2009年01月の本

Index

  1. 『レイディ・イン・ザ・レイク』 レイモンド・チャンドラー
  2. 『息子を奪ったあなたへ』 クリス・クリーヴ

レイディ・イン・ザ・レイク《チャンドラー短篇全集3》

レイモンド・チャンドラー/小林宏明・他訳/ハヤカワ・ミステリ文庫

レイディ・イン・ザ・レイク―チャンドラー短篇全集〈3〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 精鋭翻訳家陣の競作によるチャンドラー短篇全集の第三巻。
 この短編集は真珠の話ではじまって、真珠の話で終わる。僕がとくに気に入ったのが、その二編、『赤い風』 と 『真珠は困りもの』 。
 『赤い風』 はこの本に収録されている短編のうち、主人公がフィリップ・マーロウの唯一の作品。ただし初出時はジョン・ダルマス名義だったものが、その後マーロウに変更されたとのことで、おそらくほかの作品のように長編に転用されていないため、この本にはマーロウのままのバージョンが収録されることになったんだと思う。
 物語は、事務所の向かいのバーで起こった突発的な殺人事件に巻き込まれたマーロウが、その事件に関係する美女のためにひとはだ脱ぐというもの。彼女に対するマーロウの態度がとても粋でいい。とくにラストのふるまいは、惚れぼれとするくらい気がきいている。
 『真珠は困りもの』 は、恋人から盗まれた真珠を取り戻すよう頼まれた素人探偵が、容疑者と目された男と意気投合して、いっしょに真犯人を探そうとするという話。ふたりで腹を探りあいながらガンガン飲みまくっているうちに、いつの間にか気心のしれた仲になってしまうという展開がいい。やはり男どうし、こうでないといけない。
 そのほか、表題作と 『ベイシティ・ブルース』 がどちらも 『湖中の女』 のプロトタイプ。ただし主人公の名前はマーロウではなく、ジョン・ダルマス。たったそれだけのことで、かなり印象が違う気がしてしまう。 『赤い風』 も主人公の名前がダルマスのままだったら、また印象が違っていたかもしれない。
 ちなみにこの本に収録されている短編は五作だけと、このシリーズのなかではもっとも少ない。あらたに登場した翻訳家も横山啓明氏ひとりで、あとの四人は前の二巻からの再登場となっている。
(Jan 26, 2009)

息子を奪ったあなたへ

クリス・クリーヴ/匝瑳玲子・訳/ハヤカワepi文庫

息子を奪ったあなたへ (ハヤカワepi文庫 ク)

 テロで夫と息子を失った女性が、オサマ・ビン=ラディンにあてて書いた手記という体裁の長編小説――とか聞いても、正直なところ、個人的にはあまり読みたいとは思わないのだけれど、ハヤカワepi文庫に収録された作品は、シリーズの刊行開始以来すべて読んできているので、いまさら無視するわけにもいかない。
 オサマ・ビン=ラディンという固有名詞のため、僕はこれを9.11についての小説だろうと思っていた。ところが読んでみるとそんなことはない。そもそも作者はイングランド人で、主人公に悲劇をもたらすテロ事件も架空のもの。それもアーセナルのホーム・スタジアムで、試合中に満員のスタンドで自爆テロが起こるという、ショッキングなものだ。
 そんな悲劇が起こるとは知らずに、夫と息子をスタジアムへと送り出した主人公は、自宅でその試合をテレビ観戦していて、その悲劇をリアルタイムに目撃することになる。それも、ものすごく不謹慎なシチュエーションで。
 この部分の悲喜劇性はきわめてジョン・アーヴィング的だと思った(同時進行で 『また会う日まで』 を読んでいるので、なおさらそう思ったのかもしれない)。
 ただしアーヴィングと比べると、こちらはセックスの扱い方が、より一層えげつない印象がある。また、ユーモアのセンスについてもしかり。語りの端々{はしばし}に散りばめられたユーモラスなレトリックが、どうにも主人公のおかれた悲惨な状況にそぐわない気がした。
 ということで、もうちょっと慎み深くあってくれたらばよかったのに……と、そんなふうに思わせるところが多くて――決してつまらなくはなかったものの──、いまひとつ入れ込めない小説だった。その点、ニック・ホーンビィなんかにも通じる。最近のイギリスの小説家って、こういう感じ方をさせる人が多い気がする。
 ちなみにこの小説はユアン・マクレガー主演で映画化されたらしいけれど、いまのところ、あまり観たいという気が起こらない。
(Jan 31, 2009)