2014年10月の本

Index

  1. 『フラニーとズーイ』 J・D・サリンジャー
  2. 『忍者月影抄』 山田風太郎
  3. 『オラクル・ナイト』 ポール・オースター
  4. 『狩りのとき』 スティーヴン・ハンター
  5. 『リスタデール卿の謎』 アガサ・クリスティー

フラニーとズーイ

J・D・サリンジャー/村上春樹・訳/新潮文庫

フラニーとズーイ (新潮文庫)

 村上春樹によるサリンジャー作品の新訳版・第二弾。
 この本、大学生のころに読んだときには、自らのイノセンスに押しつぶされそうになっているフラニーの苦悩に大いに共感していたような気がするのだけれど、かれこれ四半世紀ぶりに再読してみて感銘を受けたのは、それより挟み込みの小冊子のなかで春樹氏も指摘しているところの、『ズーイ』における語り(文体)のみごとさ。
 『ライ麦畑』の饒舌さに近いものの、あきらかにそれとは違う。より成熟した視点より発せられているその言葉の濃度の濃さにひたすら感心してしまった。あらためてサリンジャーってすごい小説家だったんだなって思った。
 そんな風に感心するのも、この本で描かれている風景が、いたってありきたりだから。
 短編『フラニー』は大学生のカップルの二時間足らずのデートの話だし、それを受けての中編『ズーイ』の登場人物はグラス家の家族三人だけで、舞台はずっと彼らの家のなか。それもバスルームと居間とフラニーの部屋くらい。
 物語はといえば、言葉でうまく説明できない悩みを抱えて引きこもってしまった多感な大学生の女の子が、その兄に慰められる話。ただそれだけなわけです。しかもその兄妹がともに天才で美男美女だという設定なのだから──おまけにかなり宗教がかってもいる──、いまの世相からすれば、なにいってやんでぇって作品にも思える。
 それでも、思春期に多かれ少なかれフラニーのように落ち込んだ経験があるものとしては──ない人もいるんでしょうか?──、そんなふうに言葉を失ってどん底まで落ち込んだ妹を、風変わりなルートをたどってぎこちなくなぐさめてみせる兄の姿に、心温まるものを感じずにはいられない。そしてその感動がありきたりなものにならないのは、やはりサリンジャーのみごとな文体に負うところが大きいなと。今回再読してそう思った。
 いい作品だけに、できればこれは単行本で出して欲しかった。新潮社さん、なぜにいきなり文庫オリジナル?
(Oct 13, 2014)

忍者月影抄

山田風太郎/角川書店/Kindle版

忍者月影抄 (角川文庫)

 ふと気がつくと、とうの昔に絶版になった角川文庫版の忍法帖シリーズが、懐かしいあのころの表紙のまま、Kindleでどーんと復刊さまくっているので、これはいい、これからはどんどん読んでゆこうと思って、まずはと手に取った──というのも電子書籍だとおかしな表現だけれど──のがこの作品だったのですが……。
 過去の記録をチェックしたら、これ、2005年に河出文庫版ですでに読んでました。あぁ、まったく覚えてなかった。われながら、なんてあてにならない記憶力だか……。
 ということで、はからずして初の風太郎作品再読となってしまった忍法帖シリーズの(おそらく)第五弾。
 物語は、厳格な政策をしいる将軍・吉宗に嫌気がさした徳川御三家・尾張の殿様が、「偉そうなこといってる将軍様だって、若いころにはこんな美女をたくさんはべらせていたくせに」と、将軍のかつての愛妾たちを裸にして公然にさらしてみせたことから、尾張柳生・伊賀忍者連合軍VS{バーザス}江戸柳生・甲賀忍者連合軍の忍法合戦に至るというもの。やんちゃな殿様のいたずら心が原因で忍者どうしの凄惨な殺し合いが始まってしまうあたりが、いかにも風太郎らしい。
 忍法帖としては、炎や氷を使いこなす悪魔の実の能力者のような忍者が出てきたり、鏡や夢のなかに入ってしまう忍者が出てきたりして、すでにナンセンスが限界を超えてしまっている感はあるけれど──あと虫系の気持ち悪いやつも多い──、フォーマット的には典型的な忍法帖といった印象の作品。
 そのメインの忍法合戦に並行する伏線として、天一坊事件を絡めて描いてみせたところがこの小説の秀逸なところだと思う──というようなことを、僕はおよそ十年前にこの本を読んだときの感想に書いていた。たぶんこの本を読んで初めて天一坊のことを知ったのではないかと思うんだが。
(Oct 13, 2014)

オラクル・ナイト

ポール・オースター/柴田元幸・訳/新潮社

オラクル・ナイト

 ポール・オースターには現代アメリカ文学において比較的読みやすい作家というイメージを抱いていたけれど、この頃はそうとも言えなくなってきた感がある。前作『幻影の書』といい今作といい、ずいぶんと読みごたえがあった。まぁ、改行が少ない文章だからそう思ったって気がしなくもないけれど。
 今回の作品は、重病あがりの作家が、奇妙な中国人の経営する小さな文房具屋で手に入れた青いポルトガル製ノートに不思議なインスパイアを受けて、夢中で新作を書き始めたところ、その物語の進展と並行して、彼の身のまわりで妙な事態が持ち上がる……というような話。ストーリーは基本リアリズムだと思うけれど、ちょっぴり村上春樹的な不可思議な味つけが加わっている。
 タイトルの『オラクル・ナイト』は、主人公の作家が書く小説のなかに出てくる、べつの小説の題名。でもその内容については多くは語られないし、つまりこのタイトル自体はこの作品の主題とはほとんど関係がないってところが、ある意味個性的。もしかしたらそこに深い意味が込められているのかもしれないけれど、少なくても僕には読み取れなかった。
 とにかく、メインのストーリーに並行して、主人公が書く小説の内容──ハメットの『マルタの鷹』のなかの些細なエピソードをふくらませて独自の物語に仕立て上げたものとのこと──がけっこうな存在感を持って語られてゆき、さらにそのなかでも別の物語が言及されるという凝った三重構造が、この作品のいちばんの特徴。三つの物語が微妙に混ざり合って、なんだか不思議な感覚を生み出している。
 で、それらの多重構造がなにやら{いびつ}なバランス感覚を持っているところが、やはりオースターならではだと思う。魅力的な作中作は途中で袋小路に入ってしまうし、登場人物に誰ひとり共感できなかったりで、いまいち好きだとはいいきれないところはあるんだけれど、それでも一個の小説としては、その歪さゆえに独特の個性を放っている。
(Oct 26, 2014)

狩りのとき

スティーヴン・ハンター/公手成幸・訳/扶桑社/Kindle版(全二巻)

狩りのとき(上) 狩りのとき(下)

 ボブ・リー・スワガー・シリーズの第三弾。
 ──というか、このあとの作品が刊行されるまで十年近くが過ぎるようだし、どちらかと(『ダーティー・ホワイト・ボーイズ』を番外編として)これこそ『極大射程』から始まる三部作の完結編と呼んでしかるべき作品だと思う。ある意味、前作『ブラックライト』よりこちらのほうがシリーズの中では重要な位置を占めている気がする。
 作品は、プロローグとしてボブ・リーの家族が何者かから狙撃を受けようとしている場面を描いたあと、いきなりベトナム戦争期へと戻り、戦争末期にボブ・リーとともに狙撃を受けて命を落とした青年兵、ダニー・フェンの在りし日を描き始める。
 で、一度はベトナムから帰還して任期明けを待つばかりだった彼が、訳あってふたたび戦場へ舞い戻る羽目となり、そこでボブ・リーと出会ってともに戦い、ついには命を落とすまでを描くのに、この本はじつにその半分以上を費やしてみせる。
 なぜに作者はダニー・フェンという青年をそこまでこだわって描くのか?
 ――その疑問に残りのページでしっかりと答えてみせるのが、スティーヴン・ハンターという作家の素晴らしいところ。その並外れた構成力に舌を巻いた。いやぁ、これもめっぽうおもしろい。ただし、ラストがやや血なまぐさすぎるのが、個人的には玉に疵かなと。
(Oct 26, 2014)

リスタデール卿の謎

アガサ・クリスティー/田村隆一・訳/早川書房/Kindle版

リスタデール卿の謎 (クリスティー文庫)

 クリスティーの短編集ということでいえば、ひとつ前の『死の猟犬』がオカルト色のつよい異色作だったのに対して、今回のこれはいたってまっとうな、昔ながらのクリスティーという感じ。表題作の『リスタデール卿の謎』を中心に、初期の『秘密機関』などのユーモラスな冒険ものを思わせる、軽妙な作風の短編がずらりと並んでいる。
 まぁ、なかには青髭的人物と結婚してしまった新妻の恐怖を描いた『ナイチンゲール荘』とか、その男女を裏返したような事件を未然に防ごうとする刑事の話(『事件』)とか、ラストの『白鳥の歌』とか、ダークな作風の作品もいくらかはある。でも、そういうのはほんのわずか──というか、たぶんその三編だけ。あとはあっけらかんとした、犯罪がらみのお手軽なラブロマンスばかりだ。それも読んでいるうちに落ちがわかってしまうような話ばかり。
 なのでミステリの短編集としてはややもの足りない気もするけれど、それでもまぁ、こういう軽めの作風のクリスティーはひさしぶりだったので、その点ではそれなりに楽しく読めた。『死の猟犬』とこれ、両面あってこそのクリスティーなんでしょう。おそらく。
(Oct 26, 2014)