその一言だけだ。だからその鬱陶しさは、単に知識をひけらかすだけの、なんの味わいもない鬱陶しさとしてそこに残ってしまう。
 この人の文体は全編にわたってそうした鬱陶しさで満ちている。そこがまず駄目。
 次に物語がいちいち不自然。人の行動原理を無視した不自然な行動のオンパレード。
 主人公の四人が出会う回想シーンがその最たるもので、盗難車を映画館の駐禁の脇道にとめて映画を観ている女の子なんて普通いないでしょう? その子がその車で見ず知らずの野郎たちと一緒に爆弾魔を追っかけるって、一体なにごと? 普通ならば自分が捕まる心配をして、さっさと逃げ出すよ。ましてや愉快犯的なプロの犯罪者だというならばともかく、彼女は単なる一児の子持ちのシングルマザーなわけだし。
 クライマックスのシーンにしても、銀行があるのはふつう繁華街だから、どんな時だってそれなりの人通りはあるだろうに。そんなところで警官姿の男たちがおもちゃの拳銃ぶっ放していたら、いやおうなく人目を引くでしょう?
 そもそも銀行強盗がべつの銀行強盗を警察に捕まえさせようとするという展開からして不自然だ。そんなことしたら芋づる式に自分たちも捕まるに決まってるじゃん。そんなことも考えずに同業者を警察に突き出すやつが頭がいいとはとても思えない。
 この小説はそういう不自然な行動やセリフが全編にあふれている。そうしたおかしさがギャグやユーモアとして笑いを呼んでくれればまだしも、僕はこの人の本を読んでもほとんど笑えない。たんに小説が下手なだけにしか思えない。同じジャンルのウェストレイク作品と比較すれば、その差は歴然。
 もうひとつ、この人の作品を読んでいて特に気になるのが、犯罪に対する罪悪感のなさ。
 たとえそれがどんなものであれ、犯罪というものは基本的に他人の権利を蹂躙する行為であるわけだから、作家たる者、個を重んじる身であれば、それを描くに際しては、なんらかの罪の意識を抱かざるを得ないものだと僕は信じる。
 ドストエフスキーの『罪と罰』が名作たるゆえんは、それが主人公が罪の意識に押しつぶされてゆく過程をこれでもかというほど克明に描いているからでしょう。正義を語る者が自らの罪に対して無自覚では困る。
 その点、『重力ピエロ』にしても、この作品にしても、伊坂幸太郎という人は、自らの描く犯罪に対して、あまりに無責任なように僕の目には映る。
 プロの犯罪者を娯楽と割り切って描いているのならばともかく、彼の小説の登場人物はほとんどが一般人か、その延長だ。それが犯罪を犯して罰を受けるどころか、罪の意識の微塵もないなんてのはどうなんだと思う。単にぼやかして書いていないってんならばともかく、銀行強盗ってカッコいいでしょう~なんてのは、語るに落ちたの感あり。エンタメならばなにしてもいいってもんじゃない。
 ということで、僕にとってこの小説は読むのがつらいほどの出来だった。
 まぁ、ディテールにはいくつか、感心したところもあった。冒頭から積み上げていった伏線を最後にまとめて刈り取ってみせるところとか、おーと思う人がいるのもわからなくはない。それでも、僕にはそのいいところ以上に前述したような悪いところのほうが圧倒的に気になってしまった。なんでこんな本読み始めちゃったかなぁと、マジで後悔した。
 『重力ピエロ』につづいて、この作品でツー・ストライク。この先さらにもう一度この人の本を読むことがあって、もしもそれがまたこの程度の出来だった日には、三球三振でバッター・アウトだ。もう二度とこの人の本を読むことはないだろうと思う。
 ──ってまぁ、このままだったら絶対次はないけど。
(Dec 27, 2014)